私の主張

幕末のフランス人上陸でキリスト教宣教が再スタート~九州の視点からの考察~(後編)

2026/02/09

 
会員・小野 豊和(元東海大学教授)
(NPO現代の理論・社会フォーラム経済分析研究会のメールマガジン第378号 =26年2月1日付より転載)

フランス革命後の混乱期を経て、フランスではカトリック信仰復興の気運が高まり、修道会に属さない教区司祭がパリ外国宣教会を設立すると、ローマ教皇庁が日本での再宣教を委託した(1838年)。パリ外国宣教会の日本宣教の使命は「宣教地を開拓して教会を建設し、邦人司祭を養成してこれに託し、新たな新開地へ行く」。日仏修好通商条約締結後の1860年にルイ・フューレ神父らが来日し長崎で大浦天主堂を建設、これが潜伏キリシタン発見につながり、日本のカトリック復興の道を切り開いた。

時代を遡るが、大航海時代、ヨーロッパの地図にAMACUSAと記されていた。天草ではザビエル宣教以降、2代目のトルレス神父によって早い時期から多くの信徒が生まれた。イエズス会員ヴァリニャーノ神父の発案でキリシタン大名となった大友義鎮・大村純忠・有馬晴信らの名代として、有馬セミナリオ(小神学校)の4人の少年(伊東マンショ、千々石ミゲル、原マルチノ、中浦ジュリアン)を1582年に天正遣欧少年使節としてローマに派遣した。ポルトガル、スペインで歓迎され、ローマ教皇に謁見した。ヨーロッパの新しい知識を身につけ1590年に帰国。持ち込んだグーテンベルグ印刷機によって聖書だけでなく『天草本伊曾保物語』等が出版されるなど、天草、島原で南蛮文化が花開いた。

一方、指導者を失った潜伏キリシタンたちは、長崎周辺(浦上、長崎港外の島々、外海)、平戸、生月島などで250年間信仰生活を守ってきた。五島藩が荒地開拓のための農民移民を大村藩に要請した頃(1797年)、外海には約3000人の潜伏キリシタンがいた。開国したとはいえ、まだ禁教令下で行動が制限されていたが、フランス人神父たちは危険を顧みず、山間の外海、五島の島々に出向き支援を行った。

1873(明治6)年、キリシタン禁制の高札が撤去されると、外海地区担当のド・ロ神父が山間に畑を開墾し併せて授産場を設けた。ド・ロ神父は父親がフランス貴族の血を引く農業経営者で、農業・土木だけでなく印刷・医学の知識も持っていた。赤痢・天然痘が流行すると、浦上四番崩れで生き残った信徒たちを迎え、松永マキ等を看護婦として育成し「十字会」(後のお告げのマリア修道会)の基礎を築いた。出津救助院を建設し、2階は未亡人の貧困女性50数名の共同生活の場、1階は仕事場として日本初のマカロニ、そうめんの生産、また小麦、イチゴ、トマト、落花生等を栽培し長崎外国人居留地で販売した。さらに出津救助院に診療所と薬局を開き日本人医師に西洋医学を指導した。

女子修道会の来日で広がる医療・福祉・教育

プチジャン神父はローマへの信徒発見の報告に併せて、パリで指導していた女子修道会に日本派遣を要請した。そして、信愛女学院のショファイユの幼きイエズス修道会は神戸に(1877年)上陸、1889年に熊本に来て孤児のための天使園を始めた。マリアの宣教者フランシスコ修道会は熊本に来て(1897年)、ハンセン病治療の療養施設「待老院」を建てる。白百合学園のシャルトルの聖パウロ修道女会は1877(明治9)年に函館に上陸し1900年に九州熊本の八代に来て社会福祉施設(八代ナザレ園)を建て、2025年に125周年を迎えた。サンモール会(現幼きイエス会)にも声を掛け、1872年に神奈川(横浜)に上陸し、教育と社会福祉に力を入れ、1925年九州福岡に双葉幼稚園を設立、現在の福岡雙葉学園につながっている。

バチカンの指導の下、1891(明治24)年、日本全国に司教区制を導入し、東京大司教区、函館司教区、大阪司教区、長崎司教区が誕生した。1926(昭和元)年、函館司教区司祭の早坂久之助神父を日本人初の司教に任命、1928(昭和3)年1月16日、長崎司教に着座した。そして長崎教区(九州全体)を3分割し、?長崎教区(長崎市内)を邦人司祭に、?福岡教区(福岡、佐賀、熊本、大分、宮崎の5県)をパリ外国宣教会に、翌年、宮崎と大分を分離しサレジオ会(1925年に来日)に託した。そして?鹿児島教区(鹿児島県)をカナダのフランシスコ会に託すことで今日に至るカトリック教会の組織の原型ができた。

「イタリア&天草新しい友情プロジェト」スタート

2025年9月、ローマに近いルッカ教区司教一行が大航海時代の地図に書かれたAMACUSAを訪問。潜伏キリシタンの末裔で漫画家の高濱寛氏が、天草四郎の物語をイタリアで出版した。2024年にルッカ教区で開催された漫画シンポジウムでの高濱氏の講演を機に「天草&イタリア新しい友情プロジェクト」(添付図)がスタート、インバウンドを含めた「福音への道」が動き出したのである。(おわり)

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