2024/10/15
会員・村岡利幸(労働総合コンサルタント事務所所長)
- そういった"家畜者"の労働や労働力を柱にした自由市場経済は、そもそも成り立たない。自由市場の商品経済が芽吹きだしてからの、おおよそ500年を観れば、経済学の解明を待たずとも、一目瞭然であったから、経験知として一貫して避けたのである。日本でも江戸幕府は早々に、"奉公人制度"を実行し、(各大名の"奴隷所有に因る力量"を削ぐためとはいえ)、奴隷制度や奴隷輸出を禁止したのであった。そもそも、ヨーロッパでは自由平等の社会形成(文明Civilization)と共に、奴隷制ではなく、労働力の売買(賃労働)が定着したのである。そこでは、農奴や封建的下層職人の人達は、土地等に縛られた状態から解放(とはいっても当時は乱暴)され、(細やかながらも)都市の自由市場&自由を求めたのである。=このこと? ?、様々な激動と重なったために評価は様々ではあるが、それなりの自由を求め都市に集まり、少なくとも土地などから解放され、少なくとも労働力を取引するとして、微々たるも自由を得たことには間違いは無い。
- 近年では、奴隷とか"家畜者"の復活を目論見たのは、ナチス:ドイツの、「ポーランドの農民を拉致しドイツへ連行し、ドイツの農家で働かせる。」との選挙政策でヒトラーが政権を握ったことか、ユダヤ人らを拉致収容して(「労働すれば自由になる」と看板に掲げて)強制労働させるとか、そして日本軍が南方諸島に攻め入って農地等を占領し、経営者を本土から親戚を送り込んで利益を巻き上げた......といった"愚かの悪徳の極"の経済政策でしかない。
- くどいようだが、くれぐれも、「仕事に携わる人達にも自由がなければ、人間関係の市場にあって、自由市場は成り立たない。」という歴史の事実だ。~だから、自由市場主義(現代はマルクスが名づけた"資本主義"が有名)の発展は、常に最先端現場や末端の自由さが、人事管理や組織統制の底流には、"大きくも繊細に流れる"わけだ。ことに、その繊細さを失えば、自ずと旧ソ連のレーニンやスターリン、あるいは満州国産業部次長:岸信介(行政運営は日本の商工省が)といった、統制?の失策に至るのだ。 https://youtu.be/FjskP6C9BY0?si=hglAsEr6-2jOxJmw&t=155
1.そのような"家畜者"の増加に、依拠しようとする経済政策が
- (ア)とんでもなく間違いなのである。巷のマスコミでは迷信がはびこり、今もなお「非正規社員とか労働者派遣法(1986年)が低賃金を招いた。」と言った論理不明な"間違い迷信"を流している。
- (イ)だが、派遣法施行当初からの女性派遣労働者の賃金は、当時の"パートタイマーの2倍以上の相場"であり、あの時代に結婚やセクハラ退職に追いやられた女性の、"失業雇用対策"として機能し、男女雇用機会均等法と相まって、一気に女性の社会進出のきっかけに成った。『労働省と全国労組の対峙の末(その時に筆者は巻き込まれていたからよく知っている)』なのである。
- (ウ)正解は、巷マスコミの言う在りもしない現象(迷信)というのは、=1999年の、派遣業種の原則自由化=改正(改悪)に端を発している。労働省は、異様にも、「新しい派遣法」と称して、それまでの派遣法のイメージを消すための大PRを行った。その折は、当の派遣業界とか、"1986年施行"の際に派遣法制定に貢献した、政府側も含め、ほぼ全ての関与学者その他関係当事者の反対を押しきって、派遣業務自由化へ改悪をしたのだ。その時も、当時の社会・共産といった野党は改悪に反対する運動を繰り広げることはなく、無視をして、派遣法制定(1986年)のときの静観すらもしなかった。その時、筆者の私は、労働者派遣業界の依頼を受け、関連論文を執筆(全国主な工場などに、2万冊を2回に渡りに業界が配布)した。そのことで、1999年まで改悪法案を約2年間の先延ばしにはさせたが。
2.日本では主だった資源は、未だ開発されてない。
- a.室町時代あたりから、惣(惣村)とか郷(惣郷)と言った、自治権を確保した村落を中心に、"いわゆる商品"の生産流通が活発になったと思われる。いろいろな仕事をする職人の数が増えるに連れて手工業の技術も進歩してきた。室町時代の京都には、琵琶湖周辺や播磨地方から、多くの衣食住に係る手工業商品が運び込まれるようになった。同時に、各地に手工業の中心地が出来、地方ごとに特産品がつくられるように成って行った。特産品は、その後、だんだん数が増え、「どこの国の名物は何。」と評判になるようになっていった。
