私の主張

停戦と和平交渉に踏み切るか、悲惨な終局への道直進かの曲がり角―ウクライナ戦争の終わりの始まり

2023/10/16

 
会員・初岡昌一郎
・メールマガジン「オルタの広場」からの転載
(2023年9月号原稿・補正版)

2022年2月24日にロシアがウクライナに軍事侵入することで始まった戦争は、アメリカとNATOの軍事支援を受けて、ウクライナ政府が今年になってから対ロシア反転攻勢の段階に進んだと呼号してきた。しかし、最近の軍事専門家たちの解説が東部諸州における数キロ範囲の戦闘状況に絞られたミクロの動向に終始しているように、大局的に見れば硬直状態に陥っている。そのためか、お互いに首都に対して無人のドローンやミサイルの散発的攻撃で市民の恐怖心を煽る、嫌がらせ的な攻撃に手を染めている。このような作戦は、相手を軍事的に屈服させる目的ではなく、厭戦気分を醸成することを目的としているように見える。でもそれは一般市民の敵愾心をかき立てるだけで終わるかもしれない。そもそもこのような姑息な戦術にハイライトがあてられるのは、戦争が手詰まり状態にあり、武力による早期決着の見通しが失われていることを示している。

ロシアを盟主とするソ連邦の一部と最近までみなされ、主権国家としての歴史の浅いウクライナが、単独でロシアに正面から対抗する能力があると思う人はいない。ウクライナがロシアに軍事的に対抗し得ているのは、その国力と国民的な結束にもまして、NATO,特にアメリカの強力かつ持続的な軍事的経済的な支援があるからだ。

基礎的な国力を一見しただけでも、ロシアとウクライナが対等な戦争を行う相手ではないことがすぐにわかる。ウクライナの人口は4200万人(2014年当時)、この点ではヨーロッパでは7番目の大国である。しかし、他方のロシアは1億4800万人(2014年の数字)。人口で世界第9位だが、欧州第1位の超大国だ。

軍事力で見るとその差は、あまりにも歴然としている。ロシアは約100万人の常備軍(2017年)を保有し、軍事的動員可能予備軍はその10倍と呼号している。対するウクライナは、自前の軍隊組織の歴史が浅く、その軍隊は25万人(うち18万が軍人)程度とみられる。ロシアが「戦争」とは言わず、「特別軍事行動」と呼んでいるのは故なしとしない。ロシアは世界随一の核兵器の保有国であり、本格戦争となると危険極まりまない軍事大国だ。さらに、経済力の面ではウクライナは欧州最貧国のランクに位置しており、見るべき工業の発達はあるものの、基本的に農業国の域を大きくは脱していない。他方、ロシアは経済的にも大国であり、その国民は必ずしも豊かではないが、世界第3位の原油産出国で、豊富な資源を有している国だ。食料は自給自足できるレベルにあり、近年はアメリカを凌ぐ小麦の輸出国となっている。戦争とは直接関係ないが、次第に水資源不足が世界的に問題化している昨今、水資源大国ロシアが世界最大の真水供給力を有していることが再評価されている。それに反して、アメリカ、中国、インドなどの他の大国では深刻な真水不足が悩みの種となっている。
ロシアに対する経済制裁は一定の効果はあるかもしれないが、他の国に対するような決定打とはならない。ナポレオンやヒットラーに首都やその近郊まで攻め込まれても、最後は逆転勝利した経験と自信を誇りにしている。何しろ耐えることに想像を超えた能力を発揮してきた国民だ。

疲れが見え始めたアメカとNATOの軍事支援

ウクライナの対ロ善戦は、何よりもアメリカとNATOの軍事支援を抜きにしては理解できない。西側諸国の軍事支援は、在来型兵器を一新し、最新型兵器に入れ替える必要性の範囲では、非常に気前の良いものであった。でも、その段階は最初の500日でほぼ終わっている。つまり、それらの国による在来型保有兵器の在庫処分と更新の必要性が、ウクライナが求め続けている兵器供与の拡充ともはや噛みあわない段階に入っている。アメリカの新兵器供与は、その能力テストを実験的に行う範囲を出ていない。特に、ロシア本土を射程内に納める攻撃型新鋭兵器の供与については非常に慎重な態度がとられてきた。これは今後も変化するとは考えられず、したがって、ウクライナ軍が急速に軍事的な勝利を収める可能性は、ロシア軍の自発的な撤退がない限り、想定しにくい。

