特集

『広島、無言館、そして教皇の訪日に思うこと』

2023/11/13

 
会員・楠本くに代
━2019年10月15日 アルムニ・ユネスコ主催 被爆都市広島の実地検分ツアー報告書掲載━

空は青く、河は満々と水をたたえ、街並みは美しく整い、行き交う人の表情は明るく活気にあふれ、様々な国の言葉が行き交い・・・広島は見事に新しい街に生まれ変わっていました。かつての破壊が信じがたいほどです。

しかし、今、人々が生き、そして生活しているいたる所に、原爆のすさまじい破壊のあとが残されています。広島は、いわば、破壊と再生の二つの層からなる街です。私たちは、その二層の街を、二日間にわたって歩きました。

道の傍らには焼けただれたままの当時の塀や原爆投下時のままの石・・・一瞬にして、400名を超える生徒や教職員がなくなった爆心地に近い本川小学校の跡━悲劇を今に伝える様々な遺品や記録が保存されている本川小学校平和資料館とまさに同じ場所で、今、子供たちの学ぶ声が響き・・・原爆文学を集めた広島中央図書館文学資料室・・・広島の復興と破壊の保存に深くかかわってこられた石丸先生のお話・・・広島ユネスコ協会の後世に残し/伝えなければという執念に支えられた地道な活動・・・等々

そして、広島平和記念館。いわばそれらの集約。そこには、現在の広島のルーツ━街そのものの破壊の跡とそこに生きた無名の一人一人の命の焼け爛れた無残な遺品━が展示されています。また、亡くなられた方ばかりではなく、被爆されて生き残った方の絵画も展示されており、かろうじて生き残り、ぬぐい切れない原爆の恐怖とトラウマ、失ったものの大きさに生涯傷つき、生きていかざるを得ない人々の過酷な心象が映し出されています。


再生した広島、そして、この記念館に凝集した広島・・・整理しきれない心を抱いたまま、その数日後、私は又重い旅、長野にある無言館への旅をしました。無言館には、戦没画学生たちの遺作や遺品が、家族の言葉や短い解説を添えて展示されています。コンクリートのシンプルな館の内部は暗く、かすかな光に照らされた画は、静謐で、穏やかで、日常に満ちており、戦争の気配すら感じさせません。しかし、現実は・・・若く、画を愛した彼らは、二度と戻らなかったのです。彼らの無念で、家族の涙で、凍りついた館内。若い彼らは、今でも、どんなに、時空を超えて、画筆をかざして大地を存分に駆け回りたいことか。


答えの見つからない問いを繰り返している中、ローマ教皇が日本を訪れました。教皇は、核兵器の廃絶、日本のカトリック教会が原発に反対していること、廃棄物を処理する手立てがない原発は勇気をもって即座にやめることを世界に発信しました。そして。『一瞬の閃光と炎によって、影と沈黙だけが残った。沈黙の淵から、なき人々のすさまじい叫びが聞こえる。私は平和の巡礼者として、この場所を訪れなければならない、訪れるのが私の義務だと感じていた、未来の世代に、二度と繰り返しませんといい続けるために、一人一人が記憶するという行動をとらなければならない』と呼びかけました。

広島、無言館、教皇の訪日と続き、戦争の問題を改めて考えさせられました。現在の世界情勢から、無力感・絶望感を感じていましたが、教皇の言葉に元気付けられ、少し、希望を、可能性を、抱けるようになりました。

広島は、すさまじい叫びの上に再建された奇跡の街です。この地を踏み、すさまじい叫びを記憶し、広島の復興は人類に与えられた最後のチャンスであることを、核がこれほど拡散した地球で、二度使われたら、広島の奇跡は起こらないことを生身に感じることが第一歩だと思います。そして、できれば、このことを世界に発信し、"広島を訪れなければいけない、訪れるのが私の義務だ"というエトスを世界に広め、根付かせていく方法を探り、考え、参加し、行動していきたいと思っています。

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