関西支部発

2024年度研修会開催

2025/04/07

 
(支部通信第44号=25年1月号より転載)

施設見学会終了後の、2024年11月23日(土)午後2時30分から午後4時30分過ぎまで、エル・おおさか南館7階・72号室に会場を移動し、今年度第2回研修会を開催(オンライン併用)しました。
「業種別労働組合の組織と運動-塗料労働運動の30年(1968年~1998年)-」をテーマに、関西支部監事で、元全日本塗料労働組合協議会書記長の山下嘉昭さんに講演頂きました。参加者は、会員14名(うちオンライン参加2名)、JAM大阪から5名の合計19名でした。

講師は、1968年全日本塗料労働組合協議会(以下「全日塗」と表記)に入所され、1970年には書記長に就任され、1998年に退任されました。在籍中の30年間を振り返ってお話頂きました。
質疑応答では沢山の質疑に対して回答頂き、また活発な議論が交わされ有意義な研修会となりました。

講師の山下さん

講演要旨

1.塗料工業の産業的特徴と労使関係

塗料工業は、日本標準産業分類上、細分類に分けられ規模は小さい。企業数は131社、100人以下の企業が86社を占める。主な需要分野は建物31.5%、道路車両19.3%の順で、構造物、船舶、電気機械、機械、金属製品、木工製品、道路標示、家庭用がそれぞれ数%で多岐にわたっている。(日塗工87年度調査より)
【産業的特質】 塗料工業は加工産業であるので原材料費率が高く、原材料価格の動向が収益に大きな影響を与える。さらに、原材料は石油の誘導品が多くを占め、石油価格の動向が収益に影響される。1973年の第1次オイルショック、79年の第2次オイルショックは塗料産業に大きな打撃を与えた。
需要分野が多岐にわたり、多品種少量生産であるため、89年のバブルの崩壊時までは概ね大手企業と中小企業の棲み分けができていて、系列化や下請け化は見られなかった。他の産業に比べて労働装備率が低く、新規参入が容易であるため、過当競争的体質を内在させていた。

関西ペイント、日本ペイント等大手企業の多くは大阪に本社を置いており、経営者は関西人気質を有しているように思われる。技術革新が緩慢で、需要が順調に推移してきたため、保守的経営体質が温存されてきたという要因もあり、労使関係は微温的であった。原料供給は化学大手企業、製品需要はゼネコンや船舶、自動車などの大手企業が多いため、谷間産業といわれる。また、塗料産業は需要先の景気動向を映す鏡産業ともいわれた。
【全日塗の組織的特徴】 組合間のまとまりがよく、運動方針など活動をめぐる対立はほとんどなかった。大手の組合が中小の組合に対して尊大な態度をとることもなく、小さい産業ながら組織率も高かった。全日塗傘下の各労使が決めた賃金や労働条件が同業種の基準として機能した。大きな対立が見られたのは連合加盟問題だけだった。

