特集

武力(軍事)で平和は築けない ――私の戦争観――

2024/07/22

 
会員 馬場 義雄

1960年代から1970年代にかけ、世界の情勢は、アメリカ、ソ連を基軸とする資本主義 (自由主義)対社会主義(共産主義)陣営の東西冷戦は、日本にも大きな影響を与えていた。日本は、西側陣営の中心であるアメリカとの軍事同盟たる安全保障条約の改定や、長期化するベトナム戦争、学生運動の激化の中で、ベトナム戦争への「反戦運動」が高揚した。

米軍のベトナム戦争への前線基地化している「沖縄の施政権返還」ベトナムでの傷病兵の「米軍王子野戦病院の撤去」や原水爆禁止運動など、私も積極的に関わってきた。当時「反戦」を唱え活動することは、「体制批判」との為政者の思いは強かった。確かに大衆運動と連動して、「社会変革」(革命指向)を唱え、多くの政治集団(セクト)がイデオロギー論争をして、多数派獲得の活動をした。私もその一角の1人であった。

当時「社会変革」(革命)には、歴史的先駆のソ連やキューバを見ても「暴力」(武力)は必然と考えていた。

しかし、時を経るにつれ、理想とする社会主義(共産主義)国家の軌跡を考えるなかで、「革命」(軍事的内戦)は、多くの国民(人民)をも犠牲として巻き込む戦争であること、その後の独裁的為政者は、権力を維持するために、「反対」派を粛清(虐殺)投獄等々 ソ連のスターリンに見るごとく、「全体主義」「個人崇拝」を基に、「個人の自由な生存権」を否定する国家像であることに疑問を感ずることとなった。

その後の社会主義諸国の崩壊(ソ連邦の崩壊と各国の独立)東西ドイツの統合、中国の自由の改革を求めた天安門事変の弾圧と粛清など。軍事力と一体化した独裁権力の国家像を視るにつけ、「社会変革」の在り方や「戦争とは何か」「平和」「国家と個人」を考える大きな節目となった。

かって、日本が起こした「戦争」も、少資源国の日本が、時の為政者が政策的行き詰まりによる経済の困窮を「国外」に活路を求め、中国、朝鮮、東南アジア諸国に「領土拡張「を求めた侵略戦争であった。
「大東亜共栄圏」たる美名で、「皇国史観」をもとに「天皇」の名を利用して、国民総動員体制で戦争に突入した。その背景には幼少期よりの「軍国主義」教育」「皇国を守る」イデオロギー(思想)が徹底された。「個人崇拝」「愛国思想」は全体主義としてl個人の自由や生存権を否定するものとなった。まさに、個人の意思は剥奪され、「反対者」は、 「非国民」「国賊」として抑圧された。

日本が負けた第二次世界大戦(太平洋戦争)後、戦争抑止のため連合戦勝5ヵ国(米、英、仏、ソ連、中国)等の呼びかけで、「国際連合」が設立された。その憲章では、平和及び安全を維持するために、「加盟国の主権平等、国際関係における武力行使の禁止、平和に対する脅威の除去、侵略行為、平和の破壊の鎮圧、解決を平和的手段で正義及び国際法の原則で実現する」と提唱している。また、人種、性、言語、宗教による差別なく、諸国の行動を調和するため、すべての人権、基本的自由の尊重を提示している。この国連には日本を含め、殆んどどの国が賛同して加盟している。

