海外見学

2017年は、ベトナム(11月29日~12月5日)を訪問しました。


社会主義と市場経済の「同居」
-ベトナムで進む「未来の実験」

団長 稲葉 康生

 日本労働ペンクラブのベトナム訪間団(25人)は、11月29日から12月5日までベトナムを訪れた。親日で、活力にあふれたベトナムのリーダーや若い人たちとの交流 を深め、 充実した旅となった。


 首都ハノイでは梅田邦夫・駐ベトナム大使をはじめ、ハノイ商工会議所、ベトナム労働総同盟、ジェトロハノイ事務所の幹部と会見、政治・経済事情や労使関係の実情などにっいて取材、意見交換を行った。また、日本に入国する技能実習生の数が中国を抜いて一位になったベトナムで、技能実習生の制度がどう受け止められているのかなどについて現状や課題などを調査する目的で労働・傷病兵・社会省などにも足を運んだ。


 また、古都フエでは19世紀から1945年まで13代にわたって栄えたグエン王朝の壮大で優美な王宮などを見学、さらに旧南ベトナムの首都だったホーチミンではかつての大統領官邸、地下に長さ250kmに渡って張り巡らされたクチトンネルの見学や、ホーチミン日本商工会や即席地を製造している「エースコックベトナム」の工場を訪ねた。行く先々で最新情報に触れ、貴重な体験や新しい発見があった。

▽経済成長で社会は激変


 今回で3度目の旅となったベトナムは「政治は社会主義、経済は市場主義」という国となっており、社会主義と資本主義が「同居」し、急激な変貌を遂げていた。それは奇妙でもあり、驚きでもあった。 その「同居」が超高速で進む経済発展の原動力になっていた。この同居こそ「未来に向けた新しい政治・経済システムの実験ではないのか」と直感した。この“見立て”が正しいのかどうか。しばらく時間をかけてみていくしかない。

 今、市場主義のマネー経済が世界を覆い、所得格差の拡大が社会をゆがめている。資本主義の行き詰まりは明らかで崩壊論まで出ており、将来の設計図が描けず、混迷と閉塞感が漂っている。

 今回の訪間の関心は「激動の時代にベトナム経済や暮らしがどう変化していくのか」の一点にあった。社会主義国・ベトナムにマネー資本主義が入った結果、社会はどう変貌するのか。社会主義とグローバル経済は親和性があるのか。こういう視点で滞在中に政府や労組、経済団体などの話を聞き考えた。

 社会主義は、資本主義の下での社会的不平等の根源である私有財産制を廃止、制限して生産手段の社会的所有を実現させてきたのだが、ベトナム経済の現況は本来なら社会主義とは相容れない市場主義そのものだった。

▽今後の展開に注目


 「マネー」の威力はすざましい。 国境や政治体制の違いを乗り越えこの国を新自由主義の非情な市場経済一色に塗り替えてまった。

 ベトナムでは2013年の法改正で国家賃金審議会が設置され、政労使の3者構成で最低賃金を決定している。ハノイ商工会議所の取材では、幹部が「最低賃金の決定では、今後、国の力(影響力) を薄めていきたい」と述べた。使用者は、市場を介した賃金決定の方向に確実に舵を切っていくのだろう。そうなれば、ますます社会主義との距離は離れていくはずだが、そこまで踏み込んで労使の考えを聞くことはできなかった。

 社会主義と市場主義との同居という、「実験場」で、今後どんな展開が待っているのか。それはベトナムの人々の決断となるのだが、カギは「マネー経済」の暴走や矛盾を制御する意思を持って取り組むかどうかだ。社会資本の整備など多くの課題を抱えるベトナムでの「実験」が、世界でポスト資本主義の模索が続く中、新たな社会像のヒント生み出すのかどうかを見続けていきたい。

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若さと活気実感

柏木 勉

 ベトナムの平均年齢は30歳ぐらい。働く皆さんは若い。オートバイ天国を見てその若さと活気を実感しました。しかしそれは、戦後ずっと1970年代後半まで、ベトナム戦争中心に戦いが続き、若者の多くが死んでしまったからです。

