関西支部発

遥か明治期に労働争議急増、反公害農民運動の波、『職工事情』調査から工場法の施行へ

2019/11/25

 

10月20日(日15時から16時55分にかけて、関西支部(会員30名)の秋の研修会が難波市民学習センター(大阪市)の第一研修室で非会員を含め16名の参加のもと開催されました。

このほど中央労働災害防止協会から『工場法小史』を発刊されました横田隆・元大阪中央労働基準監督署長(日本近代労働史研究者)に「『工場法小史』について」と題してお話頂きました。

工場法の公布・施行に関連して、お話で触れられた『職工事情』について、その時代を理解する上で、歴史学者の犬丸義一氏(故人)が岩波文庫版『職工事情』の「解説」で記されていることを、長いですが概略引用しますと、次の様に述べられています。

  1. 日本における工場生産の確立=産業革命は、1894~95年の日清戦争を画期とするとされている。工場生産の普及は、新しく社会問題をひきおこした。都市貧困層の生活に人々の眼が注がれるようになり、横山源之助『日本の下層社会』(1899年、岩波文庫収録)では工場労働者の姿を描いている。この調査は1897(明治30)年前後に実施されているが、この年こそ工場労働者問題が社会問題として注目される画期であった。
  2. それまで一桁から20件代だった労働争議件数が、この年一挙に116件にはねあがった。3月には足尾鉱毒被害地農民の上京誓願運動が行なわれ、工業化のマイナス面が表面化していた。争議の頻発を契機に、社会問題の解決をめざす組織が次々と設立された。4月には、城常太郎らによる職工義友会が結成され、7月には高野房太郎、片山潜らによる労働組合期成会、翌年にかけて次々と労働組合等が設立されていった。工場制度と工場労働者の現状は、社会問題として関心を集めた。
  3. 「労働者保護」を政策目標としてかかげた「工場法」案は、1898年9月1日に発表された。この案の骨子は10歳未満の児童の就業禁止、14歳未満の年少者の労働時間を最高10時間とすることなどであった。
    片山潜ら労働組合期成会も労働者の立場から工場法制定運動を展開。14歳未満者の労働時間の8時間への制限、職工全般のそれの10時間への制限などを骨子とし、はるかに徹底したものであった。これに対し、工場法反対を表明した大日本紡績連合会は、就業時間制限の不必要を強調していた。
  4. 法案の議会提出は見送られた。このように「労働者保護」の工場法案が見送られている間隙をぬって、労働者の団結・同盟罷業を弾圧しようとする治安警察法だけは、対照的にわずか一ヵ月だけの審議で、1900(明治33)年3月、制定された。
    こうして国会提出を中止した農商務省は、職工および工場調査をさらに続行し、その結果をみて適当な措置をとることとなった。1900年から、内務省参議官から農商務省書記官に転じた窪田新太郎が主任となった。彼の下に、法制、経済、建築、衛生、機械、化学を専攻するものを嘱託とし、内外の事情を調査し、また工場を視察して現状と弊害を確かめた。『職工事情』は、農商務省商工局が、工場法立案の基礎資料にしようとして1901(明治34)年におこなった各種工業部門の労働事情の調査報告書として、1903(明治36)年4月30日に発行したものである。
  5. 政府は、経済界不安定のまま議会提出を見合わしているうちに、1904、5年の日露戦争が起こって、万事しばらく沙汰止み。創設以来熱心に運動した労働組合期成会とその傘下の労働組合も治安警察法施行以後組織が崩壊状況にあったため、もはや事態の変化をもたらす力をもっていなかった。

以上のように、明治維新後、多数設立された工場内では女性・子供の低賃金・長時間労働、労働災害、工場外の近隣住民には公害をもたらしました。このような弊害を除去・緩和するために数十年の曲折を経て、工場取締法、すなわち工場法が1911(明治44)年3月28日公布、5年5カ月後の16(大正5)年9月1日に施行。当時、工場法の主務官庁であった農商務省の岡實工務局長が大変尽力します。工場法は、72年前(1947年)に制定された労働基準法等に継承された労働者保護の側面と、公害防止法の側面を持つ法律でした。

1926(大正15)年の施行令改正により、「常時50人以上の職工を使用する工場の工業主は遅滞なく就業規則を作成しこれを地方長官(知事)に届出づべし」(工場法施行令27条の4)と定め、同条に規定の「就業規則に定めるべき事項」は今日の労働基準法に引き継がれている内容です。ザル法呼ばわりされた工場法の中にも積極面があり、戦前、厳しい環境下で立法に関わった官僚、例えば内務省参議官から農商務省書記官に転じた窪田新太郎主任や岡實局長の気概に思いを馳せますと、忖度ばやりの昨今が情けなくなります。

72年前(1947年)に制定された労働基準法の前身である、工場法の施行実現に漕ぎつけられ、社会発展に尽力されたそれぞれの先人の実践の歴史に学び、「働き過ぎ」防止、「働き方改革」を推進していくことの重要さを歴史の重みと共に再認識できました。この度の横田先生のお話に改めて感謝する次第です。

(関西支部代表 森田定和)

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