関西支部発

異次元の少子化対策としての「大学等授業料の無償化」

2024/03/11

 
関西支部会員・ 清田冨士夫(弁護士)
(関西支部通信第41号=24年1月号から転載)

23年12月11日、政府は、少子化対策の強化の一つとして、多子世帯の大学授業料の無償化の具体案(こども未来戦略)を発表した。

この案によると、扶養する子供が3人以上の世帯(多子世帯)の子供については、大学・短大・高専・専門学校の入学金、授業料を、所得制限を設けずに無償化(但し、授業料支援の上限は、大学の場合、国公立約54万円、私立約70万円)するとしている。

これは3人目の子供だけが無償になるというのではなく、3人ともがその対象になるということらしい。子供が2人の世帯との公平性に欠けるのではないかとの声が出ているのは当然だろう。これについては、「子育てや教育にお金がかかりすぎることから、理想の子供の数を断念。特に、大学など高等教育の費用の負担が重い。これは理想の子供の数が3人以上の夫婦で顕著」であるから、と説明している。そして、この政策によって目指す姿は「多子世帯であっても、経済状況にかかわらず、こどもを大学等に進学させられるようになり、理想の子供の数を持てるようになる」というのであるが、「理想の子供の数が3人以上」というのは、いったい誰の理想のことなのか全くわからない。子供の数が2人か3人かでそんなに不公平に扱っていいものなんだろうか。

この案では「扶養する」子供が3人(以上)となっているので、3人の子供のうち、長子が大学を卒業して就職し、扶養から外れると、あとの2人はこの対象にならない。また、3人の子供のうち誰かが高校卒業で就職した場合も扶養から外れるので、あとの2人はこの対象にならない。逆に、上の子が受験浪人や留年することで扶養状態が続くなら、それが何年であっても、この制度の対象になるのであろう。

「教育にお金がかかりすぎる」というなら、少子世帯であろうが多子世帯であろうが、世帯の所得に応じて支援すればいいのに、多子世帯なら所得制限を設けずに支援するというのはどうしてなのか?これは、この策が貧困、あるいは低所得層の子供の教育支援でなく、まさに、「少子化対策」から出ているからと推測する。言い換えれば、1人や2人の子持ち家庭は、国として評価しないぞ、こどもを持つなら3人以上にしろ、といっているようなものだ。よくまあこんなことを考えるもんだ。たしかに、「異次元の少子化対策」に違いない。
ただこれは、つぶれそうな大学の救済としては有効かもしれない。大学生としての能力のない学生を、多子世帯であることを理由に国から授業料をせしめて入学させる手には使えそう。

高校授業料無償化については、大阪府がやっているけど、あれも不公平が出ていて、同じ府民でありながら他府県の私学に通っている生徒はその対象にならないことになる。それで、吉村知事は、他府県に通っている生徒についても無償化を適用するといっている。その結果は、他府県で、地元から通っている生徒と大阪府から通っている生徒とでは、年間数十万円の差が出てきて、まったく不公平な結果を引き起こすことになる。また、その額は年間63万円だという。これによって、例えば京都府内の私学にこれを適用すると、仮にその学校の授業料が70万円だとした場合、差額の7万円はだれが負担するのかということになる。学校が負担するということが言われているが、学校は、その負担すべき差額を、大阪府民以外の生徒から徴収するほかない。そういうことで、他府県では、この制度に不参加の意向を示している学校もあるらしい。

そもそも、どうしてこのような政策が出てくるのだろう。

「こども未来戦略」から見えるのは、子供はすべて大学に進学するのが当然の前提となっているのではないかと思ってしまう。義務教育を終えたり、高校卒業で就職する人との公平性については少しも注意を払っていないといわざるを得ないのである。3人の子供を大学に通わせる家庭は、まだそれなりに余裕があるといえないか?社会的には低所得層に属し、こどもの大学進学をあきらめざるを得ない家庭もあるのである。そういう家庭のこどもは、中学あるいは高校を卒業して就職し、所得税を払っているのに、裕福な家庭(所得制限なし)にまでこのような支援が認められるのか、全く不思議でならない。中には、中学生レベルに届かない学力で大学に行く生徒もいると聞くことがある。

結局、社会全体が、学歴で人を判断するからであろう。

しかし、私の経験からすると、今の大卒はかなり能力が低い。これは大学に行って勉強しようというのではなく、大学生になってアルバイトをしようという学生がかなりいることの結果だと思われる。居酒屋で働いている若い従業員は、留学生か大学生がほとんどではないかと思うくらいです。昔のように、大学生は、勉強して、あとは仲間と大いに遊んだほうがいいと思いますが...。まあ、大学教授にしても、本当に論文を書いている人はどれくらいいるんだかわかりませんね。TVに出ていれば、大学から解雇されることもないと思いますが、それではねぇ。

教育無償化について、前回の衆議院選で、私の地元の候補者が、駅前でミニ集会みたいなことをやっていて、高校の授業料を無償化するんだというので、「高校や大学の無償化よりも、義務教育の完全無償化を目指すべきだ。給食費はもちろんのこと、教科書、副教材、修学旅行など義務教育にかかる費用は、すべて公費負担にすべきではないか。憲法に、『義務教育は、これを無償とする。』と書いてあるではないか」という意見を言ったところ、「今は、高校あるいは大学まで広げなくては...」と答えていた。こいつ(候補者)はアホなので、維新に負けまいとして、今流行りのことしか頭にないのだろうと思った。

(ちなみに、義務教育の無償については、最高裁の判例(最大判昭39.2.26)があって、そこでは、「憲法の義務教育は無償とするとの規定は、国が義務教育を提供することにつき対価すなわち授業料を徴収しないことを意味し、このほかに教科書、学用品その他教育に必要な一切の費用まで無償としなければならないことを定めたものではない。」としている。
これは、昭和30年代の、国の財政が貧弱な時代背景があるのでこのような判決理由になったと思われるが、高校や大学の入学金や授業料の無償化が言われている現在においては、この判決を理由にすべきではないと思われる。)

小・中学生を育てている世帯は、概して若い世代で、これらの世帯の負担を軽くすることが、少子化に役立つと思われるのに、こんなことでは、この国は救われるはずがない。

昔は、ましな政治家が少しはいたと思うけど、今はほとんどアホやね。いわゆる、いい高校、いい大学を出た政治家が多いそうだけど、利口なだけで、賢い人はいないね。賢い人は賢人といわれているけど、そういわれている政治家は本当にいないよ。そう思うわ。

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