私の主張

2期4年を終えて お疲れ様でした!

2023/01/10

 

23年1月13日の総会で退任予定の幹事会役員5人の皆さんからの感想原稿をお届けいたします(会報214号より転載)。長期間にわたるご尽力・ご奮闘ありがとうございました(事務局)。


退任にあたって(会報214号より転載)

代表・山田計一

コロナは第8波に入ったと。「またか」とモヤモヤ感がまとわりつきます。労ペンは2020年からの3年間コロナに翻弄されました。三面六臂の植木事務局長をはじめ幹事会のみなさんの尽力、会員各位のご協力がなければ労ペンの維持は難しかったと思います。感謝いたします。

会員の交流・研鑽につながる対面でのヒアリングや会員セミナーは制約を受け開催数は大きく減少しました。それでも感染の間隙を縫って2021年9月「労ペン創立40周年記念講演」(講師・菅野和夫東大名誉教授)を実現するなど担当幹事の執念が実ったケースも少なくありませんでした。

一方で、労ペンならではの「国際交流」は2019年末のタイ・ラオスの後は中止が続きました。2022年秋に計画した「台湾訪問」。「今度こそ」と期待したのですが、これも残念ながら来年に延期となりました。新年懇親会も中止を余儀なくされました。

新しく発足させた労働遺産認定。認定委員会で侃々諤々の議論で汗をかきながら実績を残しています。ホームページを大幅に改修しました。会員各位が、HPの「会員エッセイ」や「私の主張」にどんどん投稿していただければ、労ペンの活性化につながると思います。

2019年7月大阪で本部役員も参加して開催した「東西拡大幹事会」以降、関西支部と本部の連携が一段と進んだことも特筆事項です。

労ペンの会員の年齢層は高く、健康を理由に退会される方もおられます。新規加入の促進は大きな課題です。同時に、HP、リモートを駆使した「場」の設定や組織運営に工夫を加えることが必要だと思います。4年間ありがとうございました。


役員まる10年を振り返って(会報214号から転載)

会計監事・林元夫

長年労働省(当時)労働組合課に勤務したことから労働省クラブ、三田クラブ、労使関係者の皆さんには何かとお世話になってきた。退職後縁あって2011年5月に労ペンに入会、12年12月から労働省先輩の歌田氏推薦で幹事を引き受け、稲葉~山田代表、中川~麻生~植木事務局長のご指導のもと2期4年の運用で会計担当・事務局次長・会計監事と10年間労ペンの活動を支える役割を担当してきた。

最も意識したのは活動の源である財政の健全化で、安定した会員数をいかに維持するかでした。活動の拠点となる事務所の所有は、長い事業運営の歴史で求められたと思うが、結果として会費中心の財政運営から見ると予算の4割を超える事務所経費が事業の活性化等新規事業の展開に影響を及ぼすため既存の活動の域を超えることは難しい状況でした。この間、事務所の在り方が検討され最終的に事務所保持を変更しILO協議会に連絡デスクを置く方式、会議等は登録したちよだプラットフォームを拠点とする現行体制に落ち着き活動も活性化されてきている。

労働関係にかかわるとはいえマスコミ、労・使、労働行政など幅広い方面から豊かな知識を持つお歴々が集まる集団であり、労ペンの活動が壁に当たっても知恵を出し合い持てる知識を披瀝しながら活発な活動で世の中に「労働ペンクラブ」ここにありと一目置かせることが出来ればと思うところ。緑内障を抱えながら、これからは一会員としてお世話になります。

林元夫会計監事(2013年度から幹事―事務局次長―会計監査を歴任)


任期を終えて(会報214号より転載)

事務局次長・会計監査 冨田 修

会員大野明男リーダーの韓国視察参加で労ペンを知る。安衛法が施行された頃で、韓国では技術立国の横断幕が街中に上がり近代化を急いでいた。一方、金曜日正午にサイレンがけたたましく鳴り響きなんだろうと通りに突っ立っていたら建物に入れと促され歩いて向かったら走れと大声がかかる。北朝鮮からの急襲に備えた戦時訓練で毎週行っていると教えられる。

