2026/01/19
(会報226号=25年12月20日号より転載)
12月4日、会員19人の参加で防衛省見学会が行われた。この見学会は小山幹事をはじめ担当幹事の皆さんの企画で実施され、戦後80年を迎える今日、労働ペンクラブとしては稀有な機会であったが 参加者各自にとって極めて感慨深いイベントとなった。
当日、参加会員は防衛省正門前に13時に集合し、各自身分証明書の提示と手荷物検査の後、広報課防衛事務官および複数人の広報課スタッフの手際よい案内で約3時間見学した。見学中には随所で質問の時間も十分に取って頂いた。
防衛省の現在地である市ヶ谷台は江戸時代の尾張徳川家の上屋敷跡で明治以降は陸軍士官学校がこの地に開校されている。また、戦時中(太平洋戦争)は大本営陸軍部、陸軍省、参謀本部等が置かれていた。戦後1945年8月に米軍に撤収され翌年の「極東国際軍事裁判」いわゆる東京裁判の法廷が置かれた場所でもある。1959年に返還され、2000年に当時六本木にあった防衛庁がこの地に移転し現在に至っている。
主な見学箇所は「大本営地下壕跡」と「市ヶ谷記念館」等である。
「大本営地下壕跡」は、大本営陸軍部の防空壕として鉄筋コンクリートで作られ、大臣室、通信室、便所、炊事場、浴場などの設備もあった。ガイドの中でもそれぞれの場所や機能について詳細な説明がされた。逐次補修工事を行いながら当時の原形を保存しており、歴史的な建造物として一般公開されている。地下壕内の展示案内版に、竹下正彦中佐が記した「機密終戦日誌」によれば、終戦間際の1945年8月10日に、阿南陸軍大臣がこの地下壕に陸軍省幹部を集め「陛下がポツダム宣言受諾を聖断された」旨伝えたとの史実が紹介されていた。
「市ヶ谷記念館」は、陸軍士官学校本部として建てられた建造物の象徴的な部分を移設・復元したものである。一階は1946年5月から同年11月までの間、極東国際軍事裁判(東京裁判)の法廷として使用された「大講堂」、二階は陸軍士官学校時代に天皇陛下の休憩所として使用された「便殿の間」および「陸軍大臣室」が復元・保存されている。
見学会の最後に防衛省厚生棟二階の「広報展示室」(活動紹介コーナー)に立ち寄った。ここでは写真等の展示のほか、ビデオ視聴が出来た。このPRビデオでは日本の安全保障をめぐる環境変化や課題、活動内容が紹介されていた。
この中で、防衛力強化と防衛予算及び使途の現況、自衛隊の応募者減少等の課題が紹介されていた。
防衛省として、国民への広報活動に力を入れながら、課題等についても認識の拡がりを図ることに努めているようだ。(加藤昇)
防衛省の見学会で。三島由紀夫が決起を呼びかけたバルコニーをバックに
防衛省の見学会。極東軍事裁判が開催された法廷もそのまま保存

