2025/08/11
関西支部代表 森田定和
(関西支部通信第45号=25年6月号より転載)
さる3月26日、日本労働ペンクラブ会友の板東慧さんがご逝去されました。1981年1月の日本労働ペンクラブ結成総会に関西からの数人と共に参加され、10年後の91年10月に神戸で関西支部を結成。初代支部代表に着任されました。支部創設30周年の2021年10月、『支部通信』第34号に掲載された板東さんの「関西支部の設立をめぐって」を再掲して、ご功績に感謝する次第です。合掌
「関西支部の設立をめぐって」 板東 慧
私は日常仕事として、様々な労働組合の政策形成や活動を巡って調査や討論に参加する機会が多く、主要な単産や単組の年次大会に招請されて傍聴することも多い。かつてからこのような時には労働評論家やプレス関係者などと一緒になることが多かったが、各組合の年次大会に応じて、毎年定期に会うような関係になることが多かった。今は故人となったが、労働評論家の矢加部勝美さんもこまめに様々な組合の年次大会に出向かれて、お会いする機会が多かった。もとより、組合の全国大会が開かれる機会は東京が最も多いだろうから、東京在住の方にとっては特別の感じはないとみられるが、私のように関西在住の人間からいえば、かつては各組合の大会毎に毎年1度、東京まで出かけてこのような機会を持つのが普通であった。このような表現になるが、私も比較的各組合との付き合いが多かったのでかつてはこのような経験が多かった。
実は労働ペンクラブについて私が最初に話をしたのは労働評論家の矢加部勝美さんであったので私には印象探いのである。ある時、某組合の大会の傍聴で矢加部さんとご一緒になって会話が弾んでいた時に、「これだけよく会うのだから何か会合の機会をつくったらどうだろうか」という提案があった。それで、矢加部さんが東京方面の方に話を通し、私が関西方面の方に話をして1年1度程度の会合の機会を持つこととなって、「労働ペンクラブ」の会合が発足することとなったのである。
それと同時に関西のメンバーを募るために声をかけていくうちに、同時に「労働ペンクラブ関西グループ」のようなものがまとまっていったといってもよいのである。わが国で「労働評論家」というグループがれっきとして存在しているのかどうかはつまびらかではないが、「労働ペンクラブ」という組織が別に存在していることは確認できないし、われわれの組織は評論家の集まりというよりは、労働評論家に類する人や研究者・ジャーナリストと労働組合に関係する人々の集まりといった、ユニークな存在であり、組織といっても「クラブ」的存在である。今は亡き矢加部さんにもこの「ありよう」で納得していただけていると私なりに思っているところであり、現在参加の皆さんにも「自由なクラブ」としてこの会を育てていって頂ければよいと思っているところである。(完)
(補足)1986年、『労働組合の可能性―脱工業化・福祉社会の労働組合主義』(日本評論社)で労働ペンクラブ賞を受賞されました。