- b.この傾向の過程は、日本だけではなく欧州その他でも同様のようだ。それらは様々な経済学でも研究されてきた。自由市場経済が大々的に導入出来た、フランス市民革命とその後において、スタール夫人(1766年~1817年)=ルイ16世の財務大臣の娘で、ナポレオンの相談相手でもあったMadamede Sta?l:百科全書派)が、ドイツの経済学者との論争で、「商品における利潤の高さは、言語や言語の違い。」だとはっきりと述べ、フランスやドイツの経済や政治に大きな影響を与えた。
- c.そこではっきりと分かっているものは、単位経済圏を超えて流通する商品は、基本的に地方ごとの"少なくとも特産品"であった。その特産品との認識がなければ、「商品として(貨幣を基盤とした)通貨を用いての交換にまでは至らなかった。経済学の研究では、特産品だと認識されるような、固有の文化価値が含まれなければ成り立たないとされる。その固有文化価値がなければ、単なる品物であって、そうでなければ、単なる物資とか配給物資とか軍事物資であり、自由市場に持ち込まれることは無い。自由市場に出回る商品、ことに利潤率の高い商品ともなれば、原材料などの仕入れはともかく、その地域で培われた労働による生産や加工によって、総じて抽象的に言えば、「その地域の固有文化価値が込められて」、やっと商品となり特産品にも数えられるもなるのである。ここに、単なる物資とか配給品物だけでは、自由を伴う日常生活は出来ないといった、人類の発明開発した"商品生産"や"商品経済"といった科学技術や社会運営技術とともに、社会体制を経ているのである。
- d.ここに挙げた、単位経済圏の固有文化の影響は、商品にまつわる事柄にとどまらず、今もなお地域社会全般の、子どもの基礎教育にも影響を与えている。最も重要な再生産は子どもであり子育てであり、その地域の方言に該当する言語の成り立ちや言葉遣いは、幼少や児童期に形成される世界観とか立ち居振る舞いを形成していることは否めない。いわゆる近江商人が、同郷の人物しか採用しなかったことは、戦後しばらく高度経済成長以前までは当たり前のことであって、その理由としては「話の調子(テンポ)や把握の広さ深さが合わない。」というものである。教育は共同体的なものであり、その一部は学校にゆだねられるが、人間は商品ではないけれども、その地域に育てば、その固有文化を体得して、近江商人などは出身地? ?離れ活躍するのである。(なお、西武グループ、平和堂は、近江商人ではない。日本通運は近江商人の専属運送業者であった。滋賀だからと言っても近江商人ではない。本来、武・農・商の一体である。)
- e.筆者の私自信が大阪弁の源流の地(司馬遼太郎:説)出身、大坂も彦根もない時代の地の出身(近江商人)であるから如実に感じるわけだ。先ほどの「話の調子(テンポ)や把握の広さ深さが合わない。」で言えば、早くて情報通に、どの子も育つのである。とにかく、中世から惣(惣村)とか郷(惣郷)といった自治権を確保して、その基に寺子屋教育に何百年も熱心であり、日本中の商業を扱った関係の基に、引き継ぐ子孫の子育てをするわけであるから、"家畜者"には決して育っていないのである。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%83%A3%E6%9D%91
3.大金融資本投資とは
- 第一節 世界的な動きとしての『安い賃金で働く"家畜者"の増加』を、表面だけを真似て、経済学の真髄を無視して、サプライチェーンとかグローバル展開を行った輩のモノだった。もとより経済活動の発展とは、★最終消費者が、"貨幣を基盤とした通貨"の使用でもって、★「平等であるからこそ、より広く自由を得たい。」との動機に支えられているところに真髄がある。ところが、邪心や悪徳が、企業運営の隠れた亀裂に入り込むこととなり、『最終消費者の欲望を煽ればこそ、"隠匿し易い金銭その他利益"が、濡れ手でツカめると、実のところで誤算をしただけなのだ。よって、大量消費を煽り大量生産を促進する"幻想の欲望"に踊ってしまい、→破綻を重ねる不幸の綻を招く、=すなわち(事業専念に非ず)企業存続のために、企業合併(法的に対等合併は無い)を繰り返し延命&不採算事業・不良債権を山積し、あげく"不払い&帳消し&踏み倒し"に持ち込んできた歴史なのである。要は簡単なカラクリであって、=これだけのことだ。これが彼らの常識であるのだ。そのためには教養とか文化レベルの高い社員や労働者は、邪魔ということなのだ。
