特集

戦争の足音

2023/12/11

 
横舘 久宣(フリーランスエディター・ライター)

いきなり火砲を交えて戦争に入ったと端からは見えるが、事前に兆しがあったのではないか。戦争の微かな足音が伝わってきていて、それに気づいた人々がいた。だが、回避の手を打てなかったか、あるいは打たなかったのか...。ロシアのウクライナ侵攻やイスラエルとパレスチナの戦争をみて、そう感じる。甚大な災禍、被害の状況を見ると、いっそうその惨劇を防ぎきれなかったことが悔やまれる。「不戦」を至上の命題とし、当事国政府同士のぎりぎりのディールが至難の隘路を切り拓き、両者妥協の平地に達する。そうした努力がなされたのか、あるいは実を結ばなかったのか。

太平洋戦争で莫大な被害をこうむったわが国の場合、なおのこと平素から不戦をつらぬく構えを固めておくべきとの思いを新たにする。その意味で近年の政府の安全保障政策に不明を感じざるを得ない。

いわゆる安保関連三文書―「国家安全保障戦略」「国家防衛戦略」「防衛力整備計画」―が閣議決定されてほぼ1年になる。憲法で禁じられている武力行使に一歩踏み込んだ解釈を与えた。岸田首相が「日本の安全保障政策の大転換」と言うわりには国会での十分な議論がなく、国民に広く周知されることもなく、なんとなく決まった感がある。

2014年、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定がなされて以来、戦争への備えのような議論が政府部内で続いている。安部一強政治以降、中国脅威論が喧伝され、台湾海峡有事、朝鮮半島の不穏がことさら語られ、集団的自衛権に伴う抑止力と称して、防衛力強化に安全保障政策の軸足が置かれているふうに見える。武器の部品輸出の取り扱いが緩和される気配もある。防衛予算の増加も決まった。なんだか近い将来、武力行使のいさかいが起こることを想定して準備しているような...。自民党の古賀誠・元幹事長は「あの三文書が国会閉会中に審議もなく、認められたことはとても怖い状況だと思っています」と語っている(『世界』2023年5月号)。

危機管理先取りの感の政策や予算措置ではなく、戦争を回避する、平和を共に希求する他国との付き合い、外交にもっと重点がおけないのだろうか。相互理解と友好を促進し、重大な相違があっても意思疎通のパイプを維持し、妥協点を見出す努力を重ねる。そのうえでの防衛政策だろう。前述の古賀誠・元自民党幹事長も言う。「私が問いたいのは、あの安保三文書で防衛政策と並んで重要な外交政策をどのように展開するのか基本的な指針がないことです」(『世界』前述の同号)。

まず軍備ありきでは他国の警戒感を高めるだけではないか。外交攻勢よりも防衛強化を先行との行き方を逆にさせるにはどうしたらいいか。

不戦の信念を通すためには、国民一般が平素から政府の言動に留意し、さまざまな機会に物言いをし、政策に反映させるという意識や行為が基本にあるべきだろう。そのための情報や意識喚起の一端を担う役割をジャーナリズム・言論界に期待する。そのうえでなにかインフルエンサーとしての社会的なパワーの存在が欲しい。例えばのはなし、社会横断的なパワーとしての労働組合諸団体と関連NGOの働きかけはどうだろう。それらの働きかけが奏効する国レベルの枠組みができないか。武器を伴う紛争を回避するスキーム、ガイダンス、ディールのあり方を議論し、政府に訴える。国民間の共感を得たうえで政策に反映させたい。

「なんだか世の中が騒然としてきて、このまま戦争になるのかしらと思っていたんだよ」。昭和初期東京下町での新婚時代をふり返って、母がときおり口にしていた。

日中戦争、国家総動員法の成立。大政翼賛会、大日本産業報国会の創立と、順次軍事体制が敷かれていった。多くの新聞やラジオ、言論界は米英の脅威を訴え、国防の危機を報じ、国民の対抗心を促すような論調を掲げた。人々の胸の中で戦争への懸念がふくらんでいった。開戦の年の夏、在米日本資産が凍結され、対日石油禁輸の制裁が課され、母の心配どおり12月8日の真珠湾攻撃に至る。

多くの国民は "戦争の足音" に気づいていたかもしれない。しかし、それは悪魔の足音だと思わなかったか、あるいは政府のプロパガンダや同調するメディアの論調にかき消されたか。国民は本当のことをほぼ知らされず、議論にも参加することもできないまま戦時体制に組み込まれ、不幸な結果を受け入れざるを得なかった。今日この時代よもや戦前の轍を踏むことはないと思うが。

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