私の主張

「走る労ペン」は、外に向けて、新しい活動にも取り組みます!

2023/02/27

 
第7代代表 植木 隆司

私が社会部の労働記者を務めたのは80年代始めごろから10数年間だった。その頃は、国鉄改革問題を中心にして、政治も社会も大きく動いており、大手新聞各社には「労働ボス」のような。よくも悪くも存在感のある強者記者たちが多数いた。「労働省記者クラブ」で麻雀をしながら、タバコを吹かしていたし、業界誌関係の記者らも「三田クラブ」に集まり、日夜、取材競争に明け暮れたものだった。一方で、労戦統一の動きも進んでいた。麻布十番の電機労連会館には、「全民労協」があり、山田清吾事務局長のもと、笹森清さん(電力、元連合会長)ら、その後の労働界を背負って立つ人材が机を構えていた。そんな背景のもとで、1981年1月12日、東京・芝の芝パークホテルで、労ペンは産声をあげた。初代代表の矢加部勝美さんは、経過報告の中で「全くの任意団体であり、人間関係を大切にしたい」と述べている(会報・労ペン創刊号より)。銀座の銀座出版社に事務局を置き、前出ボス記者たちが談論風発、雄たけびをあげていたに違いない。

それから、42年が経ち、多くの先輩が鬼籍に入ったのは残念でたまらない。設立当初に設けられた「日本労働ペンクラブ規約」第2条(目的)によれば、「人間の基本的営為である労働を中心課題とし、労働に関わる政治、経済、社会、福祉、文化などの諸問題について言論、研究、出版等の活動に関わる者の親睦・交流・相互研究の場とする」と、格調高く、目的をうたっている。当初、50人で出発した組織は最多期で205人を数え、現在は180人となっている。しかし、内部の活動状況を見れば、2020年からのコロナ禍の影響もあるが、労ペンの従来活動のヒアリング・セミナー・国際交流・見学会等に、会員の高齢化により、参加者が減っていることも間違いない事実だ。今の労ペンは目的通りの、親睦、交流、相互研究の場として、本当に役立っているだろうか。

こうした状況に共通の問題意識をもち、2019年の山田計一代表のもとでの事務局長就任以来、幹事会では「走る労ペン」という合い言葉をつくり、労ペン活動全般での活性化を図った。労ペン創設40周年を前にした、2021年からは、日本では初めての「日本労働遺産」の認定交付活動を始めた。2022年に2件、本年も2件を認定した。もうひとつ、講師派遣事業の準備を進めている。いずれも、「内から外へ」、労ペンの活動を社会に広げ、そのことを通じて、内外に労ペンの存在を知ってもらうことが目的だ。私たち、労ペンは日本にひとつしかない、異業種・異職種横断の稀有な存在だ。従来の活動に加えて、こうした新しい取り組みにより、労ペンの団結を強めたい。そんな思いで、代表を務めてさせていただきたい。

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