 この点は日本と同じです。企業の中でマネージャー層が不足とのこと。市場経済へ転換しドイモイ政策の成果が実りだしてからまだ日が浅い、かつ若い人中心である事を考えれば、なるほどと思いました。とにかく平和が一番です。 妙なナショナリズムが世界に広まっていますが、下手をするとまた多くの若者が死にます。平和のためには他国の事、他国の人々を知るのが大事。ですから今後も労ペンの海外視察に期待するところ大です。

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未来志向に可能性

長谷川 真一

 今回のベトナム訪間は、多くの発見があり、また大変気持ちの良い旅でした。ベトナムの経済の発展と社会の変化、若者の多い国の勢いと熱気、バイクの洪水、親日的で真面目な人々-。日本企業の進出もこのところ急速に進んでいます。


 変化に対応した人材の養成はベトナムの国家的課題です。技能実習制度への期待も多くの人から聞きました。ベトナムから日本への技能実習生の急増は様々な間題を発生させているようですが、実態の改善に向けた関係者の努力が求められます。

 植民地時代やベトナム戦争など苦難の歴史の影響も印象的でしたが、私は未来志向で進むベトナムの大きな可能性を感じました。

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ベトナムの底力

保高 陸美

 子どものころ、「ベトナム」といえば「戦争」だった。空爆に逃げ惑う人の姿に気がふさいだ。そのベトナムが米軍を撤退させたとの報道に不思議な気がしたものだった。

 今回、ベトナム戦争当時、解放戦線の拠点だったクチの地下トンネルに実際に入ってみた。隠し入り口は非常に狭く、胸まですっぽり入るほど深い。足元の横穴は中腰でなければ進めない。真っ暗で閉じ込められる恐怖が襲う。人々は、総距離250kmものトンネルを手掘りし、ゲリラ戦で近代装備の米軍と戦い続け、勝利したのだ。

 枯葉剤のため、戦後10年間はまったく草木が生えなかったという一帯を、今は熱帯の草木が覆っている。経済発展を加速させるベトナム。その底力を見た気がした。

海外見学

2016年は、モンゴル(9月12日~16日)を訪問しました。


訪問団員の報告



枯れ草の原野を行く

中村章

 ウランバートルは煉瓦とコンクリートの無機質な街だった。ソ連文化圈の名残だろう。古い建物が多いことや、広告の看板やネオンがほとんど無いことも無機質さを助長している。

 道路は、道幅も狭く渋滞している。そこを、日本車、特にプリウスの中古車があちこちで走っていた。今年前半の中古車販売台数1500台中1100台がプリウスで占められている。エコカーで税金がかからないことが効いていると聞いた。

国立公園のテレルジに向かって草原をバスが走った。緑の草原をイメージしていたが、ほとんど枯れ草の原野だった。季節が秋に向かっていたせいかもしれない。

 そんな草原にいる牛や山羊が意外に肥っているのが印象的で、こんな枯れ草でも栄養価が高いのかと不思議に感じた。

 今回の訪問直前の総選挙で政権が変わり、省庁の再編が進行中など、体制の不安定さを実感させられた。そんな中でも新モンゴル学園のナランバヤル校長や、トヨタセンターのエンフサイハン事業開発マネジャー(いずれも日本留学経験者)など、30代とおぼしき方々の活躍を見て、この世代を軸にこの国が変わっていくのだろうと感じさせられた。

 余談だが、現地の人たちのゲルで、 馬乳酒とモンゴル紅茶を飲ませてもらった。馬乳酒は、甘酒を少し酸っぱくしたもの、 紅茶は、塩入りで、ポタージュのような味がした。現地でなければ味わえない体験だった。



若い国、知恵で発展

森下一乗

 ロシア、中国に挟まれて、社会主義国から民主化を経て、高度経済成長を経験してきた。現在は低成長に悩んでいるが、鉱山、石油、無煙炭、ウラン、金、最近ではレアメタルが大量に埋蔵されているという、資源に恵まれた国である。

 歴史的に見ても、大国に挟まれている中で、よくも、独立を維持してきたものだと感心させられる。

 よほど、指導者の知恵と、我慢、外交術が優れていた賜物なのであろう。

 300万人の人口は、日本の4倍と言われる国土に比較して少ないように感じられるが、出生率は日本と大差なく、人口の増大は期待できそうもない。そうなれば、資源を挺にして、経済成長をいかに上げていくかが課題であろう。

