見学会

2017年4月13日
「ことぶき介護」を見学
介護と福祉の原点に触れる


 4月13日、16人が参加して横浜市中区にある訪問介護施設「ことぶき介護」と寿地区を訪ねた。寿地区の日雇労働者は底辺労働力として日本経済を支えてきたが、高齢化が進み多くの人が生活保護を受け簡易宿泊所で生活している。こうした人達に対する訪問介護を行っているのが「ことぶき介護」である。

 最初に近くのかながわ労働プラザで、徳茂万知子理事長から事業の概略の説明を受けた。続いて同事業所を見学。ケアマネ室とヘルパー室を見せていただいた。ヘルパー室には介護を受ける人ひとりひとりの薬の棚があり、きめ細かく管理されている。また、支援の一環として洗濯も行っている。汚れた衣類を洗濯して届けるのである。


徳茂理事長(右)の説明に聞き入る(「ことぶき介護」にて)

 この後、3班に分かれ寿地区を横浜市の寿福祉プラザ相談室の職員に案内していただいた。街角に大量のゴミが捨てられていたが、他地区からの投棄もあるという。市民の中に根強い差別観念があるためだ。

 再び労働プラザに戻り、「ことぶき介護」管理者の梅田達也氏から詳細の説明を受けた後、寿福祉プラザ相談室の関根和晃氏から、寿地区の歴史、現状について話を聞いた。寿地区では毎年約200人が亡くなるが、ほぼ同数が流入してくる。何らかの困難を抱えた人達だという。関根氏は市職員としての40年の大半を寿地区の支援に携わってきたこともあり、言葉に重みが感じられた。

 「ことぶき介護」は行政にも高く評価されている。これは容易に支援を受け付けない高齢者などに対するケアの実績があるからだ。これは梅田氏に負うところが大きい。介護や福祉のあり方を考える上で意義ある見学会であった。(蜂谷隆)

2016年6月14日
技術力・収益力誇る会社へ
凸版印刷川口工場


 6月14日正午過ぎ、JR川口駅前に25人が集合、路線バスに分乗し、約20分で凸版印刷川口工場へ。凸版グループの出版印刷の総合拠点で、印刷から製本までの一貫体制で操業している。工場の概要の説明を受けた後、2班に分かれて見学、さらに隣接する「安全道場」に移動、安全研修を体験した

 工場では、コミック誌、料理本文庫本、語学のテキストなどが、次々と印刷、裁断、製本されて行く。グラビア印刷、オフセット印刷、凸版、凹版の仕組みの説明を受けた。


 同工場は、1988年の操業、自動車工場の跡地12万5000㎡に建設された。協力会社の常駐者500人を含め1100人が、2、3交代で勤務、ほとんどが男性で女性は製本部門を中心に5%にとどまる。

 印刷需要は減少傾向で、凸版グループとて生産の効率化による利益の確保が課題。工場の建屋に掲げられていたスローガンは、規模を誇る会社から、技術力、収益力を誇る会社への変革。 印刷テクノロジーと情報武装化により新時代を切り開くという。 ICタグによる入場チケット、スマートフォン利用の電子チラシなどを提供している。

 「安全道場」では、ローラー、裁断機などを模した設備で、巻き込まれ事故の疑似体験。安全師範の資格を持つ指導員は、設備に組み込まれている安全装置を無効化することが事故につながることを強調した。道場は、凸版グループの研修所内にあり、研修者全員が体験する。こうした安全への取り組みで、労災事故は減少傾向という。

 約4時間の見学会の後、川口駅近くの中華居酒屋で懇親会。21人が参加した。(中川隆生)

2016年4月26日
目を見張る技術革新と生産性向上
新日鐵住金君津製鉄所


 4月26日、快晴に恵まれたが、富士山は霞んで見えない。総勢28が君津駅に集合し、会社のバスに乗り込んで、製鐵所の事務所に向かった。

 50年前、東京ドーム約220個分の広さを埋め立てて創業。構内のレールは、山手線の2週分あるという。工場、建物が整然と並び、鉄鋼業が大装置産業であることがよく分かる。

第4高炉で世界と競争

 第4高炉が見渡せるお立ち台から、高炉を見学した。現在の炉前は1チーム5名という。私が勤務を開始した八幡では、50年前であるが、確か定員14名と記憶している。現在は3倍の生産性であり、高炉の規模が4000㎥と、当時の4倍であることから、概略の生産性は12倍となっているのである。製鐵所の発足時7700人であった従業員数は、途中2800名となり、現在はフル生産でもあり3500名の規模である。協力会社、工事関係者を足すと1万500名の規模である。(協力会社比率は67%)


