関西支部発

労ペン国際交流事業 台湾訪問報告 ~日台関係の発展を願って~

2024/04/01

 
関西支部代表・森田定和(特定社会保険労務士)
(関西支部通信第41号=24年1月号から転載)

1.台湾訪問のスケジュール

2023年日本労働ペンクラブの国際交流事業・台湾訪問、「中華民国・台湾の今を探る旅 台北 6日間」 (5泊6日、11月12日(日)~17日(金))に参加しました。

10月4日(金)15:00~17:00に事前説明会・勉強会が、ちよだプラットフォームスクウェア5階506会議室(JR神田駅下車)で開催され、佐味裕介・元(公財)台湾交流協会台北事務所副代表による「台湾の政治・経済事情~この10年から2024総統選まで~」と題する講演がありました。台北事務所の副代表という

スケジュール
1日目(12日) 06:35 羽田空港集合、出国手続き
08:35 羽田空港発JL 097 ✈日本航空
11:40 台北空港(松山空港)着、昼食
午後、台北市内視察(龍山寺・中正紀念堂 等)、夕食(台湾料理)
2日目(13日) 10:30 ①台湾交流協会台北事務所訪問
13:30 ②台湾ジェンダー平等教育協会 〃16:00
③朝日新聞特派員講演会+会食
「台湾の実情と課題~マスメディアからみた台湾~」(石田耕一郎・朝日新聞台北支局長)
3日目(14日) 10:30 ④中華民国全国工業総会訪問
13:30 ⑤行政院労働部 訪問
16:00 ⑥IHI Taiwan Corporation 訪問
4日目(15日) 10:00 ⑦石油工会(労働組合)訪問
12:11 台湾高速鉄道にて、台鐡苗栗駅へ
14:00 ⑧裕隆汽車製造会社 訪問(日産系)
16:00 視察後、高速バスで台北へ(2時間半)
5日目(16日) 午前 忠烈祠にて衛兵交代見学、故宮博物館入場
午後 自由行動
6日目(17日) 利用航空会社:日本航空
15:35 台北空港発JL098
19:20 羽田空港着、解散

(3日目14日、中華民国全国工業総会 訪問)ポストは普通の大使館であれば公使に相当します。私は、ZOOMによるオンラインで参加しました。

訪問日程は上記のとおりで、ホテルは台北市の美麗信花園酒店 (ミラマーガーデン台北)に連泊しました。

訪問先などの選定理由は次のとおりです。

  1. 日本台湾交流協会台北事務所
    日本台湾交流協会台北事務所は日中国交正常化によって閉鎖された在中華民国日本国大使館に代わる在台湾日本政府代表部として機能しているため。
  2. 台湾ジェンダー平等教育協会
    台湾はアジアで男女の平等が最も進んでおり、その要因として教育分野の果たした役割は大きいと言われているため。
  3. 新聞社特派員の講演(レクチャー)
    政労使の当事者からのヒアリングのみでなく、第三者的な視点から見た台湾を学ぶ。
  4. 中華民国全国工業総会
    台湾の使用者団体であり、日本の経団連も加盟する国際経営者団体連盟に台湾から加盟する唯一の団体であることから選定したもの。
  5. 行政院労働部
    労働関係を所管する行政機関であることから選定したもの。
  6. 日本企業(IHI)の台湾支社・事務所駐在員の講演(レクチャー)
    台湾の経済社会のなかで活動する日本企業の実務者からみた台湾の実情を学ぶ。
  7. 石油工會(労働組合)
    労働組合(産業別組合)からみた労働の実態について理解を深める。
  8. 日系企業の自動車製造工場見学・労組訪問
    日系企業の工場見学や労使関係などについて学び、個別企業労組から見た労働の実態について理解を深める。