 一時期、外資制限法を実施したが、外資の流入が激減して、その法律を撤廃しなければならない事態になったようだ。

 官僚の交換教育も取り入れているが、自国の官庁に信頼できる国から、指導的な官僚を出向させることも大切ではなかろうか。また、優秀な人材を自費で採用すべきであろう。モンゴルが今後高い成長を果たすために、必要な知恵を提案したい。

① レアメ夕ル、無煙炭、石油、ウラン等について、原料のままの輸出はできるだけ禁止し、加工してから輸出することを国策とすること、②観光業は、重点的に育成し、ゲルへの宿泊、ゴビ砂漠への旅を各国に宣伝する、③外資法を整備し、出資国の利益と、モンゴル国の利益をイーブンとする政策を安定的に実施する。その中で、海外からの技術移転を計画的に導入する、④中国、ロシアの影響力を下げつつ、第3国との間で、交流対象国を増やす、⑤人材育成に従来以上に力を入れるとともに、官僚の地位を上げて、成果を上げれば国有企業の経営を任せる等のインセンティブを導入する、⑥トヨタ車が6割を占める国であることを踏まえて、トヨタの修理工場、将来は組み立て工場の進出を要請する。

 以上、これからのモンゴルは、資源の活用をしながら、留学生を含めた官僚の知恵、他国の経験を学ぶことにより、成長路線を目指すことが望ましい。そのためには、若者の知恵を重用すること、わいろに厳しい国になってほしいものである。



長谷川氏に特別功労賞

モンゴル経営者連盟

 モンゴル経営者連盟は、 視察団として訪間中だった日本労働ペンクラブ代表代理・長谷川真一氏(日本ILO協議会専務理事)に、「モンゴルの民間セクター発展へ継続的な支援と貢献をした」として、「特別功労賞」(BEST EMPLOYERS)を贈った。


新モンゴル学園の図書館にはマンガも置いてあると
説明するナランバヤル校長

 長谷川氏によると、日本人の受賞者は過去にも何人かいるとのこと。2006年、ILOアジア太平洋総局長時に、強制労働撲減のための政労使の地域セミナー(アジアの数カ国の政労使が参加)主催者としてモンゴルを訪間。また、日本政府のILO代表として機会をとらえては「雇用創出における民間企業の役割が重要、そこでの建設的な労使対話が大切」と訴えてきた。長谷川氏は「私が民間セクターでの労使対話の重要性を訴えてきたことが印象に残ったようです」と話している。


新モンゴル学園の図書館にはマンガも置いてあると説明するナランバヤル校長

新政権発足で省庁再編があり引っ越しの合間を縫って労働省のマリアー部長に応対していただきました

同行の穴山さんに随所で案内をしていただきました。歴史的背景などの説明もあり大変分かりやすいものでした(ウランバートル、ジンギス・ハーン広場で)

ジンギス・ハーン像の前で

モンゴル経営者連盟ガンバアタル副会長兼専務理事から経済情勢と日本とモンゴルの経済関係について話を伺いました

ILOモンゴル事務所ではマイヤー中国・モンゴル事務所長からモンゴルでのILOの役割について話を伺いました

トヨタ自動車販売のエンフサイハン社長から同社の事業と雇用状況について説明を受けました

日本大使館前で

モンゴル大学法学部につくられた日本法教育研究センターで学ぶ学生に抱負を聞きました

テレルジでのキャンプ場で。遊牧民の移動式住居であるゲルで宿泊しました

ゲルで生活する遊牧民の家庭を訪問しました

遊牧民の家庭の近くでラクダに乗りました

日本人墓地の慰霊碑を参拝しました。訪問団の藤井さんに読経していただきました

モンゴルで社会保障を定着させるために活動しているJICAの山下護プロジェクトリーダーから説明を受けました

海外見学

2015年は、日本ILO協議会と共同でミャンマー(9月6日~12日)を訪問しました。


訪問団員の報告



ミャンマーの今

森下 一乗

 かねてからミャンマーに行きたかった。民主化と言っても25%の議席は軍人に割り当てられている。 憲法改正へのハードルは高い。11 月8日に総選挙があるが、その結果一歩前進することが期待される。