また、日本でも終戦後、国連憲章と相まって、新しい憲法が制定された。その根幹には、過去の反省から「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」を基本に、第9条で「戦争放棄」「「永遠の戦力不保持」を規定している。さらに、第13条では「すべて国民は個人として尊重される」「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利は、国政上でも最大の尊重を必要とする」と規定し、為政者が勝手に出来ないルールでもある。
これら、国連憲章、日本国憲法に立脚すれば、武力による自からの「戦争」は起きないはずである。
しかし、東西冷戦下で、古くは朝鮮戦争や局地的な戦争は起きており、「戦争抑止」の為の「国連」も、5大国の安保理における「拒否権」の保持により、自らが起草した国際秩序、法の支配が守られず、機能を果たせていない。5大国とも「核兵器」を保持しており、そのバックボーンは計り知れない脅威である。 今、ソ連の侵攻から始まったアフガン戦争、ロシアのウクライナ侵攻(侵略)、イスラエルのパレスチナ(ガザ)大量虐殺等々、民族、宗教対立等もあろうが、いずれも覇権主義、領土拡張(侵略)主義であり、為政者の独善的思惑による戦争にすぎない。

人はなぜ戦争をするのか?解決する糸口はあるのか?このテーマで先に寄稿された、会員の「森下一乗」さんが、フロイトの言葉を引用して紹介している。

「権力と暴力は密接に結びついており、暴力で結着しようとする。指導する者と従属する者に分かれ、攻撃的破壊的欲動(闘争本能)を持つ」 一方で「戦争はとてつもない惨禍を生み出す不安から、戦争を避けたい」という心を生み出す。
その為には、その闘争本能を抑ええる「人類の文化度を上げて,心の在り方を発展させることだ」と紹介している。
まさに、その通りだと思う。「人類の文化度を上げる心の在り方」とは、いわゆる「生命」の大切さだ。「人権、生存権、個人の尊重「の譲成だと思う。そのためには、幼少期からの「教育」の在り方が大切だ。「戦争とは」「平和とは」「生命の大切さとは」・・・・。
「武力」(軍事力)からは平和は築けない――私の最近の心の在り方の中心テーマでもある。

戦争には「徴兵制」が必然となる。しかし、為政者(国)の意思としても「徴兵制」は憲法でも規定する「個人の尊重、生存権」を無視したものとなる。「徴兵制――個人の生命を国に委ねる。(死を覚悟する)」ことである。私個人的には「非国民」「国賊」と言われようと「他人の生命を抹殺する」徴兵制には子や孫の為にも反対する。「守るべき国とは何か」「個人の生存権あっての国ではないか」と思う。

新たな東西冷戦の渦中で、今や各国とも限りなく軍備の拡大に進んでいる。核兵器の実践使用に向けて、核弾頭の増強、AIによる近代兵器等の開発等々、際限のない「力には力で」とのパワーバランスを信奉する国々は、覇権主義者の行動で、一歩誤れば、人類の生存権を超越する大虐殺となる戦争を危惧する。「国を守る」との名目で、軍備拡大の兆候は日本も例外なくその道を進もうとしている。
「戦争放棄」「軍備(隊)の放棄」を憲法で宣言してきた唯一被爆国の日本でもある。改めて「生きることの大切さ」「倫理的心の持ち方」「平和国家としての国の在り方」について、国民の大多数が共感できる「世論の拡大」(マジヨリィティ)を広める手段と活動の重要性を痛感している。

「戦争と生命の大切さ」を考えるに当たり、明治文学の「与謝野晶子」が、日露戦争の時に発表した「君死に蛇マフこと勿れ」の詩を、改めて読み返し考えている。


"ああをとうとよ、君に泣く、君しにたまふことなかれ、末に生まれし君なれば、 親のなさけはまさりとも、親は刃(やいば)をにぎらせて、人を殺せとおしえしや、人を殺して死ねよとて、24までをそだてしや。(中略)

君死にたまふことなかれ、すめらみこと(注・天皇)は闘いに、おほみづからは出でませね、かたみに人の血を流し、獣(けもの)の道に死ねよとは。死ぬるを人のほまれとは、大みこころの深ければ、もとよりいかで思されむ。"(以下略)


年齢を経るごとに、行動力は限られてくるが、自国から「戦争を起こさせない」「戦争に加担しない」思いを強くもちつつ、歴史に学び、子や孫を「戦場に送らせない」ための「生命の尊厳」を言い伝える活動が、ますます重要であるとの思いを強く感じているこの頃である。

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