私の主張

「日本の適正な最低賃金制度を考える」~EU最賃指令に倣って~

2025/03/03

 
会員・高木雄郷(経営民主ネットワーク事務局長)
〖経営民主主義・第87号(2024年12月)〗から転載

1 はじめに ―ドイツの最賃15ユーロへの引上げ

いま、社会・政治経済の右傾化の流れが強まるドイツから、革新的なトピックスが入ってきた。

ドイツ連邦労働・社会省によれば、2026年1月から、全国一律法定最低賃金額を「時給15ユーロ」(2,490円)に引き上げられ、20%も上昇(2024年10月時点・時給12.41ユーロ=2,060円)し、国内低賃金労働者800万人に恩恵、エンゲージメント(個人の成長や働きがいを高める)の影響を及ぼすという。ドイツは、ルクセンブルク(2024年12月時点・同2,673円)に次いで、ヨーロッパで2番目に高い最低賃金国になるわけだ。

ちなみに、ドイツの政治的ライバルであるフランスでも、2024年11月に法定最低賃金(時給)を物価上昇率が2%を超えたため、11.88ユーロ(1,972円)に引き上げ、実施する。また、英国も2024年4月から最低賃金を成人向けが時給11.44ポンド(2,253円)で対前年比9.8%増。18~20歳の労働者は同8.6ポンド(1,694円)、16・17歳は6.4ポンド(1,260円)に大幅引き上げられた。この改訂により、約270万人の賃金の向上がはかられるという。<図表1・2参照>

周知のように、ドイツでは2015年1月に全国一律の法定最低賃金制度を導入した。以前は、北欧諸国と同様に、最低賃金は(産業別)労働協約によって設定、カバーされていた。ところが、1990年代以降、欧州最大の「低賃金セクター」の一つが出現し、団体交渉による最低賃金基準のカバー(拘束)率が着実に低下していた。その背景には、ドイツの労働組合が法定最低賃金に対する以前の懐疑的な立場を変更し、ナショナル(全国民)賃金フロアのための大キャンペーンを実行したことなどが挙げられている。

しかし、雇用者側の反応は大半(特に旧東ドイツの中小企業経営者グループ)が法定最賃制度の導入に反対して、経済に悪影響を及ぼす可能性を示唆した。実際、彼らは最大100万人の労働者がこの新しい最賃制度で失業すると予測した、多くのエコノミストに支えられていた。

逆に、労働者側に立つ研究集団の見方の多くは、法定最低賃金が労働市場に大きな悪影響を及ぼすことなく、最下層の低賃金労働者の強い賃上げにつながったことを示すものであった。

ただし、当初の法定最賃額・時給8.50ユーロ(1,156円)の設定基準は、全国フルタイム(正規)労働者賃金の中央値の48%に相当し、かなり低かった。 したがって、一部の低賃金労働者に十分な収入を提供し、低賃金セクターを削減するという期待に応えることが出来なかった。その意味で、当時(2022年)の法定最賃(時給)12ユーロへの引上げ決定は、文字通り、当該680万人の労働者が安定生活賃金を得るという革新的漸進的なものだったと言えよう。

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このため、今回のドイツのショルツ政権(社会民主党と緑の党)のポジティブプランの決定は、それに続く画期的なEU全体の適切かつ公正なる「最低賃金に関する指令」(EU最賃指令:2022年10月成立)に沿うものである。
なぜならば、これまでのドイツの最低賃金基準(しきい値)は、全国総フルタイム労働者賃金の中央値の60%または総平均賃金の50%というEU最賃指令案の基準値から相当離れており、購買力(1人時間当たり労働生産性)等とも余り連鎖していなかったからだ(図表3)。

そこで、法定最賃額が時給15ユーロに上昇すると、ドイツの基準値は総賃金中央値の60%以上になり、公正なる労働分配制度確立の強いシグナルとなる事が期待される。
いずれにせよ、ショルツSPD・緑の党連立政権は、来年(2025年)3月の連邦議会選挙を控えて、とりわけ政府与党を支援するDGB(ドイツ労働総同盟)では最低限の労働者保護を確保し、インフレ上昇分を補うには法定最賃を最低でも、EU指令(フルタイム労働者賃金の中央値60%=15.27ユーロ)に引き上げるべきだと主張。引き続き、この与党方針を支持強化する構えだ。