1 民主化の現状

 いまのミャンマー、むかしのミャンマーという言い方がある。むかしといっても英国の植民地時代を指すのでなく、2012年の軍事政権下を昔、民主化後を現在という。

 政党の自由、組合の結成が認められている。現在1900組合が政府に登録されている。20年間、国内では活動できないことから、国外で活動していた組合活動家に会ったが、民主化後、弾圧とか、行動を規制されるということはなく、真の自由が認められていると述べていた。

 経済成長は伸びが目覚ましく、2014年には経済成長率8.5%を示したが、合わせて物価上昇率も8%だから生活は厳しいと予想される。

 今回の総選挙が、結果によって民主化が前進することになるであろうと考えられる。米国はまだ、経済制裁を解いていないが時間の問題であろう。

2イラワジ川水害の大きさ

 被害者60万人、死者、不明者19 万人(注:現地報道による)というのは想像を絶するが、まだ水は完全には引いていない。中部のバガン近くでも、まだ2.8メートルの水位があり、多くの家が水没していた。サイクロンという大雨が北部一帯を襲つたという。堤防もなく、ダムもない。自然の猛成をどう避ける手があるのだろうか。一つの方法は、高台に住むことと考えられる。日本の北関束の水害もテレビで大きく報道されていた。

3 チャットという現地通貨

 現地では、チャットと、ドルが流通している。なぜか、円は通用しない。日本の銀行も進出予定と聞くが、まずは通貨交換ができるようになってほしい。1000チャットは100円である。ドルは新札しか通用しないというのは事実であったが何故なのであろうか。銀行で新札しか受け入れないといったことでもあるのであろうか。

4 最低賃金

 このたび、政府は一日3500チャットという最低賃金(15人以上)を決めた。現行水準より引き上げられるため、企業の合理化としての解雇や、適用を外れるために、15人以下への企業規模の縮小が心配されている。日本の企業が洋服の加工を中止したため、半数の社員を解雇するといった事例も出ていて話題になっていた。国が伸びていくための痛みがあるということだろう。最低賃金制度は国民の生活向上のための一歩前進の政策である。

5 日本企業の進出

 民主化後、日本企業の進出は急増している。現在、260社、スズキ、ロート製薬、 JT、JFE、王子製紙等が進出済みである。他に、食品、居酒屋、スーパー等も進出済みで、現在も多くの企業が進出計画中とのことであった。ジェトロには多くの人が打ち合わせに来訪して列をなしていた。

また、経済特区のテイラワ地区の開発が急ピッチで進んでいた。

6 中国の動き

 軍事政権は中国に近かったといわれるが、バガンで高層タワーと高級ホテルの建設が中国資本であること、バガンで唯一の3.5kmの大橋が中国の支援、中国の建設会社で完成した現場を見ることができた。その橋は洪水にも影響されず、大動脈として機能していた。中国はミャンマーにとって近い国でもある。最近では中国への警戒心もあるとの現地在住の方からの意見もあった。

7 農民組合の役割

 労働組合の組織に農民組合も入っている。日本に対する期待は大きく、農機具を直接販売してほしい、農薬、種の販売をしてほしい、水害の後の農業技術を指導してほしいとの希望が出された。早急な企業進出が期待されているのと、農業技術の指導が待たれている。

日本の農協の出番だと感じた。経済援助と、指導の内容として、農業が求められているのである。ミャンマーは農業国なのである。

8 日本大使館、ジェトロ、NHKの役割

 海外に出ると、大使館、ジェトロ、NHKの国際放送の役割の大切さがよくわかる。特に、政策の指導、助言をすることは、お金の話に次いで成果も上がるし、役に立つことができるであろう。日本の経済援助は突出しているが、合わせて、個別政策の指導チームをODAで組織して派遺するのは良い考えだと思う。日本も、明治時代に外人技術者に教えられてここまで来たのである。各省から、計画補助、助言を目的とした官僚の派遺が効果を上げることであろう。

9 感想

 発展途上の国である。植民地時代を乗り越えて、長い軍事政権時代も卒業しつつある。

 次が、各国による、経済植民地を日指すものであってはならない。 その国の発展に役立つこと、その国が求めていること、生活向上につながること、を原点にして考える必要があろう。我が国、または、自分の企業の利益のみを考える進出は行うべきではない。特に低賃金を利益の源泉とみなす進出の時代は、過ぎ去ったと考える。ミャンマーと日本も新しい時代に直面しているようだ。

