働き方改革関連法が6月29日の参院本会議で可決、成立した。非正規労働者の処遇格差の解消を図るという「同一労働・同一賃金制度」や高度プロフェッショナル(高プロ)制度の導入、罰則付き残業時間の上限規制など、働き方に大きな影響を与える法律だが、議論は深まらないまま、政府・与党は多数決で押し切った。いったい、この法律は「働き方改革」の名に値するのか、非正規の処遇改善や格差解消につながるのか、働く人の暮らしや健康は守られるのか。


 労働記者として長く、パート労働法、労働者派遺法、裁量労働制や労働契約法などの制定や、その影響を取材してきたが、働く人たちに重い荷を背負わせてきたのではないかという思いが常にあった。「多様な働き方」という美辞麗句の裏で何が起こったか。解雇などによる正社員の減少、不安定な非正規労働者の急増、所得格差の拡大、止まらない過労死など、深刻な社会問題が次々と生じた。労働者保護が目的であるはずの労働法制が働く人たちの安定した生活や生き甲斐まで奪っているとすれば本末転倒と言うしかない。


●議論は深まらず



 働き方改革関連法は準備段階から政治主導で議論が進み、従来の公労使三者構成による厚生労働省の検討会や審議会を軽視し、野党や労働組合の声にもほとんど耳を傾けることなく法案がまとめられた。一方、経済界の意向を受け入れ、関連法案の中に高度プロフェッショナル制度や裁量労働制の見直しを潜り込ませた。


 働き方改革関連法の「本丸」は同一労働・同一賃金制度の導入だが、野党は追及しやすい高プロ制度などを中心に政府を追及、本丸にまでたどり着くことができなかった。制度が説明しづらいこともあってか、マスコミの報道も関連法案の問題点や課題を国民に浸透させることができなかった。


●名前と内容が違う


 働き方改革関連法には「同一労働・同一賃金」という条文はない。もともと労働契約法20条で規定されていた「不合理な労働条件の禁止」規定を「パート・有期労働法(パート労働法と有期労働法を一本化)」と「労働者派遺法」に移行。基本給や手当、賞与などにおける正社員との不合理な待遇差の禁止を規定したのが、今回の改革関連法だ。


 欧州では同一“価値”労働・同一賃金が世界標準で、職務分析により同一労働が定義されており、今回の日本の制度とは大きく異なる。今回の改革関連法は、「不合理な待遇禁止」法であり、これを「同一労働・同一賃金」制度だと国民に説明しづらいと考えたのか、政府は欧州の判例を参考に「同一労働・同一賃金ガイドライン案(以下「案」)」を作り、示すことにした。


 この「案」もよく見ると奇妙で、タイトル以外に「同一労働・同一賃金」という言葉が見当たらない。「案」の「目的」には「正規と非正規の不合理な待遇差の解消を目指す」とだけ書かれており、その手段として同一労働・同一賃金を導入するとは書かれていない。


 「案」では、現行の勤続給や職能給などの賃金制度はそのままで、有期・パートの基本給や賞与、諸手当の支給について、問題となる例、問題とならない例などが示されているだけで、何をもって労働と賃金の「同一」を規定するかなどの記述がない。この日本版の同一労働・同一賃金は欧州で導入されている世界標準のものではない。


 こうして関連法の中身をみていくと、同一労働・同一賃金制度は「名ばかり」と指摘せざるを得ない。安倍首相は「この国から非正規という言葉を一掃する」と述べたが、今回の関連法では非正規は一掃できず、固定化が危惧される。


 今、必要なことは、正規・非正規労働者の格差解消を目的に掲げ、同一労働・同一賃金の原則を明確に規定する基本法をつくることだ。
その上で、職務と賃金の「同一」とは何かを規定し国内の賃金制度を調査して、非正規の解消につながる「同一労働・同一賃金」の仕組みを目指すことが筋だ。


●高プロは廃止を


 最後に高プロと残業時間の上限規制について書いておきたい。高プロは残業代を払わずに長時間働かせる制度で、企業側にメリットがある。労使による委員会の決議がないと適用されないとか、適用後に本人が撤回できる仕組みも作られたが、実効性の確保は疑問だ。過労死した人の遺族らからも反対がある。高プロは廃止すべきだ。


 残業時間の上限規制では労働基準法の制定後、初めて罰則が入った点は評価したい。問題は中身だ。残業時間の上限規制とはいうものの、過労死ラインの月80時間を上回り、単月で100時間未満の残業ができるようにした。これも名ばかりだ。


 先日、毎日新聞の「広がる21世紀型ファシズム~スピード社会は我々を壊す」という特集記事を読んだ。その中で、英国の経済学者R・ウイルキンソンさんは近著『インナー・レベル』で、世界中の統計を駆使して「富や機会の不平等が高まるほど社会のストレス、うつ病症状が高まる。その主因は、経済の低迷、縮小ではなく、格差にある」と指摘している(18年7 月6日付夕刊)。これから私たちが目指すのは深刻化した格差の是正であり、行き過ぎた競争原理主義がもたらした弊害の解消である。これらが抜け落ちた政策を「改革」と呼ぶことには無理がある。