2 EUの最低賃金指令について

それでは、次に欧州の低賃金層(=相対的貧困者)に多大な恩恵を与えることになる「EU最低賃金指令」について分析、今後の課題を追ってみよう。

欧州委員会は、2022年11月、EEA(欧州経済領)域内における最低賃金の適正化をはかる「EU指令」を官報告示、発効した。各加盟国は最賃指令の規定を2年以内に、国内法への転換・適用を2024年11月15日までに施行することを報告、求められる。

今回のEU指令は、最低賃金制度や労働協約を通じて設定される賃金の最低基準に関して、加盟国の慣行を尊重しつつ、適正な水準の目安となる指標の設定や水準の決定などにおける労使の参加、また労働協約や法定最低賃金による保護の状況についてのデータの収集・報告などを求めることで、水準の引き上げや適用拡大に向けた取り組みの促進をはかる目的・内容である。

(1)加盟各国の制度や慣行を尊重

欧州委員会では、EU域内の多くの労働者が最低賃金制度による保護を受けていないか。制度があっても設定額が低い状態にあるとして、適切な水準の最低賃金額の設定と、労働者が労働協約や法定最低賃金による保護を受け易くするための枠組み(基準)の構築を、指令案のねらいとしていた。

実際、スウェーデンやデンマーク、フィンランド、イタリアなどの加盟国においては、最低賃金制度ではなく、労働協約によって最低基準の設定が行われている。70~80%以上の高い協約適用率を背景に、低賃金労働者が少なく、最低基準の水準も高い傾向にあるという。このため、欧州委員会は各国で構築された制度や慣行に反して、法定最低賃金の導入や労働協約の全般的な適用を義務付けるものではないとしている。

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(2)指令の主な内容

同指令における「最低賃金」は、法定最低賃金と労働協約により設定される最低基準の双方を指す。そして、まずは労使交渉を通じた賃金決定を重視する方針を明確に示している(第4条)。

具体的には、各国に対して、業種別または業種横断的な労使交渉による賃金決定に関する労使の交渉能力の構築と強化とともに、建設的で意義のある、情報に基づいた労使間の賃金交渉を促すことを求めている。

さらに、労働協約の適用率が労働者の80%を下回る加盟国に関しては、労使団体と協議の上、労使交渉の実施に関する環境整備を法的あるいは労使協定により行うこと。このためのアクションプラン(行動計画)を作成することが併せて求められる。アクションプランには明確なスケジュールを盛り込むことのほか、最低でも5年ごとの定期的な見直しの実施が義務付けられ、また作成・改定の都度、これを公表するとともに、欧州委員会に通知しなければならない規定である。

前述した通り、指令における最低賃金(minimum wage)は、法定最低賃金と労働協約により設定される最低基準の双方を指すが、主な内容は<法定最低賃金>に関するものだ。例えば、ドイツをはじめ最低賃金制度をもつ加盟国は、最低賃金額の設定・改定手続きの確立とともに、適切な水準への設定・改定のための基準を設定しなければならない(第5条)。

この基準は、各国の慣行(法定、専門機関による決定あるいは三者合意など)に基づいて設定することができるが

  1. 最低賃金額の購買力(適正生活費を考慮)
  2. 一般的な賃金水準や労働分配の状況
  3. 賃金上昇率
  4. 長期的な生産性の水準・動向

などの各要素を含まなければならない。

その他、物価による自動調整メカニズムを併用することも可能(フランスで適用)だ。

殊に、各国には適正さを評価するための目安(しきい値)となる額を設定することが求められているのが特徴。指令は使用可能な指標として、統計上の税引き前・フルタイム正規従業員賃金の中央値の60%、または同賃金平均値の50%、そして各国で使用している目安となる額などを挙げている。 

一方、各国は少なくとも2年に1度(物価連動型を採用している場合は4年に1度)の最低賃金額の改定のほか、制度を所管する組織に対して各種の提言を行う専門機関を設置することが求められるとしている。加えて、異なるグループ毎の最低賃金額の設定や、一部の労働者に減額を適用する場合、それらが差別的でないことや目的に照らして相応でなければならないとしている。

また、労働者が法定最低賃金の保護を受けやすくするための方策としては、労使の協力を得て、①労働基準監督官または最低賃金制度の執行機関による管理・検査、➁違反事業者の積極的な捕捉に関する訓練やガイダンスを通じた執行機関の能力の向上等に取り組むことを求めている(第8条)。