 日本が、軍事政権下も粘り強く経済支援を行ってきたことは、今こそこの国の、将来のために役に立つことであろう。アジアの中でも、日本に対する信頼感が厚いことは、これからの我が国の援助の仕方、行くべき道を示していると考える。


レッパンピンコン村で農民の要望を聞く

日本人墓地で礼拝

市場にも行ってみた

労組ナショナルセンターCTUMを訪問

ティロカ僧院学校での勉強風景

バガンのスータウンビュー寺院の前で


強く望んでいた参拝

――未帰還兵の安らかな眠りを

藤井俊道

 ヤンゴン中心地から郊外のミンガラドン地区にある日本人墓地には車で向かった。あちこちで工事が行なわれ、渋滞を抜けて1時間半ほどで到着した。數地は約1万2000㎡、元は夕ムエーとチャンドーに分かれていた墓地を移転したものだ。「からゆき」さんの墓も同居していた。

 結団式で高森冴子さんが、「私の父はミャンマーで亡くなり、遺骨も帰っていない」と話された。他の団員からは、「戦後70年、ぜひ日本人墓地に行こう」と強調され、私も戦没者の慰霊を強く望んでいた。事務局の皆さんのご努力で、旅の日程をやりくりし、日本人墓地に行くことができた。

 悲惨な戦闘“インパール作戦“を歴史で知ってはいたが、慰霊碑の前に立つたとき、「よくぞこんな遠方まで10万を超える日本軍が来たものだ」と驚いた。ミャンマーでは19万人が亡くなり、いまも4 万人以上が不明のままだ。

 団員の宇田川浩一さんも、お祖父さんがミャンマーで亡くなり、やはり遺骨が帰っていない。読経に合わせ、全員が思い思いに線香を手向けた。「以前からの思いが実現し、安らかな永眠を願い、とても心が落ち着いた」。高森さん、字田川さんはじめ団員の方が異口同音におっしゃられていた。

 バガンにある慰霊碑では、現地の方が碑を守っていた。「皆さんがお参りできるよう掃除しています」。「白骨街道」と化したインパールへの道には、多数の慰霊碑があり、いまだ土のなかに多くの日本兵が眠っている。

 戦後70年。日本では安全保障関連法案が大きな焦点になる中での訪間だったが、日本人戦没者慰霊を通じて改めて非戦を誓うことができた貴重な旅となった。



驚き、そして秘めた豊かさの国

松本惟子

 限られた日程の中でよい企画を組み、行き届いたお世話をいただいた関係者にお礼を申し上げます。 終始、事故や体調を崩す団員もなく帰国できたことも嬉しいことでした。

 私にとって初めて直に触れるミヤンマーは、その歴史はもとより、閉ざされた軍政から、緒に就いたばかりの民主化、それに対する世界の対応等々、これからの行方も含めてなかなか日が離せない関心事のひとつになったようです。

 人々のくらしに深く触れる機会はありませんでしたが、緑多いヤンゴンの街並みは思いがけない光景でしたし、それはイギリス植民地時代の面影を今に映して見えました。

 途上国お馴染みのバイクや自転車の通勤ラッシュはありませんでしたが、マイカーに混じって窓ガラスもないおんぼろバスに、今にも振り落とされそうに鈴なりの通勤者を見るのは珍しいことではありませんでした。低所得の人々の足に違いありません。この国にとって、これも一時のことになるのかもしれませんが。

 後半は空路バガンです。ここの古代仏教遺跡群はインドネシア、カンボジアに並ぶ世界三大仏教遺跡の一つと云われるだけに驚きでした。

 古代の人々の思想と造形と技術と苦役を思いました。夕暮れの美しさにも魅せられました。感嘆の中に、しばし現実を忘れさせる美しさでした。開発がどうかこの環境を壊すことがないようにと願わずにはいられませんでした。

 寺院に見る建築技術、漆に代表される諸工芸品、人形劇など伝統文化もなかなか興味深いものがあり、この国の持つ秘めた豊かさのようなものを感じとることが出来たように思います。

 政治経済、現下の選挙情勢、労働運動の中の日下の農業労働者の活動、寺子屋教育、日本人墓地など貴重な数々の見聞、体験は他の方々のご報告書に譲り、旅の感想の一端を述べるに留めさせていた。

ミャンマー訪問の ビデオ「ミンガラバー 総選挙前 のミャンマー」