私の主張

特集・参議院選挙結果に思う(会報213号=22年9月25日付から転載)

2022/10/11

 

今回の参議院選挙は国内外を取り巻く政策課題が山積するなか、岸田政権の舵取りを含め、今後を占うものとして注目を集めました。選挙最終盤には安部晋三元総理が凶弾に斃れ、世間を震撼させましたが、結果的には与党の圧勝、野党の敗北に終わりました。そこで、政治・社会・労働・メディアなどさまざまな角度から今回の参議院選挙や日本の現状についての分析、思いについて、会員4氏に寄稿していただきました(編集部)。

存在感の回復に向け、地に足を着け足腰の強化を

代表・山田 計一

20221011a.jpgネットはどこまで社会を変えるのだろうか。2022年7月の参院選。ネットを駆使した数政党が票を伸ばし、多党化への流れをはっきりと示した。連合が志向する政権交代勢力の実現性はさらに遠のいた。一方で、労組離れが進み、多様な雇用形態の未組織労働者の増加が続く。そんな状況下、労組の社会的影響力のジリ貧化、存在感の希薄化に危機感を覚える。選挙前のテレビ番組でベテラン記者が「連合は組織人員700万人と言ったって集票力は甘く見積もっても200万票でしょう」と軽く言ってのけた。結果は報道や連合会見
によると、連合傘下の産別労組は前回に比べ自治労を除き軒並み票を減らした。連合推薦9人の比例区では153万票にとどまった。選挙後の記者会見で連合は、政権交代に向けた方針を維持。立憲民主、国民民主両党に対し「地方織を確立して足腰を強くしないと今の態勢では勝つのは難しい」と注文を付けた。

だが、その言葉はそっくりそのまま連合や傘下労組に跳ね返ってくる。いまの労働界の閉塞状況を脱するには政治対応論議の"空中戦"は、いったん脇に置き、地に足の着いた活動を強化し足腰を鍛え直さなければならないのではないか。足元の組合離れ、無関心層の拡大、未組織労働者の増大。「高い組合費を払ってもメリットがない」との声もあると聞く。

1997年から日本の賃金が低下し続けていることが、ここ一、二年で広く世の中に知れ渡った。労働側にとっては屈辱的なデータだ。ところがこの間、ストで闘った話はとんと聞かない。また、国民から労働界に対する非難も耳にしない。期待されていないということであれば、それは哀しい。「賃金より雇用を重視したからだ」「賃金の低い非正規が増えたのが要因」「不満な場合はスト権を行使する」と言われても、世間や一般組合員には空ろに響くだけだろう。

求心力の回復は急務

ストをやればいいと言うつもりはない。産別といっても企業別組合の集まり。トップ企業の労使が一体となって国の産業政策にすり寄る時代でもある。情勢は極めて厳しい。しかし争議権は団体行動権として憲法28条で保障された労働者の権利だ。若い組合員にそうした認識はどの程度あるのだろうか。事前にストを構えて交渉に臨めば、組合員に緊張感と参加意識を持たせることができるかも。とにかく求心力の回復は急務だろう。産別、単組の諸事情を揚棄して労働運動を活性化させるのがナショナルセンター(NC)の役割だ。かつて日本社会党は総評政治部と揶揄されるほど労組に支えられていた。地域に県評、地区労が根を張り、労働運動だけでなく原水禁をはじめ公害・消費者・市民運動と連携し、総評オルグが駆け回っていた。傘下組合は主義主張が大きく異なっていた。それらから相対的に独立した路線をとり、人員、資金面で「面倒見がよかった総評」。それが選挙での集票に繋がっていた。
懐古趣味はない。経済成長期と今は状況が全く違う。だが、NCを名乗るからには社会に根を張りウイングを広げる活動が必要なのではないか。例えば、非正規、類似雇用労働者らの「駆け込み寺」の役割を連合は担えているのか。地域でキメ細かく相談窓口を設け弁護士の支援を受けられるようにするなど、カネとヒトを投入し、地に足を着けた活動をコツコつと積み上げることでしか社会的認知度を上げる方策はない。シフトチェンジはいまでしょ!