3 全国一律最低賃金制度の確立に向けて

日本も、ドイツやEUの新たな最賃枠組み指令に見られるように、大胆な国民経済の所得格差の是正の観点から、全国一律最低賃金制度の確立に向けて、法定最賃決定の新たな基準値を設定することが急務である。それはまた、文字通り「同一価値労働・同一賃金」推進、さらに男女賃金差異の解消に連動することは間違いない。

その方向性として、欧州労連が求めているEU最賃指令の改訂案を評価したい。これによると、欧州の2500万人以上の低賃金労働者が適正賃金を確保するためには、フルタイム(正規)労働者の全国賃金中央値の60%以上、平均賃金の50%以上という指標に値する法定最低賃金が必要とされる。加えて、同指令案には織り込まれなかったものの、企業の経営役員を含めた報酬・賃金比率の見直し1)を要求した。

また、近年のILO「グローバル賃金報告書」によれば、2020年に拡大したコロナ危機(パンデミック)は、とりわけ低賃金の労働者層(相対的貧困労働者)にしわ寄せを与えたとし、最低賃金で働く50%の労働者は推定13.7%に上る賃金を失い、不平等が拡大したと問題提起している。同報告書は、世界中の最低賃金制度を大胆に見直し、最低賃金が不平等を減らすことが出来る条件を特定して、公正な最低賃金(法定または労使交渉)を設定することにより、コロナ危機からの「人間中心の回復」や「ジェンダー平等の推進」に重要な役割を果たすことを強調している。

その意味で、欧米先進国に較べて低い日本の「地域別最低賃金」が2024年10月から、新たに時給1,055円(全国平均)に上乗せされたが、まだまだ上昇額が低水準であり、制度自体の変革が望まれる。例えば、英国低賃金委員会(表1)の新目標方式やEU最賃指令(前出)に倣って、全国フルタイム(正規)労働者の年収給与(時間給)中央値の60%にまで引き上げることが重要であろう。これによって、我国の全国一律生活最低賃金額は、誰でもどこでも「時給1,400円」以上2)となり、労働生産性(付加価値)向上のインセンティブになることも確実だ。

当然ながら、この全国一律最低賃金の制度化に関しては、前述したドイツや英国の教訓を活かして、特に中央・地方の抜本的な財政改革<3割自治解消・地方分権化>と中小企業への強力な税制助成策が必須条件である。

例えば、現在一律の法人税(大企業:23%、中小企業:15%)及び資本(不労所得)税の累進課税化や、現行の中小企業に対する雇用維持関係の助成金の充実強化。事業内で最も低い時間給(事業内最低賃金)を一定額以上の引き上げ、生産性向上に資する設備投資等(機械設備の導入、人材育成・職業教育訓練)などを行う中小企業・小規模事業者にその設備投資などに要した費用の一部を助成する「業務改善助成金」と中小企業向け賃上げ促進助成制度(含社会保険の優遇税制)等の支援策を拡大推進しなければならない。

そして、日本における全国一律法定最低賃金制度を確立するためにも、非正規を含めた全労働者の意見を反映、コーポレートガバナンス(企業の監視・監督)=共同決定できる<労働者代表制>すなわち日本型共同決定制3)の早期法制化を提起したい。

[注]
 1)『21世紀の資本』はじめ、『資本とイデオロギー』の著者と知られるトマ・ピケティによれば、労使共同決定制度を導入することで、経営者・管理職の報酬額を抑制できるほか、経営の透明性や企業統治の拡大と強化、そしてコンプライアンス(法律遵守)、さらに従業員の自社に投資する割合(持ち株)も高められるようになると提言している。
2)厚生労働省の調査統計によれば、2024年度の全国従業員10人以上(含パート等の非正規社員)民間事業所の所定内給与(月額)の中央値は279,800円であり、その60%は時給換算で1,050円。本年11月に改訂された最低賃金額(全国加重平均)1,055円にほぼ相当するもの。これをEU最賃指令に倣って試算した場合の最賃額(日本のフルタイム正社員賃金額の中央値=年収約460万円の60%)では、時給1,437円になるわけだ。
3)高木雄郷著作『日本型共同決定制の構想』(2022年2月出版,明石書店)を参照されたい。

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