私の主張

日教組の「虚像」と実像を明らかにする ―『歴史としての日教組』という実証研究

2021/01/12

 
会員 井上定彦(島根県立大学名誉教授)

少しまえ、第二次安倍政権が登場した前後から、あらためて日教組(日本教職員組合)が話題になったことがあった。また、自分の経験としても近年になってなじみになった知人がいて、安倍氏を応援する集団(日本会議もそのひとつ)の方もよく知っている方なのだが、隣席になったとき、日教組とは何でしたっけねという質問を受けたことがあった。むろん、あれは普通の教員の労働組合で、連合に加盟しているよというと、「そうなのか」とはじめて聞いたというような顔をされたので、むしろこちらが驚いた。つまり、いわゆる「保守系」のなかには、いまだ日教組は巨大で強力、どこかのイデオロギー集団が牛耳っており非常に政治的な集団だ、とばかり思いこんでいる人がいまだ結構いるらしいのだ。
さすがに、私たちの労働ペングラブの会員諸氏にはそんな方はおられないだろうが、ある時代にはたしかにかなりの存在感があったが、平成になって以降の日教組にはあまり接する機会がなかった、というのが普通だろう。

そういわれてみれば、かつては、たくさんの教員組合擁護・支援の本や文書がでる一方で、他方では、それを上回って、日本の「教育をねじまげている」元凶、強力なイデオロギー団体だ、思い込んでいる、いわゆる「右」筋からの批判・攻撃がある。日教組大会開催を攻撃することがその「右」翼たることの身の「証し」となるとみられて、黒塗りの大型宣伝カーが長い列をつくり大音量で妨害をするという時期もあったのも、たしかにそれほど以前のことではないのだ。

日教組の「実像」VS「虚像」

日教組(現在は組合員23万人程度) は、中央単一組織とは言いにくく、都道府県ごとに組織された公立学校、その普通教員を中心にしたいわば職能団体としての全国の連絡協議体(とはいってもその範囲での組織率も32%程度しかない)なのである。単一組織である多くの企業別組合がもっているような集中的な指令権限を機構的にはもっているとはいえない。つまり、運動や交渉の指示・指揮・財政のいずれをとっても、中央執行部もゆるやかな合意、あるいは大会での激しい議論と採決をへてはじめて行動をよびかけることができる、というようにゆるやかなものである。この実体は、戦後七十年余にわたり殆ど変わってはいない。そして、憲法の常識でもある労働者の権利(憲法28条)としてみれば、わずかに団結権があるのみで、団体交渉権・争議権はいまだにないという不遇な状況におかれている。国際基準(ILO)からみれば労使関係の「前近代性」が残ったままなので、民間の労働組合からみれば、ずいぶん大きなハンディキャップを負わされたままであるということになる。ちなみにいえば日教組はアメリカをはじめとする世界の教員組合(教育インターナショナル、3000万人) の標準的な一組織でもある。

いまや、教員の職場の労働条件、殊に日常的な長時間残業( 過重労働) のモデルともいえるようなひどい状態におかれている。少し前、週当たりの労働時間調査が公表され、40時間どころか48時間でもなく、週60時間をこえるものの割合が小学校教員で72.9% 、中学校教員ではなんと87.9% もいることが分かり( 連合総研調査) 、さすがに社会的反響を呼んだ。今世紀になってから目立って悪化を続けた、ということだ。長時間労働の是正については政府が「働き方改革」を進める動機のひとつとされはしたものの、その後具体的に条件が改善されつつあるとの話しは聞かない。交渉権がないことがやはり問題なのだと思う。 他方、戦前回帰すらめざしているかにみえる勢力は、相変わらず日教組批判を「みずからのアイデンティティー」あるいは存在価値としているようにもみえる。ここには自民党の2011年の憲法改正草案を推進しようとする勢力の一部として、有力な一角を占めていることは知られている。

日教組の「実像」を実証的・歴史的に検証する

日教組の「実像」と「虚像」の大きな乖離は、こんなところにも背景があるのかもしれない。たしかに、日教組は戦後民主主義の擁護者として世間の目に映じてきたことは事実だろう。つまり、「主権在民、基本的人権、平和主義」の戦後日本憲法は、当然のことながら文科省や地方の教育委員会を含むすべての行政機関の前提となっている。学校教師が児童・生徒に向き合うときには、これにそって授業をすすめることになる。そして、1950~60年代に確立した日教組運動は、戦時中の教師の悲痛な体験・反省から自然に生まれた考え方、「教え子を戦場に送るな」を、素直に表現したことで、その力の源泉ともなった。いまなお、原爆投下や空襲にかかわり, 平和祈念の「折り鶴」運動は、学校現場に根づいており、全国のかなり多くの自治体でも取り組まれているところだ。
そもそも、日教組とはいかなる過程を経て成立し、全国運動の支柱となってきたのか。その運営や機構はどうなっているのか、あるいはまた1990年代以降はあまり聞かなくなった「文部省VS日教組」という対立関係がそれほど目立たなくなったのはどうしてなのか。これらは、戦後史を考える際にはたしかに欠かせない部分ではある。その実像について、さまざまの見方をふまえつつ、社会・人文科学の対象としてとりあげ、客観的に検証したものはそれほど多くはないのではないか。

このたび、すでに教育学者として名声が確立している広田照幸さんをチーフとする20人あまりの若手教育学者、社会学者、政治学者、歴史学者が参加して、2012年から8 年がかりの膨大な作業が、ようやくほぼ完結した。『歴史としての日教組( 上・下2 巻) 』( 名古屋大学出版会、2020年刊行) である。大会記録、運営記録、そしてそのときまで健在だったかつてのリーダーたちからのヒヤリングなどを含め、地味で丹念な作業をつみあげたことが、この分析の説得力・論証力をもたらしている。この研究については、日本学術振興会科学研究費などの研究助成によってすすめられ、日教組からの資金支援をうけているわけではない。
日教組をめぐる功罪を議論する前に、その「実像」を知りたいと思う諸氏、戦後の教育問題を考えるときの基本文献として公立図書館での常備も望まれるところだ。

過去記事一覧

PAGE
TOP