 非正規雇用は活用しておらず、正規従業員、協力会社の正社員で、運営されている。現在は女子化(目標20%)、高齢者雇用に努力中とのことであった。

 韓国、ブラジル、中国に技術指導して、援助してきたが、この10 年で中国が8億トンの生産能力を持つことになり、過剰生産、安値輸出の結果、日本の鉄鋼業は経営的には苦しい状況にある。原油価格、鉄鉱石、石炭の価格も落ちており、鋼材価格の下落につながっている。

安全第一と省エネ

 他の製鐵所の事故のニュースが新聞等に出ることがあるが、君津製鐵所では、対策として、管理職が現場に出ることを徹底しているという。最近では、目立つ金色のルメットを付けた高齢社員が安全業務だけに従事し、厳しく、若手を指導しているという。安全に対する意識の高さは見習う点である。

 コークス炉を使って、プラスチックの再利用を行うなど、省エネの努力を目の当たりにした。工場の外側には40年の努力で、大きな森ができている。

装置産業の力強さ

 50年経過した設備が、技術革新を継続して現代に活躍している姿は、感激的でもある。熱延の粗圧延機を5台から3台に減らして圧延するなど、技術革新の努力が積み重なっているようだ。

見学後は、小倉広報センター長を交えて懇談会を行い、日本産業のモノづくりの強さを認識した1日であった。 (森下一乗)

2015年10月28~29日
日本の林業の復活が始まっている


 10月28、29日の両日、18人が参加して群馬県沼田市と栃木県日光市の林業の現場を訪ね、その現状を見学した。初日は高崎駅に集合、最初の見学先は沼田市の沼田中学校。ここは2013年に校舎を木造で建て替えた学校だ。ロの字型の校舎(中に中庭)は一階建て。 広い廊下、教室も吹き抜けになっている。木のぬくもり、ゆったり感に感動。文科省のモデル事業として建てられた。ちなみにコンクリート造に比べ割高だが、解体費用を加えると木造の方が安くつくそうだ。


獣害対策の現場

 続いて、増加する熊、鹿対策の現場を訪れた。杉や檜は戦後に植林されて、今が伐採期を迎えている。ところが熊や鹿による樹皮剥ぎ被害が多発している。その対策は1本1本にテープを巻くか網を掛けるしかない。人手を要する作業だ。森林官の説明の中で、猟友会に頼み猪を駆除してもらうが、その猪は食べることができないという話があった。放射線量が高いからだ。福島原発事故による影響が群馬県の山奥まで及ぼしていることに改めて驚かされた。

 この後、森林技術総合研修所・ 林業機械化センターを訪れた。 日本の林業が競争力を持つようになったのは、機械化によるコスト削減効果が大きい。その機械化の最先端を担う人材育成を行うところだ。同センターはすでに山奥にあるが、そこから更にマイクロバスに乗り換え、木を切り倒して作ったばかりの狭い作業道を通り研修現場に向かう。もちろんガードレールなしだ。切った杉を4mごとにカットする作業を見せていただいた。伐採の機械化には限度があり、急勾配ではチェーンソーに頼らざるを得ないそうだ

 センターに戻って質疑を行う。 すでに日本の木材は、価格的には外材とさほど変わらないところまできている。端材のチップ化、合板、集成材、さらには曲がった板を作るなど製材の技術や利用法が進んでいることも追い風となっているようだ。宿泊は老神温泉。ゆっくり温泉に浸かって一日の疲れをとり、翌日に備えた。


今も続く足尾緑化


足尾の山を背景に

 二日目は、足尾銅山跡へ。日本の近代化を支えた足尾銅山は、精錬所の横を流れる渡良瀬川を汚染、鉱毒被害による被害者と共に闘った田中正造で知られる。その精錬所の煙突の煙に含まれる亜硫酸ガスが、山頂方向に流れ山々の樹木を枯らしはげ山にしてしまった。 その広さ1600hである。緑化に向けた本格的な植林は1957年ころから始まった。地元の女性達が山に登り、一本一本植えたという。

 現場は土もなく酸性化した岩肌が露呈しているため、植林作業といっても、草の種、堆肥、稲わら、土で練った植生盤 (職員が創案) をっくり、これを岩肌に置くところから始まる。草が生え、土が根付かないと植林はできないからだ。 台風、強風などで植生盤が吹き飛ばされても、何度も何度も山に登り作業を続けたそうだ。今でもボランティアが中心になって植林は続いている。おかげで緑は増え、荒れた岩肌は少なくなった。多くの人の地道な作業の積み重ねで、山の緑が守られていることを実感して、足尾見学を終えた。(蜂谷隆)