自民党圧勝の参院選に想う

会員・小野豊和

20221011b.jpg自民党圧勝に終った参院選は少数政党など野党乱立が与党に対する論戦上の対抗勢力とならなかった。各党の主張は景気・雇用対策、外交・安全保障、教育無償化など共通するものが目立ったが、新型コロナウイルス対策はメインでなかった。全国の平均投票率は52.05%で国民の約半分という低水準。18歳以上に引き下げられてから5回目の国政選挙だが、10歳代の投票率は1回目の2016年参院選で45.45%、2017年衆院選で41.51%、2019年参院選では32.28%とさらに下がり、今回は微増の34.49%だったが3人に1人しか投票行動を起こさなかった。

1947年生まれの私にとって、当時は20歳になると成人式の招待があり選挙権を得ることが大人の象徴と思ったものだ。権利には義務を伴うという意識もあった。投票行動は親の背中を見てきた記憶が強いと感じる。家庭内、友人間で日常的に政治に対する対話が必要と思う。1960年10月に日比谷公会堂で開催の党首演説会での浅沼稲次郎社会党党首暗殺は衝撃的だった。1967年に早稲田大学に入学すると、学生運動盛んな時期で、学費値上げ反対から日米安保問題まで幅広い論戦とデモ等が行われていた。その中に異質な運動を展開する勝共連合という反共団体もあった。

与党の有力者が公然と支援する右翼団体のバックに統一教会があったことまでは知らなかった。1970年11月25日には三島由起夫割腹事件が起こった。憲法改正のため自衛隊の決起を呼びかけたが、介錯役の早稲田大学生森田必勝も自害した。

1974年夏の参院選に松下電器労組から福間智之が電機労連組織代表として立候補。真夏の暑い日々、大阪の枚方・寝屋川一円の戸別訪問を労働組合員として行った。開票前に東京支社への異動を命じられ人事部人事課労政担当として選挙後の労組対応も仕事だった。松下労組東京支部の専従書記長が選対本部を取り仕切り選挙違反ギリギリの活動をしていたことで終盤はホテルに潜んでいた。

強力な野党集団を

さて今年の参院選はロシアのウクライナ侵攻に伴う安全保障情勢悪化の機運に乗じてか、自民党は憲法改正と軍事費増額実現を強調し、野党の多くも自衛隊の条文化に同調という傾向だった。正面から平和憲法維持を主張する政党は社会民主党と共産党だけで、軍備拡大こそが抑止力という主張に戦前の軍主導体制に至りかねない危惧を感じた。広島の平和記念日の首相挨拶は、広島生まれでありながら被爆者意識に乏しく、核廃絶、原発廃止への意欲も姿勢も無かった。そんな中、国連グテーレス事務総長のメッセージが光った。「...深刻な核の脅威が中東から朝鮮半島へ、そしてロシアによるウクライナ侵攻へと世界各地で急速に広がっています。...本日私はこの神聖な場所から、私たちの未来を脅かす兵器の備蓄を廃絶するため...対話、外交および交渉を強化し...核の脅威に対する唯一の解決策は核兵器を一切持たないことだと認識しなければなりません。...核という選択肢を取り下げてください。永遠に...」

カルト集団を票集めに利用してきた主に与党の姿勢、テロにはテロにでは平和は実現しない。全国民が国政選挙に関心を持ち、強力な野党集団が生まれなければ民主主義は実現しない。そんな危惧に満ちた参院選だった。

これまでの延長線上にない時代の参議院選挙

会員・奥田 久美 

20221011c.jpg今年は太平洋戦争の敗戦から77年目。明治維新から敗戦までと同じ歳月が経過し、戦後の「民主主義・平和国家」日本の先行きは国内外とも不透明感に包まれている。6月7日に閣議決定された骨太の方針の冒頭部分は、政府の文書には珍しく悲壮感に満ちている。「我々はこれまでの延長線上にない世界を生きている。世界を一変させた新型コロナウイルス感染症、力による一方的な現状変更という国際秩序の根幹を揺るがすロシアのウクライナ侵略、権威主義的国家による民主主義・自由主義への挑戦、一刻の猶予も許さない気候変動問題など我が国を取り巻く環境に地殻変動とも言うべき構造変化が生じるとともに、国内においては、回復の足取りが依然脆弱な中での輸入資源価格高騰による海外への所得流出、コロナ禍で更に進む人口減少・少子高齢化、潜在成長率の停滞、災害の頻発化・激甚化など、内外の難局が同時に、そして複合的に押し寄せている。」

