私の主張

「会報194号」(2018年2月25日発行)

2018/02/25

 

「労働を軸とする文化」の視点を

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安倍首相は今国会の施政方針演説で「誰もがその能力を発揮できる、柔軟な労働制度へと抜本的に改革します。戦後の労働基準法制定以来、70年ぶりの大改革であります」と大見得をきった。「改革」の内容はすでに紹介されている。「長時間労働慣行の打破」と「同一労働・ 同一賃金」が柱だろう。しかし、ほんとうに過労死をなくすような「長時間労働の慣行打破」は可能なのか?職務分析評価に基づくべき「同一労働・同一賃金」は手当などの「均衡・均等待遇」に留まっていないか?

真のねらいは「柔軟な労働制度へと抜本的に改革します」という言葉に隠されている。安倍首相は「世界で一番企業が活躍しやすい日本にする」と打ち上げたが「世界一労働者が働きやすい日本」とは決して言わなかった。罰則を備えた「時間外労働の上限規制(週45時間)」を設けたと自画自賛している。しかし、未だに批准されていないILO第1号条約(8時間労働制)の原点が見失われていないか。「人間らしい生活ができる残業なし」の8時間労働制を夢に終わらせてはならない。月45時間の「残業」を常態化してはならない。そのためには8時間を超えた場合の割増率を罰則(ぺナルティ)として世界の標準である50%にすることが必要に思う。

オーストラリア・メルボルンにある「888タワー」は19世紀半ばに勝ち取られた8時間労働制を記念し1903年に建設された。「8時間は労働(Work)、8時間は人間性の回復(Recreation)、8時間は睡眠・休養(Rest)」を示している。 そこに「残業時間」が入る余地はない。残業時間が割って入り込めば、その分人間らしい生活と文化が削られていくからだ。「働き方改革」は「労働を軸とする文化の改革」でもある。「働かせ方改革」に終わらせてはならない。

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小畑精武

「働き方」と「働かせ方」の矛盾を孕んだ法案

安倍首相は一連の法改正を「働き方改革」と言っているが、目玉である同一労働同一賃金と労働時間の罰則付き上限規制等は労働者と企業に働き方の見直しを促す基本的枠組みの整備にすぎない。言うまでもなくこの仕組みを活用するかどうかは労使の判断に委ねられている。

同一労働同一賃金と労働時間の上限規制は処遇向上と健康確保を目指すものであり、労働者に優位な仕組みといえるが、一方、高度プロフェッショナル制度と企画業務型裁量労働制の拡大は″働かせ方〟を柔軟にできる、経営サイドのフリーハンドを高める仕組みである。

同一労働同一賃金を徹底しようとすれば、従来以上の人件費増は避けられない(正社員の処遇を下げないという前提)。上限規制を遵守しようとすれば、業務量削減のためのIT化投資や人員補充のための人材投資も必要になるだろう。一方、高プロと裁量労働制の拡大は職種と年収は限定されるが、短期的には人件費削減効果のメリットと中・長期的には貢献度の高い自律型の労働者の増加を促すかもしれない。

ただしその前提として出勤・退勤の自由が保障され、会社との「合意」を可能にする交渉力を持つ個人である必要がある。ちなみに最近の労働市場で人材需要が多いAI やフィンテックなどの特殊技能を持つ高度テクノロジー人材は双方の合意で高年収の契約社員化の形を取るケースが増えているが、彼らは新制度に見合う人材かもしれない。だが制度を悪用し、従来の裁量労働制のように出勤・退勤の自由や交渉力のない社員に適用すれば長時間労働や過労死を招きかねないリスクもある。

いずれにしても法改正は最低限の枠組みにすぎない。それを自社の制度に落とし込んでワークス夕イルを変革していくには個別労使の制度づくりや運用など不断の努力と見直しが不可欠だ。企業の持続的な成長を促す人事・人材戦略として、労使が知恵を絞って前向きに取り組んでいくかどうかが問われている。

溝上憲文

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