労働遺産

2025年度労働遺産認定に2件内定

2026/01/13

 
(会報226号=25年12月20日号より転載)

労ペン幹事会は、以下の2件8点の歴史的な「働く現場」の事跡に関し、26年1月13日開催の2026年度総会において労働遺産認定の提案を行うことを決定した。内定したのは、「あゝ野麦峠、殖産興業を支え近代化の礎となった製糸工女の故郷飛騨への道」と「戦時徴用船と船員の悲劇を伝える手記原稿、装備品、絵画および戦没船員の碑」。これに関連して、旧野麦街道、石碑・石像、工女宿宝来屋、野麦峠まつり(初の無形遺産に認定)と、体験手記原稿、民間戦没船の装備品等、原画、船没船員の碑―の8点が認定されることになった。

申請書番号25‐1
あゝ野麦峠、殖産興業を支え近代化の礎となった製糸工女の故郷飛騨への道
  1. 旧野麦街道(ワサビ沢から頂上に至る1,300m)と製糸工女の峠越えの苦難を伝える石碑・石像(松本市)‥乙女地蔵尊、「山本茂実を偲んで」碑、句碑
  2. 製糸工女の峠越えの苦難を伝える石碑・石像(高山市)‥石碑あゝ野麦峠、政井みね之碑、お助観音、政井兄妹像、地蔵堂
  3. 工女宿宝来屋
  4. 野麦峠まつり(松本市/高山市)

明治初め、全輸出額の60%以上が蚕糸類だったが、明治末期以降、輸出が飛躍的に拡大する中でも3分の1を下回ることはなかった。生糸生産は原料、技術をすべて国内で賄うことができ、殖産興業の原資となる外貨を稼ぎ出した。
こうした製糸産業を支えたのが、繭から糸を繰り出す「工女」である。飛騨の糸引き工女は約160キロの道のりを岡谷に向かったが、標高1,672mの野麦峠はその難所で、年末の帰郷では、ワラジで雪と氷の峠を越える工女の足は、凍った衣類で傷つけられ、凍傷にふくれ、谷底に滑り落ちて命を落とす者も多かった。
①と②は峠越えの苦難を偲ぶ重要な史跡だが、句碑、お助観音、政井兄妹像は「野麦峠」が一般の人の心を動かして建立に駆り立てたものである。今日、なお多くの者の関心を引き付けてやまないが、そうした事実こそ、「労働遺産」に相応しいことを示している。
④は「野麦峠」の史実を現代に、とりわけ子どもたちに伝える貴重な行事であり、労働遺産としてはじめての無形遺産となる。

申請書番号25-2
戦時徴用船と船員の悲劇を伝える手記原稿、装備品、絵画および戦没船員の碑
  1. 全日本海員組合編『海なお深く 徴用された船員の悲劇』体験手記原稿
  2. 第2次世界大戦で徴用された民間戦没船の装備品‥三星丸食器類、八仁丸舵輪金具、笠置山丸船長印、神仙丸日章旗
  3. 『画集戦時徴用船の最期』原画37枚
  4. 戦没船員の碑

第2次世界大戦の戦没者約310万人の中には「働く現場」で亡くなった民間人も多数含まれているが、とりわけ徴用船員については、

  • 死亡船員は6万人に達し、うち3分の1が14~19歳であったこと
  • 船員の死亡率が海軍軍人の2倍以上であったこと
  • 遭難体験船員も、のべ15万人に達していること
  • 日本が制海権・制空権を失い、事実上、護衛艦もつかない中で打ち沈められていったこと
  • 終戦から今日に至るまで、商船業界、水産業界、労働組合を挙げて戦没船員の追悼に力を注ぎ、資料の収集・保存、記録の整備に努めていること

などから、戦没船員は「働く現場」における多くの戦争犠牲者を象徴する存在、戦争という特殊な状況下における重大かつ膨大な労働災害と言える。その悲劇を伝える諸資料は、労働の尊厳を高め、民主国家・平和国家を育てるための貴重な歴史・教訓であり、「労働遺産」に相応しいものである。

これらについては総会承認の後、引き続き開催される認定証交付式において、所有者・管理者等に認定証が手渡される予定である。

(担当幹事・浅井茂利)

日本労働ペンクラブ 労働遺産認定事業 内定案件
登録内容 対象事跡 所有者・管理者等
あゝ野麦峠、殖産興業を支え近代化の礎となった
製糸工女の故郷飛騨への道
旧野麦街道(ワサビ沢から頂上に至る1,300m)と
製糸工女の峠越えの苦難を伝える石碑・石像(松本市)
長野県松本市
製糸工女の峠越えの苦難を伝える石碑・石像(高山市) 岐阜県高山市
工女宿 宝来屋 長野県松本市
野麦峠まつり(松本市/高山市) 野麦峠まつり実行委員会(松本市側)
飛騨高根野麦峠まつり実行委員会(高山市側)
戦時徴用船と船員の悲劇を伝える
手記原稿、装備品、絵画および戦没船員の碑
全日本海員組合編
『海なお深く 徴用された船員の悲劇』体験手記原稿
全日本海員組合
第2次世界大戦で徴用された民間戦没船の装備品
『画集 戦時徴用船の最期』原画37枚 株式会社商船三井
戦没船員の碑 神奈川県
  
 

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