今回の参議院選挙は、このような難局の中での国政選挙であったが、投票率は52%と盛り上がりに欠け、投票日前々日に、安倍元総理が凶弾に倒れるという衝撃的な事件だけが強く記憶に残る選挙であった。選挙結果は、自民・公明の与党が合わせて125議席中の61%に当たる76議席を獲得し、選挙前よりも7議席増加させ、この結果から与党の圧勝という評価が一般的だ。だが、投票結果を虚心に見れば、与党の得票率は選挙区で45.5%、比例区で46.1%であり、ともに過半数を割っている。与党の議席数の増加は1人区で自民党が28勝4敗と圧勝したためである。

明治維新以後の日本について、司馬遼太郎は多くのエッセーや講演録の中で、日露戦争後の講和条約の内容に怒った日比谷公園での民衆暴動が分岐点だった、ジャーナリズムを含め日本の中枢にいた人々が、日露戦争の実情を正直に国民に話し、あれ以上戦争を続けることはできなかったことを丁寧に説明していれば、その後の歴史も変わっていたかもしれない、と述懐している。太平洋戦争に突入していく過程では、軍部とその取巻きは、統帥権を盾に、自らを相対化できず、自由な言論を封じて日本を滅亡させたと。

日本は難破しかかっている

それでは現代の日本の状況はどうか。2012年に政権に返り咲いた自民党は、公明党と連立を組み、総理の解散権を最大限活用して、その後の国政選挙で勝ち続け、まさに一強体制を盤石にしてきた。官僚の任命権を掌握した総理官邸は、官僚が政権に忖度する状況を作り、政府が発表する白書などは政権のプロパガンダの一環に組み込まれた。例えば経済白書は、1990年代までは夏の風物詩として多くの国民に読まれたが、経済財政白書となってからはほとんど注目されなくなった。岸田政権は安倍・菅政権の後継として「新しい資本主義」を目指すとして出発したが、アベノミクスを総括できないまま大きな路線変更を行えずにいる。もはや日銀には円安を止める手段がなく、コロナ禍でさらに傷んだ赤字財政のもとでは政府の政策手段も限られているのに、選挙戦では、野党は消費税の廃止・引き下げを主張し、与党は国防費の倍増を唱えて、ともに財政・経済の持続可能性を無視した議論を行っている。現代の日本は、進路が定まらないまま嵐の中で難破しかかっている船のようではないか。

選挙活動を応援するボランティア-与野党間の余りにも大きな格差

会員・本山美彦

20221011d.jpg私にも応援する尊敬する政党人がいる。関西圏でない全国区で立候補したので応援のメッセージをお送りしただけである。しかし、どうしたのか、礼状はおろか。受け取ったとの返事すらなかった。手紙に返事を書くボランティアすらいなかったのだろう。
私の地元でも、野党側は、選挙カーを走らせるだけで、住民にビラを丁寧に配るボランティアらしき人はほとんど見なかった。

ところが与党は違った。私の地元では、商店主の親父さんや、いろいろな面での地元名士たちが声をからして応援をし、町の人たちにビラを配っているではないか。さらに、驚愕したのは、このような言い方で申し訳ないが、雲霞(うんか)のごとく現れた女性陣たちが、ビラを群衆に配り歩いた。受け取った人たちも口々に「頑張れ」と叫んでいた。野党候補の選挙風景とは雲泥の差であった。すべてのTV局が面白可笑しくターゲットに挙げている教団も同じような応援をしていたのだろう。

日本の多くのその他の教団も信者の自由意思の下に選挙の応援をしているのだろう。世界中でそうしたことは行われている。したがって、私は教団の信者が選挙ボランティア活動をしてはならないと言っているのではない。逆に、野党に、語り手たちが、なぜ、選挙のボランティア活動に参加しないのかを問いたいのである。

語り手たちも若者と同じ誤りを冒している

日本のマスコミは若者たちの政党離れを批判している。それでいいのだろうか?世の中には語り手という人たちがいる。彼らは、マスコミの目を意識して、自分の支持政党のことを語らない。野党の批判者であることをインテリの資格だと思っているのだろう。いつの時代でも語り手たちは必要である。奇怪な造語を駆使して世人やマスコミの注意を惹こうとする賤しい心根ではなく、今をきちんと語り、近い将来の形を見通す真摯な人柄の語り手たちに出てきて欲しい。フランスのトマ・ピケティ、中国の劉慈欣、英国在住のイアン・ゴーリディンなどがそうである。

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