私の主張

電産型賃金体系の成立(歴史上表面に出ないお話)

2025/12/08

 
関西支部会員・村岡利幸

_年功序列型賃金の創設史_その柱は「経験給の導入」

これから語る、筆者が聴いた話は、表面に残る戦後の記録では一切残っていない。だが、この話が、真実で実際だ。

この話は、当時日本発送電本社の賃金課長をしていた、私の父方の伯父に何度もインタビューをして事実確認をして行った話だ。
当時の労働組合は、取締役などの役員外が労働組合員(今では考えられない)である。そして私の伯父は賃金課長でありながら、電産労組という10万人前後の労働組合員組織の副委員長であったし、電産労組の「賃金委員会委員長」を務めたとのことだ。(末尾に)添付している、当時の映画やニュース画像、そして様々な資料を見ていただければ、詳細は理解いただけると考える。(この後の、当メルマガで紹介する記録映画にて、(18分過ぎに)各地で電産型賃金を説明する姿が、私の伯父である。)

この話で、当時のアメリカを中心としたGHQは、日本政府や日本の産業力に圧力をかけて、"豊かな国にさせまい"と、日本の経済を発展させず低迷させておくことにしたのだ。終戦直後、GHQは、日本の工業生産力等を低下させるため、日本の労働者の賃金体系を、いわゆる"当時の職務給"を押し付けてきた。経済科学局長ウィリアム・マーカットが、GHQの窓口だった。

これに対して、日本発送電(電気の発電会社)と各地の配電会社は、戦後の電気需要増に対して、水力発電から火力発電と配電への、事業転換を考えていた。それを知った上で、GHQは、賃金を抑え込み将来の昇給も無くすといった、戦前どころか、"まるで日雇い"の制度を、産業弱体化のために導入しようとしたのだ。このGHQに、真っ先に危機を感じ手を打ったのが電力事業の経営陣であった。"まるで日雇い"の如くの賃金制度であれば、技術者の採用も難しくなり、それでは現場の技能者の教育訓練も、ままならなく成り、戦前に引き続き生活不安が増すばかりとなり、電気事業は、計り知れない打撃を受けると判断をしたとのことだ。

だが、経営陣が反対をする活動や運動を考えた場合、当時敗戦直後のことだから、経営陣や経営組織がその先頭に立てば、主だった者は"戦犯として逮捕され留置される危険"が存在したのだ。賃金始め、経営方針を、実行させられるのは経営側であり、たびたび日本発送電の社長はじめは、GHQに呼び出されている状況だったとのことだ。もちろん当時、日本人の集団は、日常的にライフルの銃口を突きつけられ、銃で子突かれる状況だ。わたしの伯父も、10万人組織の電産労組三役といえども、逮捕拘束の危険を感じ何度も、国鉄東京駅から、タオルと歯ブラシだけで、汽車に乗り込み、短期逃亡をしたとのことだ。

そこで、略称「電産」として労働組合が、表立って闘争することにしたのだ。当時労働組合をGHQが奨励した理由は、戦前の特高警察員や右翼軍国主義者を、炙り出すシステムとして、米穀通帳交付と引き換えに、GHQと政府が組合を作らせたとの存在だ。したがって、労働組合法に基づいて運営されている労組は、その全てがアメリカ軍などの敵とは見なされなかった。にも拘わらずの事態は、幾つも生じていたが。
⇒そして、発電配電産業の労使の団体交渉が行われ、様々合意妥結した政策が実施される体制が、労使で整えられたのである。ただし、それらはGHQが考えていた賃金体系とは全く違うものであった。GHQの経済政策命令を阻む、最も典型的な電力産業に於ける電産型賃金体系となったのだ。だが、後ろで操る勢力に対しては、占領下の日本政府(=事実無力)であり、中央労働委員会も名ばかりで、力がない。

★そこで、実施された実力行使が、電産・労働組合の12波にわたる、"数分単位の停電ストライキ"だった。その全国規模に渡る停電ストライキ内実・真実は、その全てがGHQに対抗するための圧力だった。停電のスイッチを切るのは、組合員が大勢集まり集団で電源を落とす(大勢で綱(つな)を引くから、誰が電気を切ったか分からない振り)といった、表面向きの話や写真で電産労組のPRがされた。が、実際は"会社の給電指令所"なる部署が、出火その他の事故が起こらないように管理職が、電柱単位や病院など毎に電源を切り、再び給電は、細かい単位で給電スイッチを入れる、という作業方式だった。12回目の停電では、アメリカ軍施設内のみの、それも病院・医療施設を外して停電をさせる(きわめて細かい)ストライ???であった。停電ストライキは、発送電の社長と組合役員の合意で実施した。が、発送電の社長がGHQの呼び出しから戻って、早速組合事務所に来て、停電ストライキのタイミングを狙うとの事が在ったと、筆者の伯父は筆者の私に語った。

『日本の戦後経済復興での、一つの教訓事例であり、その中枢の作戦参謀(記録残さず)の言い伝えを文書で初公開!』

日本の敗戦直後でも、このようにしてGHQに対峙して、労使一丸となって電気産業を守り、GHQの"日本の工業生産力等低下策謀"を防いだのだ。当時の日本国民や有識者は、電気産業や電産労組の味方だ。日本政府は、占領下で無関心を装った。そう、実は電産闘争は労働運動とは異なる側面だ。

★さて今日、"日米交渉の成り行き"を迎えるに在って、"電産10月闘争"と、年功序列型賃金の創設に掛る歴史の真実、中枢で起きていた真実がこれだ。文書にしての開示は、これが初めてだ。
そして、この年功序列型賃金の源は、銀行業界へ、一般の大手企業へと、日本中に広まった。


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