- 第二節 なお、当該カラクリを、"資本論"を著したマルクスは指摘してはいない。その時代に当該カラクリは無かった。マルクスの本業はジャーナリストだった。(とりあえず"資本論第3巻"を最終整理したしたのは"ジンメル(後の縁のないドイツの社会学者)"である。"エンゲルス"および"スターリン"がマルクスの学説の改ざんをしたことは、現在世界の経済学では定説となっている。なお、やっと数年前に日本共産党もこれを認めた。当該カラクリをマルクスは指摘しているかのように、或いは、当該カラクリがマルクスの理念に存在すると力説するのは、その研究者とか学者にとって都合の良い幻想に過ぎないから念のため。
- 第三節 加えて、安い賃金で働く"家畜者"の増加」を促すと、個人下請けとか、フリーターその他、名称の如何を問わず、"お独り自営業者"《日本で言えば労働基準法の適用を受けない。ただし労働契約法の適用はある》が、賃金ではなく、激烈に単価の安い外注業者として使用されるという訳だ。(だが、その闇は、戦前戦後の日本ばかりか、日本が海外進出した東南アジアとか中国でも全く同様なのだ。)その場合、経済や取引の原則として、成果品の内容は、「安かろう・悪かろうの仕事」が徹底して追求される訳だ。この点は、"お独り自営業者"を指図する正規社員も、これに巻き込まれている。「いわゆる"検査ミス"と称する事件とその起因」の経済学的な本質はここにある。=よって、東南アジアとかの海外であろうが日本国内であろうが、いわゆる"イノベーション"とかはされないこととなり、相まって、そればかりか、全く以って不都合な意識傾向の類ではなく、意識的に温存していることが大量生産&商品単位利潤の激減、さらに加えて、先に述べた最終消費者の購入意欲(貨幣で自由を得られる)を無くしてしまうばかりか、金融資本投資の隠れたカラクリに乗せられた企業・事業の不採算を、ここでも結果として招来して来たのである。こういった傾向は、★第二次世界大戦の全体主義者(岸信介)とか軍国主義者(闇商人を含む)、そしてそれらに靡(ナビ)いたサラリーマンによって、今も続いているのだ。
- 第四節 こういった背景から、自由市場経済再生のためには、大手企業の枠内に"シガミツク家畜者"の集団も、縦型組織であろうが個々人のメンバーであろうが、使い道がないのである。加えて、いわゆる左や右だと揶揄される政治団体とか、宗教団体(≠宗教観とは別)らが、政治の世界で、"全体主義"を用いるに至ると、自ずと「戦争と軍事産業繁栄」といった、末路を招来することは、今日までの世界各地の歴史と事件が物語っている。"シガミツク家畜者"を、いとも簡単に、"軍事兵員という人間商品"に、祭りあげることも、生産や商業活動の裏で、闇の金銭のために正規社員が行う悪徳作業なのである。
- 第五節 そもそも、人類は生存するための原点に経済活動を行っている。その最も重要な再生産は子供であり子育てであり、その安定した繰り返しである。狩猟・牧畜・農耕のいずれかひとつを選択して集団や民族が形成されたといった歴史の事実は無い。大まかには略奪経済、封建領地経済、自由市場(資本主義)経済といった社会体制を経てはいるが、科学技術や社会運営技術(官僚組織とか民主主義制度など)に代表される文明Civilization進展とともに変化を繰り返してきた。その変化の根幹底流と言われるものが文化であり、そのツカミどころを理解しようと試みる目的で、人々は表面的には思考を分割し分野別学問蓄積の形態を用いている。当時の日本は、壬申の乱までは「倭」との国であった、その後に「日本」との対外名称となり、日本列島で550万人の人口だったと推測され、北海道や九州は日本人ばかりで統治してきた訳ではなかった。太平洋戦争敗戦直後はアメリカ軍を主力としたGHQに完全占領されていた。
この記事は、"総務部メルマガ" 2024/09/03付け 第269号から、大半の引用です。全文を望まれる方は、つぎのURLへどうぞ
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