2.略年史

  • 【1945~51年 混沌期 (塗連の結成と解散)】
    1946年に全関西塗料労働組合連合会が結成され、48年には全日本塗料労働組合連合会が結成されたが、51年総評結成をめぐる混乱で連合会は解散した。当時は、事業所別組合だった。
  • 【1952~60年 再生期(再建全日塗の揺籃時代)】
    1954年に全国組織再建の合意がなされ、56年全日本塗料労働組合協議会が結成された。58年から中小企業で組合結成が相次ぎ、全日塗に加盟していった。59年には、専従役員を設置した。
  • 【1961~65年 雌伏期(組織体制整備、統一闘争の準備期)】
    1961年社外に独立事務所を設置し、事務専従を採用。また、労組法に適合するように規約を改正した。62年賃上げ闘争で初の統一時間外拒否を決行。
  • 【1965~74年 飛躍期(全日塗の組織と運動の質的発展)】
    1965年賃上げ闘争を春闘と位置付け取り組む。関西ペイントで初のストを決行。他の大手組合は労働協約に絶対的平和義務条項の記載があるため事実上ストは行使できなかったが、数年後に撤廃される。65年中小5単組共闘結成ストをバックに佑光社、水谷は大手を上回る賃上げを獲得し、他の組合も大手並みに賃上げを獲得した。67年企業内最賃協定の結成を統一要求とすることを決定した。68年に講師は専従オルグに採用された。72~74年の春闘では空前の盛り上がりを見せ、民間平均を大幅に上回った。74年の秋年闘争で大手組合が行った無期限スト継続をめぐり組織内が対立し、組合組織は打撃を受けた。
  • 【1975~79年 試練期(山高ければ谷深し)】
    75年から第1次オイルショックの影響を受けて74年度の出荷量は20%を超えるマイナス成長となった上に組織混乱もあり大手組合の賃上げ・一時金は75年以降低迷を続けた。77年から大手組合で昇給ストップや希望退職等合理化の提案が相次いだ。この時期、運動方針に産業政策、企業経営の点検監視の取り組みが初登場した。
  • 【1980~83年 模索期(第2次オイルショックで再び苦境に)】
    81年、主力組合の佑光社ペイントが企業倒産し各組合に大きなショックを与えた。社会・生活の変化を受け入れ、82年、中小企業経営者に働きかけ、「中小労使懇談会」を発足し、綱領、規約を作成。
  • 【1984~89年 転換期(産業政策活動の活発化)】
    84年、塗料産業の体質改善を求め塗料各社に巡回訪問を行い、86年労調研の協力を得て「塗料産業の活性化のための提言」を発表、日本塗料工業会会長、各社経営者等を招き、発刊記念パーティーを実施した。
  • 【1990年~構造転換への全日塗の対応】
    95年に「職能資格制度モデル」を発表。97年、連合に正式加盟した。98年化学リーグ21結成、2002年には化学リーグ21と全国セメント、全石油、新化学が JEC連合を結成した。

3.印象に残る活動

【調査なくして発言権なし-調査活動の充実】

①モデル賃金、賃金全数分布など調査項目を追加し、賃金実態調査の充実を図り、労働条件についても調査項目を増加した。②全組合に調査協力を要請した。③組合員が少ない中小企業では、学歴別モデル賃金は該当する年齢に実在者がいない等調査の体をなさないため、推定モデル賃金とした。④執行部は調査に関心を寄せるようになるとともに賃金や労働条件に対する問題意識を深めた。
【「一物一価」の法則の適用-大手、中小間の格差縮小の取り組み】 賃金とは労働力商品の価格であり、同一商品である限り市場では同一価格は当然、規模の大小や買い手の懐具合で決まるものではない。大手と中小で価格差があるのはおかしい。業種別組織の強みを活かした取り組みを行った。

【賃金政策-平均の魔術、定昇概念の明確化、定期昇給とベアの区別、賃金表の策定など】

①平均は水準を表さない。年功賃金下では平均が同じ1万円の賃上げでも個別の組合員の賃上げ額に大差が出る。率の場合も同じ率であれば格差が固定し再生産されるに過ぎない。②定期昇給ストップは賃下げを意味する。とはいえ、賃金表がない場合、この構造が隠されてしまう。③経営側から見れば、定昇は内転原資であり、昇給額全てが人件費コスト増になる訳ではなく、労働力構成によっては人件費コスト減になる場合もある。④賃上げ要求と定昇における考課査定の撤廃、賃金表策定への志向。⑤年功賃金を打破し、同一労働同一賃金を目指して。⑥70年春闘共闘委員会発行の「賃金白書」の提起を受けて、世帯別賃金形態へと方針を転換。⑦定昇は方針上では考課査定なしの自動昇給として、95年までは典型的な年齢序列賃金を採用していた。95年に楠田丘氏の「職能資格制度」を参考に全日塗版「職能資格制度モデル」を発表した。絶対評価は公平性の担保が懸念されるため相対評価とした。