二度目は、平野文彦会員の誘いで労ペン主催の中国視察に参加(帰国2日後に9.11米テロ事件発生)。準会員扱い。北京空港から市内に向かう片側6車線の高速道路に度肝を抜かれ、北京大学院の院内会社に急成長する姿を予見させられた。深圳の工場では、工場取材ではいつも行うトイレ見学を。ピッカピカ。大は和式で、それに水をため顔が洗えようかというくらいきれいであった。作業チームは仕事も生活も一緒。和式製造法を徹底して製造能力を高めていた。その深圳自体、今やIT都市へと変貌しているという。

そして、山田行雄会員の勧めもあり会員になる。しばらくして会計担当になり、辞して会計監査を務め今期で退任する。会計担当時、事務所経費を廃止すべく動いたが果たせず切歯扼腕の思いを現執行部が果たし、活動できる労ペンになったことがなにより明るい資源である。また、新しく始めた労働遺産は社会性のある労ペンらしい活動で、今後も他者とつながりが持てる活動をひろげることに期待したい。


思い出に残る労ペン賞受賞(会報214号より転載)

会員管理担当幹事・早川行雄

長老の小林良暢さんから電話があったのは2018年の秋。電話に出てみると労ペンの幹事を引き受けてもらえないかとのこと。若輩で他に先輩も多数おられるのにと申し上げたが、たってのお願いとお譲りにならない。その後、井上定彦さんからも要請があり、両大御所の圧力に抗しきれず、渋々「快諾」させていただいた。

最初の仕事は会員名簿を更新して2019年版を作成したこと。この時は鳥居徹夫さんに尽力いただき、無事終了できた。概ね最後となった仕事も、簡易版に改定した2022年版の作成で、植木事務局長らにご負担をおかけしながら何とか発行に漕ぎつけられた。

名簿に始まり名簿に終わった幹事業務であったが、2020年からは日本退職者連合での常勤体制に入り、同じころから新型コロナの蔓延もあり、十分に職責を果たせなかったことは、誠に遺憾。

そんな中でも、拙著『人間を幸福にしない資本主義』が第40回労ペン賞を頂戴したことは、およそ賞というものに縁遠かったわたしには良い記念になった。わたしを幹事に推した両大御所も選考委員であったので、多少手心を加えていただけたのかも知れない。

この4年間に、私が入会するときの推薦人であった小山正樹さんをはじめ、労組関係の会員がご家庭の事情などで櫛の歯が抜けるように退会されたことは残念だったが、これからも会員拡大には意を注いで行きたい。ダラ幹(事)を支えて下さったみなさん、本当にありがとうございます。


コロナ禍で海外派遣ならず(会報214号より転載)

国際交流担当幹事・生澤千裕

国際交流を担当した4年間であったが、そのうちの3年間は海外派遣を実施できなかった。「コロナ」という障害に直面し、手も足も出ない状態に陥ったのである。

2022年こそは実現させることができるのではないかと準備を進めたものの、やはり断念せざるを得ず、延期となった。コロナのせいとは言え、参加申込みをされ、実施を心待ちにしていてくださる皆様には、申し訳ない限りである。

労ペン発足の翌年の1982年からほぼ毎年実施されてきた海外派遣が3年間もストップしたのは異例中の異例な経過である。過去にも中国の大洪水や、SARSの発生で当該年の団の派遣を見合わせたことがあったが、今回は既に3年間という長期。本当に残念であり、まさに「コロナ」恐るべしである。

コロナ禍で対面での交流自体がストップないしは停滞し、対面での交流の大事さや楽しさを改めて認識する日々であるが、海外情勢も実際に行かなければ分からないことが多い。その意味で、労ペンにとっては重要な活動の一つである海外との交流が、来年こそは実現できる状況になることを心から願うばかりである。

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