私の主張

衆議院解散は、総理大臣の専権事項か

2026/01/26

 
代表代理・君嶋 護男
                  

1月23日、通常国会冒頭で衆議院が解散がされました。

衆議院解散のニュースに接する度、いつも、いかなる根拠によって解散するのか、疑問というよりも、「こんなことが何故許されるのか」と、強い怒りを感じているところです。

国会議員や専門家と称される人達は、口を揃えて「解散は総理の専権事項」「伝家の宝刀」などとのたまい、このこと自体に対する批判はほとんど見られないのが現状です。

日本国憲法では「解散」という言葉は、2か所に出てきます。すなわち、7条3号「衆議院を解散すること」及び69条「内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、10日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職しなければならない」の2か所です。このことを根拠に、巷では衆議院の解散には7条解散と69条解散とがあり、総理大臣は天皇の国事行為についての助言と承認として、衆議院を解散する権限が与えられていると解しているようです。しかし、この憲法解釈は全く誤っていると言わざるを得ません。

憲法の条文を一旦離れて、素直な目でこの問題を考えてみましょう。衆議院議員はどのようにして選出されるかと言えば、総選挙によることは誰でも知っていることです。そして、衆議院議員の任期は4年とする旨定められている(45条)ことから、国民は選挙によって衆議院議員を選出し「この4年間は、あなた方に任せる」との意思表明をしたことになります。一方、内閣総理大臣は、国会の議決により指名されますが、衆議院と参議院で異なる指名をした場合、両院が協議して解決しない場合等には、衆議院の議決が優先される(67条2項)ことから、実質的に衆議院が内閣総理大臣を決定するという憲法上の建付けになっています。

このように、衆議院議員は国民の直接選挙により選出され、4年間の負託を受けたのに対し、内閣総理大臣は間接的に国民の負託を受けたことになるわけです。にもかかわらず、国民が直接選んだ衆議院議員を、事実上衆議院によって選ばれた内閣総理大臣の一声で一方的に首を斬ることが許されるのでしょうか。これは、総選挙によって示された国民の「4年間はあなた方に任せる」との意思を踏みにじるもので、許さるはずのないことは自明といえましょう。

それを頭に置いて改めて憲法を読むと、憲法もそう言っていることに気が付きます。69条では衆議院を解散できる具体的なケースが示されていますが、内閣不信任の決議案が可決された場合、内閣は総辞職するか、衆議院の解散に打って出るかを自由に選択できるという書き方にはなっておらず、「衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。」と、総辞職を原則としつつ、内閣にも最後の対抗手段を与えたという書き方になっています。つまり、直接、間接の違いこそあれ、衆議院議員も内閣総理大臣も共に国民が選んだものですから、内閣不信任案の可決という、両者の決定的な対立が生じた場合は、「それではどちらを取るか国民に決めてもらおう」と、内閣に「窮鼠猫を噛む」対抗手段を与えたことが69条の趣旨と考えるべきでしょう。

7条で、天皇の国事行為として衆議院の解散が掲げられていますが、これは69条によって解散が決定されたときに、天皇の名においてその旨を国民に公示することを定めたに過ぎず、この規定が内閣総理大臣の解散権を付与したものなどというたわ言はいい加減にしてもらいたいものです(なお、7条の国事行為に対する助言と承認は「内閣」が行うものであり「内閣総理大臣」が行うものではありませんが、これをゴッチャにした論評が目立ちます)。

これまでの衆議院解散の例を見ると「今が議席を増やすチャンス」ということで行われ党利党略によるものがほとんどで、中でも今回の解散が特に悪質なのは、物価対策が緊急課題で、そのための予算を早急に成立させなければならないと一方では言いながら、それと正反対の解散に打って出ようとしていることです。今回の解散についても、多くの野党やマスコミ等から「大義がない」と批判が浴びせられていますが、一体「大義」とは何でしょうか。それは、前に述べたように「内閣不信任決議案の可決」以外にはあり得ません。

この問題で、特に責任が重いと考えられるのは、学者、評論家、ジャーナリズム関係者等、議席の獲得に直接の利害関係のない人達です。もちろん、当事者である閣僚、議員の責任が重いことは言うまでもありませんが、彼らは現在の憲法解釈が都合が良いため、自ら正論を発することは到底期待できません。したがって、上記の方々、特に権力への監視、その暴走の抑制を任務とするジャーナリズム関係者に正論を主張してもらいたいのですが、残念ながら、新聞を読んでも,TVを見ても「解散は総理の専権」一色で、解散権の根拠については議論にすらなっていないことは救い難い状況と言えます。

解散に当たって、高市総理より、今回の解散の理由が示されました。それによると、今回の解散は「総理大臣が高市早苗で良いか否かを国民に判断してもらうため」のものということです。そのこと自体は誤っていませんが、それならば、国民に対して、判断をする材料を与えなければなりません。

通常国会が開催された場合、まず総理大臣の施政方針演説が行われ、その後各党からの代表質問、予算委員会と続いていきます。これらを通じて、内閣の政策が示され、野党との対立点が明らかにされていきますから、解散権の憲法上の根拠を一旦措いたとしても、最低限予算委員会まで実施しなければ、国民に対して判断材料を与えたことになりません。

それと「高市早苗で良いかどうかを判断してもらう」のであれば、総理大臣に選出された直後に解散すべきです。総理大臣に就任してから、高市総理は解散について質問された際「今は解散を考える暇などない」と答えていましたので、今回解散したということは、暇ができたということになります。「暇ができたので、一つ解散でもやってみるか」ということなのでしょうか。解散に当たっての記者会見で、それくらいの嫌味を言う記者はいないのでしょうか。

いずれにせよ、今回の解散は、支持率が高いうちに、国民に判断材料を与えずに、すなわち論戦によってボロが出ないうちに強引に行うもので、名付けるとすれば「国民目隠し選挙」と言えるかと思います。

こうした政権の暴力が続いていけば、我が国はどんどん沈んでいくことは避けられないでしょうし、若い人達に希望を与えることも困難でしょうから、「日本の未来は暗い」と考えて出生を控える人も出て来る、いや既に出て来ているものと思います。政府は、出生率向上対策と銘打って、各種給付、無償化等様々な「対策」を打っていますが、全く成果は上がっていません。出生率向上のためには、若い人達に明るい希望を与えることが何よりも必要であるのに、政治はこれと正反対の対応を続けており、今回の目隠し選挙は出生率の低下を更に加速するものと思われます。

衆議院は解散されたので、いずれにせよ2月8日には選挙が行われますが、後日「自爆解散」と名付けられるような結果になることを願っています。

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