ウクライナ戦争の長期化と戦線の膠着化は、支援するNATO諸国内での「支援疲れ」を生みつつある. その典型的な政治的な現象の一つは、少なからぬ西欧諸国で勢力を増している右翼が概して親ロ的な傾向を顕著に示していることだ。他方、対ロ制裁を支持していきた左派やリベラル派はウクライナ戦争に飽き(その戦争の実態と悪影響に失望し)、次第に対外軍事支援よりも国内の福祉や社会政策に資源を配分することに、より強い関心を寄せるようになっている。それらはいずれも、一般市民の中に広がっている厭戦的な気持ちを反映している。

ウクライナ戦争の帰趨を支配する直接的かつ最大の要因は、何と言ってもアメリカの政治動向である。マスコミ論調を見る限り、ウクライナ戦争への関心と積極的支持は急速に薄れてきている。議会、特に共和党が多数を占め、予算の決定権を最終的に持つ下院では、ウクライナ軍事支援の拡大はおろか、継続にさえも批判的な意見が強い。次期大統領選に立候補する姿勢を崩さないトランプは、ウクライナへの軍事支援を打ちきると公言している。他の共和党候補が当選した場合でも、ウクライナ戦争支持に抜本的な見直しがおこなわれるだろう。収束の兆しが見えないインフレが国内の格差を拡大し、国内的な対立と国民の生活苦が深刻化しつつある状況から見て、大統領選までにバイデン政権と民主党自身が脱ウクライナ戦争の道を探ることも十分にありうる。ベトナムやイラク、アフガニスタンの歴史的経験から見ると、不人気となった戦争から離脱するアメリカの逃げ足はまことに速い。なりふり構わず、戦争の同盟者をも簡単に見捨ててきた。これは、アメリカの体質というよりも、戦争自体に内在する論理かもしれないが。
ウクライナ戦争の長期化は西欧同盟諸国にとって好ましくないことは疑問の余地がないほど明らかになっている。NATO内部でも、当初から戦争支持を保留しているトルコだけでなく、フランスも次第に和平促進の動きを見せ始めている。このような傾向が、今後次第に他の諸国でも顕在化する可能性がある。

こうした西側諸国の動向に敏感に反応して、ウクライナの政治と軍部の中枢に動揺が垣間見られるようになった。そのような兆しの典型が政権と軍部の中枢部における汚職・腐敗の顕在化と、指導者たちの国外逃亡準備とみられる動きが摘発されていることだ。戦時下では情報が厳しく統制されているので、ロシアでもウクライナでも言論や報道の自由はないが、トップエリートを巻き込む不祥事が漏れ出すようになっている。 戦時の一枚岩体制の維持は、ロシアでもウクライナでももはや不可能となりつつある。「タイは頭から腐る」という有名な格言が示しているように、最終的崩壊は常にトップのエリート層の意気阻喪と腐敗の中から始まる。

国際的に見ると、ロシアはいっそう孤立を深めている。ベラルーシが同盟国として支持しているが、しかしそれさえも全面無条件支持とは見られていない。北朝鮮の軍事協力が伝えられるほかに、ウクライナ戦争でロシアを公然と支持している国はほとんど見当たらない。旧ソ連邦諸国でさえほとんどの国がその立場を公然と表明していない。
他方、ウクライナの立場に支持を鮮明にしている国は当初から国際的には少数派であるが、その数は今後増えるよりも減少することが確実だ。 圧倒的多数の国は一方の軍事的勝利ではなく、戦争自体の早期終結を望んでいることは明白だ。