訪問先の概要や質疑応答、参加者の感想文などについては、2月末の会報『労働ペン』発送時に同送される訪問団報告書をご一読ください。

2.訪問の余韻、深まる台湾への理解

  1. 5日目の11月16日(木)10時前に、故宮博物館の1階で訪問団の一行がエレベーターを待っている所に、少し離れた所から年配の女性を車いすに乗せて年配の男性が急ぎ足で近づいて来ました。
    そして、女性がニコニコしながら言いました。「日本から来られたんですか。」そうですよと口々に言いますと「戦争が終わったとき、私は小学2年生でした。日本の方に会えてうれしい!」と身振りを交えて言われ、驚きました。戦争が終わった1945年から78年が経っているので、今の年齢を推測すると85歳ぐらいの方でした。エレベーターが来たので一行は乗ってしまいましたが、ほんのわずかな間の出来事でした。台湾統治時代の面影を目の当たりにして余韻が残りました。
  2. 台湾は九州より一回り小さく36,000㎢、人口は2,331万人(2023年)。本省人(73%、福建省系、台湾人)、外省人(13%、1945年~)、客家(ハッカ、12%、広東省系)、原住民(族)2%で構成され、台湾人口の88%が原住民の祖先を持つというDNA調査もあります。アイデンティティは、80年代の民主化や地元文化の再評価を経て、全体的には「私は台湾人」と考える人が60%を超え、「台湾人&中国人」35%、「中国人」3%となっています。独立も中国との統一も望まない「現状維持」は約6割の民意となっています。
  3. オランダ統治時代(1624年~1662年)を経て、清国の支配下に。1894(明治27)年、朝鮮において政府の専制政治に対する大規模な農民の反乱(庚午農民戦争、東学の乱)が起き、朝鮮政府の要請を受け、清国が出兵したことに対し伊藤内閣は軍隊を派遣、日清戦争となり、日本が圧倒的に勝利しました。
    1895年の日清講和条約により台湾の割譲などが決められ、日本による植民地支配が始まり、1945(昭和20)年8月までの50年間、日本による統治が行われ価値観を強制されました。抗日運動もありましたが、初代民政長官であった後藤新平以来、植民地政策とはいえ、マラリアなどの伝染病予防対策などの衛生事業、浜野弥四郎に学んだ八田與一による烏山頭(ウサントウ)ダムなどの発電・灌漑事業などは今日でも業績が評価されています。他方、大陸では、1911年10月10日に清の湖北省武昌で兵士たちの反乱、武昌蜂起があり、孫文による辛亥革命へと続き、中華民国が成立していました。
  4. 第二次世界大戦での勝利が決定した中華民国は、主要戦勝国の一国として国際連合の設立メンバーとなり、日本の降伏後、GHQからの委託に基づき、日本軍の武装解除のため、1945年10月15日に蔣介石率いる政府軍約12,000人と官吏200余人が台湾に進駐しました。上陸後に婦女暴行や強盗事件が頻発、そのうえ役所の要職は大陸からの外省人による独占や役人と軍の腐敗などに対し、1947年2月28日に台北市で本省人(台湾人)民衆が蜂起(二・二八事件)、その後全土に広がり、蒋介石はこれを徹底的に弾圧・虐殺しました。台湾省政府を設立して台湾の統治を開始した経緯があり、国民党の圧政に比べ日本統治の方がまだましだったという意識を育んだ背景との指摘があります。
  5. さる1月13日に投開票された台湾総統選挙において、与党・民進党(民主進歩党)の頼清徳(64)候補が当選。2016年から8年間続いた蔡英文(67)総統から政権を受け継ぐことになり、民進党政権はさらに続くことになります。台湾は世界の半導体受託製造分野で世界の60%以上のシェアを占め、半導体産業の動向に世界から注目が集まっています。「侵略者の善意に頼らない」姿勢で、日本や欧米との連携強化を通じて安全確保を図ろうとしています。日本は「台湾有事」を声高に叫ぶのではなく、日中外交を通じて両岸関係のリスクが増大しないように尽力すべきです。人々の優しい心遣いに幾度も触れられた今回の訪問。日台交流が一層発展することを祈ります。

20240401.jpg

過去記事一覧

PAGE
TOP