4.最賃法第11条及び16条の4に基づく塗料最賃の取り組み

【最賃法制の変遷】

1959年、最賃法成立。9条業者間協定に基づく最賃決定、10条業者間協定に基づく地域的最賃決定。

1968年の法改正は重要で、9条、10条は削除され、16条の4が新設された(関係労使の申し出による産別最賃決定申請)。71年に、ILO第26号条約(労使交渉の最賃)、第131号条約(途上国の最賃)を批准、「最低賃金の年次推進計画」が策定された。76年には、全都道府県に地域別最低賃金を設定。
78年、全国をA~Dランクに区分する目安制度が導入された。86年「新産業別最賃の運用方針」を策定。①最低賃金協約の拡張適用(新設の場合は1/2、継続の場合は1/3以上、②公正競争の確保。適用対象労働者は基幹的労働者(ポジティブ方式とネガティブ方式)。
2007年、生活保護との整合性を考慮した法改正が行われた。派遣労働者は派遣先企業の所在地に最賃が適用される改正が行われた。この時、11条(最賃協定の地域的拡張適用)が何の議論もなく廃止されている。また、産別最賃は特定最賃に名称変更された。

【全日塗の取り組み】

1966年に定期大会で企業内最賃協定の締結要求を決定した。67年、尼崎市に事業所のある5組合の最賃協定締結を受けて、尼崎市をターゲットに11条に基づく地域的拡張適用の取り組みを開始した。68年、兵庫労基局に11条に基づく最賃(月額18,500円)を申請、使用者要件に適合しなかったが(労働者数だけでなく、企業数も3/4以上必要)、審議会で継続審議となるが最終的に却下された。
同年9月施行の最賃法改正を受けて、兵庫県塗料製造業最賃として日額740円(18,500÷25≒740)が決定し、11条に基づく申請と同額となった。また、16条の4(関係労使の申し出による産別最賃決定申請)に基づき、大阪、東京、神奈川、愛知、滋賀の各都府県に最賃申請したが審議は行われなかった。

71年、尼崎市で11条に基づく塗料最賃決定(日額1,400円)。塗料会社1社が倒産したため、適用企業5/8となり使用者要件をクリアしたが、81年に佑光社ペイントの倒産により使用者要件をクリアできなくなった。
72年から、各都府県・市等で11条、16条の4に基づく塗料最賃の決定が相次ぐ。71年に結成した労組で大阪府塗料最賃を下回る組合員がいるため、全員一律2,600円の臨時賃上げを行った。

74年、春闘での大幅賃上げの成果を受けて塗料最賃が大幅に引き上げられた。同年に結成した労組で兵庫県塗料最賃を下回る組合員がいたため、一律15,000円の臨時賃上げ、春闘での賃上げ(30,500円)と合わせて合計平均45,500円の賃上げとなった。この年、東京の塗料最賃は対地賃比率122.3%、同じく大阪149.1%、兵庫177.3%となった。

87年、兵庫県塗料最賃が静岡県紙・パルプ製造業とともに全国で「新しい産別最賃」適用第1号となった。88年、東京都と千葉県が「新しい産別最賃の運用方針」の申し出要件(1/3)を満たせず継続できなかった。95年には対地賃比率も120%代に下降し、98年、広島市・東広島市960円(時給)、滋賀県830円で、それ以降11条による改定はされなくなる。

2015年には、神奈川塗料最賃が地賃の最低賃金を下回り改定されなかった。2024年の対地賃比率は大阪100.5%、栃木110.5%となっている。

10年前の産別最賃適用労働者数は400万人超だったが、現在は238万人となっている。初任給の上昇率も22.7%でほとんど上がっていない。

(講師の講演・レジュメをもとに、藤木記)

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