2023/05/15
森下一乗(会計監事)
人はなぜ戦争をするのか、長年にわたって疑問であった。84歳になった今、本を読んだり、長年の経験から、なぜなのか考えてみた。
1.戦争は忘れないことができるか。
2023年2月、妻と九州鹿児島への旅に出た。あまり意識していなかったが、知覧への立ち寄りが計画の中に入っていた。訪問したいという気持ちはなかった。バスガイドが知覧特攻平和会館に立ち寄るとの説明を始めた。
不意をつかれた私は、今回はパスしようかという気持ちであった。しかし、ガイドは学徒出陣で、特攻隊に入って戦死した若者の話を始めた。話を聞いている間、涙が止まらない。そうだ、戦争を2度と起こさないことを誓ったのは自分ではなかったか。ここで逃げてはいけないと思いなおして、戦死した方のためにも、記念館を訪問することにした。バスの乗客のうち、3割ぐらいの人が記念館の前で降りたが、後の人は、戦争とは無関係の武家屋敷を見に行ってしまった。
戦争体験は、できることなら避けて通りたいのが人情なのか、戦後、78年を経過して、記憶は薄くなりつつある。
記念館には、特攻機で戦死した数百人の方々の写真があり、それぞれのボタンを押すと、辞世の句、遺書が表示されている。涙なくして見れるものではない。父母への手紙、友人への別れの手紙、片道切符の特攻機に志願した方々である。
帰りのバスでも、若者たちの話が続く。特攻に出て、そのあと蛍になって帰ってきた話を聞くにつれて、涙が止まらない。逃げたいような、避けたいような自分の気持ちがあったが、その後、夢を見るようなショックであった。そこではたと気が付いたのであるが、人はなぜ戦争をするのか、よく考えないと、戦争をやめることができないということである。図書館に通って、戦争がなぜ起こるのか、勉強した。
現在でも、この文明の発達した今でも、ウクライナの戦争は続いている。終わるめども見つけられていない。人類は、紀元前から、戦争を継続してきたのである。
戦争をしないために、戦争の記憶をなくしてはいけないという。しかし、人は忘れることもその本能を持っている。
私自身も、終戦の時(昭和20年)、6歳で、北朝鮮から引き揚げてきた。兄と2人で、密航船に乗り、38度線までたどり着いたのだが、その経験は、残留孤児の一歩手前であった。
軍国少年であったから、あと数年戦争が続いたら、きっと戦争に志願したことであろう。改めて、戦争をしないこと、平和を守るために、何が必要か考えてみたのである。
第2次大戦で亡くなった方は、一般人を含めて310万人、特攻で亡くなった方は、4615人、志願という形ではあるが、国の命令で亡くなったのである。
軍国時代の少年は、非国民といわれることを嫌うであろう。国家は、あえて国民に戦争を志願するか、いやでも徴兵制を行うことで、死を覚悟させることになる。
日本の兵隊は、戦争で亡くなったのでなく、遠距離の戦地で、補給線が途絶えて、餓死するという悲惨な戦いを行った。お国のために、戦死、あるいは餓死したのである。
国と国の戦いは、死力を尽くして継続されることになり、自然に終わることは期待できない。ウクライナの戦争も、恨みは暴力を呼び、終わりのきっかけさえも見つからない。
我が国も、人類初の被爆国になって、はじめて、終戦を迎えたが、通常の戦いであれば、本土決戦が続き、より多くの国民が戦死することになった可能性は高いのである。
戦争はなぜ起こるのか、人は人を殺さないというDNAを持っていないのであろう。人の本性の中に、動物と同じような闘争本能が含まれているのであろう。
我が国は、敗戦の後、幸いなことに、長い間の平和な時代を経験したが、これは、放置しておくだけでは、維持できないと思う。平和のためには、命を懸ける心構えが必要なのではないか。待てば、平和が来ることはなく、相手次第では、戦争に巻き込まれるのであろう。平和のために、何をすべきか考えていきたい。
我が国も、1945年の敗戦から、78年という平和の時代を経験してきた。一部には、この平和はほっておいても継続するであろうという楽観論も存在しているであろうが、それは甘い考えかもしれない。悪意の第三国が、豊かな日本を属国にしたいと考える可能性もあるのである。
2.「人はなぜ戦争をするのか。」アインシュタイン、フロイト。(1930年9月)(講談社、学術文庫、600円、第18刷発行。)
1930年、国際連盟の呼びかけに対して、アインシュタインは問いかける。人はなぜ戦争をするのか、その問いに、ジグムントフロイトは答える。アインシュタインは、すべての国家が一致協力して一つの機関を作り上げ、そこに立法と、司法の権限を与え、紛争が生じた場合は、この機関に解決を任せることで、平和を保てるのだという。そこですぐに、最初の壁に当たります。正義を実現する権力が必要になってくる。
戦争を避けるためにどうすればよいか、教えてほしいと、フロイトに問いかけます。
心理学者、ジグムント、フロイトは答えます。
権利と暴力は、密接に結びついており。人は動物と同じように、暴力で決着をつけている。各都市、地方、部族、民族、国家の間の対立は、常に起こる。
人は、エロス的欲動(愛、生の欲動)と、攻撃的破壊欲動(死の欲動)の2つの欲動を持っている。また、人は指導するものと、従属するものに分かれる。人の心の中に闘争本能がある。しかし、心と体は、戦争に反対し、憤りを覚える。
戦争を避ける唯一の道は、人類の文化度を上げていく道である。文化の発展は、心の在り方を発展させる。人は子供を産まなくなるが、それは、戦争がもたらす、とてつもない惨禍への不安が、戦争を避けたいという心を生み出すのである。フロイトは、以上のように答える。
3.本を読んだ後の感想。