早期停戦と和平交渉を追求するグローバルサウス

こうした行き詰まり状態に対して、解決の曙光を示したのが、9月9,10の両日にニューデリーで開催された「G20サミット」であった。 その宣言が、通常は閉会時に出される「宣言」が初日の夜に採択されたことを「異例」とみることや、ロシアを名指しで「非難」していない点などが日本などの西側マスコミでクローズアップされただけで、宣言自体の中身や意義はあまり評価されていない。しかし、この短い宣言の中身と、そしてそれが米中ロ3大国を含め全会一致で承認された意義は、将来的に見て真に重要な方向を示すものである。

その宣言は簡潔に「すべての国は、領土獲得のための威嚇や武力行使を控えなければならない」、「核兵器使用の威嚇は容認できない」と述べている。このような原則自体は国連など国際機関や国際的な諸会議で確立されており、目新しいものではないが、これがウクライナ戦争を念頭に置いて宣言され、その承認でG20首脳会議がまとまったことを特筆すべきである。前年のインドネシア・バリにおけるG20サミット宣言が「ロシア非難」を含めているのに、「今回は何故しなかったか」という記者会見での質問に、インドの外相が「1年前と状況が違う」と答えたことは意味深長だ。それは和平の機が熟してきたという、判断を示唆している。それを逃さず、当事国に受け入れられる和平解決を探る時期が来たという認識を共有したからこそ、サミット宣言が批判ではなく、解決にのぞむ原則と和解を強調したとみるべきだ。ロシアとアメリカいずれもこれに異議を唱えなかったことが、単なる会議戦術によるものでないことを期待している。それは彼らも徹底的な軍事対決よりも、和平解決を選好することに理と利がある状況を無視していないと信じているからだ。

これまで、グローバルサウスはウクライナ戦争の停戦と平和的解決を求める大きな国際的な動きをあまりしてこなかったが、ついに「山が動いた」。この宣言の推進力は、アジア経済発展の中核となりつつあるインドとインドネシアの連携を軸としているが、それは間違いない。だが、影の先導者は、ブラジル(中道左派のルーラ新大統領は全国労働組合連盟元議長)や南アフリカ(ラマポーサ大統領は南ア労働組合会議元議長で、反アパルトヘイト運動の指導者)など、グローバルサウスの社会的政治的経験豊富な指導者たちであった。彼らは和解によるウクライナ戦争の終結を通じて、より平和で公正な世界を目指している。その手法が排除(エクスクルージョン)ではなく、包摂(インクルージョン)であることに注目したい。対立する両極化した陣営に声高く第三の道を提唱するよりも、対立する当事者すべてに働きかけて、和解と対話による積極的な合意を平和的に目指す道を選択している。かつて非同盟主義が目指した諸目的とその追求の方途から教訓を引き出し、今日の多極化した世界に対応しようとするグローバルサウスの成長と成熟に、さらなる期待感をもって注視したい。

(あとがき)

アメリカ(そしておそらく世界)で最も高く評価されている国際問題専門誌である『フォーリン・アフェアーズ』の2023年5/6月号が、「非同盟化された世界」というタイトルの特集をしているのを非常に興味深く読んだ。その紹介を本誌に書こうと思いながら怠けているうちに、それに触発されてこの拙稿を書く羽目になった。同誌特集はその巻頭論文として、プリンストン大学客員教授で、ブラジル人の著名な国際関係理論家マシアス・スペクトルによる「塀越に見る立場を弁護して - 西欧が誤解しているヘッジング(垣根を低くする活動)」というエッセイを掲載している。大意は「現代世界は冷戦時代と違い多極化しており、イデオロギー的政治的同盟による分断ではなく、多極化による分断が問題である。世界構造は既に非同盟化されているので、グローバルサウスは「非同盟」にとどまるのではなく、もっと積極的にあらゆる利害関係者(諸国)と関係・対話をもつ「垣根崩し」の戦略が必要」としている。このヘッジングによる和解戦略に照らしてみると、今回のG20サミット宣言の趣意をよりよく理解できる。

(筆者は国際関係研究者)

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