古くから、人は暴力から脱皮できていない。暴力、殺人、盗難、歴史が始まって以来、戦争、暴力は繰り返されている。現代のロシアによるウクライナへの侵攻も、戦争の一つであり、中止する気配もまだ見えていない。人は、知恵を備えている。知恵を集めることによって、戦争、暴力を克服できたであろうか。その答えは「否」である。
怒り、憎しみ、悲しみ、闘争本能は収まらない。
核戦争についても、大国が核を使って戦争を始めると、人類は滅亡の道を歩むことになることが想定されるのに、相手の身が滅亡して、自分だけは生き残ると考えているようだ。
人間は知恵を集めることによって、平和を実現できるのであろうか。我が国のように、憲法で不戦を表明しても、他の国が力で他国を征服しようと攻めてくると、平和は実現しない。そこに、自衛権という考えが出てくる。
すでに、国連があり、紛争の解決に一歩前進している点もあるが、現実には、大国の拒否権によって、紛争解決の決議をすることも現実的でない状況にある。本当に、戦争をしない道はあるのであろうか。よい知恵が浮かばない。
4.「永遠、平和のために」カント著、(1795年、岩波文庫580円、第52刷発行)
1795年といえば、220年前の本であるが、52刷も我が国で人々に読まれているのは、いかに人が戦争と平和について考えたかを物語る。カントは言う。
- 戦争の種を含んだ平和条約は、平和条約ではない。
- 独立した国家は、交換、買収によって取得することはできない。
- 常備軍は全廃しなければならない。
- 国家の対外紛争に関して、いかなる国債も発行してはならない。
- いかなる国家も、他の国家の体制や、統治に暴力をもって干渉してはならない。
- いかなる国家も、平和時の信頼を不可能にする行為を行ってはならない。
永遠平和のための確定条項。
- 各国家の市民的体制は、共和的でなければならない。
- 国際法は、自由な国家の連合制度に基礎を置くべきである。(国際連合の提言)
- 世界市民法は、友好をもたらす条件に制限されなければならない。
- 第1補説。永遠平和の補償については、偉大な自然の技巧に任せるべきである。
- 第2補説。永遠平和の秘密条項、平和を可能にする諸条件について、哲学者が忠告すべきである。
カントが、17世紀に、平和について、深く考えて、世に問うたことは記憶にとどめておくべきであろう。特筆すべきは、①軍隊の廃止、②民主主義の実現、③国際連合の提唱であり、哲学者にそれらの知恵を出すことを求めている。
カントは、常備軍を廃止することが戦争を行わない方法の一つだと述べている。軍隊の存在が、その費用負担が原因となって、戦争が起こることは、当時の時代背景から、正しい指摘であろう。その後、各国は軍縮を議論し、国連軍を創設して、平和への努力を前進させている。
5.戦争をしないための方策を考える。
先人の知恵に学ぶことは多いが、人類は今現在、戦争をなくすことに成功していない。紛争、戦争は各地で起こり、戦争が継続中なのである。
しかし、前進もある。①国際法の定着、②国際連合の進展、③核戦争の危険性についての合意、④人と人の交流による平和の持続、⑤民主的な政治による紛争の減少、⑥地球全体の問題を共通して認識する動き、⑦平和を求める国、国、と人々の連帯、等、以前に比べて独裁的な国が減少していることも、明るい兆しである。
争い、戦争は、第3次世界大戦で地球を破壊的に消滅させる危険がある。
フロイトの言う、人類の文化度を上げることは、人の闘争本能を抑えて、よき未来を求める心を形成し、戦争を避けるという考えは、一つの希望である。
しかし、人類は、多面的で、戦う本能に従う国も世界に存在し、こんごも継続して存在する可能性がある。
そこで、具体的に戦争をしない方策を考えてみる。
- 戦争を忘れないこと。
人類は、戦争の悲惨さに目を覆い、2度と繰り返さないことを誓う。しかし、平和が続くと、努力しなくとも平和が守られると期待する動物である。戦争を忘れないで、その悲惨さを思い続けることは、抑止力になるであろう。人類は、戦争の悲惨さに対して忘却しないことに注力すべきである。 - 民主国家を育て、選挙に行くことである。民主主義の基本は多数決である。地球の大部分の国が、民主国家であれば、一部の指導者の暴走で戦争に突入することが減少する。独裁国家が危ない。平和への民意が、あらゆる国々で、絶対多数でなければならない。
- 国際法の制定。
紛争の解決方法、国と国との関係を律する法を制定する。国際法の権威が高まれば、争いは少なくなる。国際組織の決議を行う仕組みと、それを守らせる力を持つことである。個別の国の横暴を許さない仕組みが必要である。国連平和軍がそれにあたるであろう。 - 憲法の制定。
我が国は、敗戦国である。その結果、平和憲法を現在もっている。この平和憲法を守ることである。第9条は改変することなく、維持すべき条文である。不戦を表明することで、国と国との争いは少なくなる。併せて、国を守る教育を行う。平和を守ることと、自衛権は尊重する。自衛隊は必要である。
スイスのように、不戦を表明するが、国民が防衛のために戦う意志は強い。 - 平和のために戦う気持ちを持つ。過去の軍国日本のように、お国のためではなく、平和のために戦う意志を持つことである。戦わない意思のみでは平和は到達できない。平和な国を維持し、家族、民族、自由のために、命を懸けて戦うことを誓うことである。
戦争をしない道を考えたが、道は遠い。平和ボケにならずに、平和を熱望しよう。人類には知恵がある。人間は、動物を超えて、英知で物事を処理していく道を選ぶことができる。闘争本能に負けてはいけない。(2023年5月1日)