関西支部発

化学物質管理にかかる二つのパラダイムの転換

2022/07/11

 
玉泉孝次・近畿労働安全研究所所長

化学物質の管理に関して、二つのパラダイムの転換があります。

第1弾は、建設業の元労働者やその遺族等が国を相手取った国家賠償請求訴訟「建設アスベスト訴訟」の最高裁判決(2021年5月17日)で、労働安全衛生法第22条(健康障害防止)に基づく特定化学物質障害予防規則の掲示義務規定は、労働者だけではなく請負人(下請業者、一人親方)にも適用されることとされたこと、及び、省令を改正して石綿関連疾患の具体的内容・症状等、防じんマスクの着用義務の必要性について具体的に記載することを義務付けるべきであったこととされたことから、それに対応した安衛則、有機則、特化則など衛生関係の11規則の関連条文を改正するものです。

第2弾は、2021年7月19日の「職場における化学物質等の管理のあり方に関する検討会報告書」に基づき、化学物質の管理を特化則等による規制から、事業者が実施するリスクアセスメントに基づいた暴露防止措置を自ら選択実行する「自主的な管理」とし、5年後を目途に特化則、有機則、鉛則、粉じん則、四アルキル鉛則の4規則を廃止することとし、その時点で「自主的な管理」が定着していないと判断されるときは、規則の廃止を見送り5年後にあらためて評価するというものです。

第1弾の改正に関する最高裁判決の二つのポイント

1.一つ目のポイントは、安衛法第57条(名称等の表示)に関して「第57条が労働者に該当しない者を当然に保護の対象外としているとは解し難い」としたことです。
これについて厚生労働省では、安衛法第57条は現行法令でも対象を労働者には限定しておらず、労働者以外の者にも情報が伝達される仕組みとなっていることから、保護対象者の拡大は不要と判断し、規則改正により対処することとしました。(したがって、法改正はしない。)

2.二つ目のポイントは、安衛法第22条に基づく特化則第38条の3(掲示義務)に関して「特別管理物質の名称,人体に及ぼす作用、取扱い上の注意事項及び使用すべき保護具に係る事項(の)~掲示義務規定は、特別管理物質を取り扱う作業場という場所の危険性に着目した規制であり、その場所において危険にさらされる者が労働者に限られないこと等を考慮すると、特別管理物質を取り扱う作業場における掲示を義務付けることにより、その場所で作業する者であって労働者に該当しない者も保護する趣旨のものと解するのが相当である。なお,安衛法が人体に対する危険がある作業場で働く者であって労働者に該当しない者を当然に保護の対象外としているとは解し難いことは,上記と同様である。」としたことです。 現行規則でも安衛則第577条(ガス等の発散御抑制等)、第585条(立入禁止等)は対象を労働者に限定していませんが、最高裁判決を受けて、安衛則や特化則をはじめとする衛生関係の規則を改正し、①当該場所で何らかの作業に従事する他社の社長や労働者、②当該場所で何らかの作業に従事する一人親方、③当該場所で何らかの作業に従事する一人親方の家族従事者、④当該場所に荷物等を搬入する者など、当該場所で何らかの作業に従事する者を対象者とすることとし、規則の改正を行いました。 したがって、掲示義務の対象は、一人親方や他社の労働者、資材搬入業者、警備員など、契約関係は問わず適用されることになります。

3.また、疾患の具体的内容・症状等、防じんマスクの着用義務の必要性について具体的に記載することを義務付けるべきであったとの最高裁判決から、疾病の種類や症状、保護具の種類などの表示・掲示義務の新設や記載内容を改正し、請負人に対する保護具の使用の必要性や作業方法の周知義務等を新設しました。(以上2023年4月1日施行)

4.したがって、重層下請関係にある事業者は、その労働者のみならず、下請及び一人親方等に対して上記の措置義務が生じることになります。(下図参照)

5.安衛法は、第37条(製造許可)、第42条(譲渡等の制限)、第55条(製造等の禁止)など措置義務者を「何人も」とした条文がありますが、同法第22条は措置義務者が「事業者」であることから保護対象を労働者に限定した解釈になっていました。 今回の最高裁判決を受けて安衛則、有機則、特化則等の一部改正が行われましたが、掲示義務の新設と表示・掲示内容の改正、請負人に対する保護具の使用の必要性や作業方法の周知義務等に限定した改正であり、事業者の安衛法第22条に基づく有機則、特化則等の措置義務のすべてを下請等に課したものではありません。
今般の規則改正は、条文によっては労働者以外の者に対しても適用されるとされた小さなパラダイムの転換です。

6.なお、集じん機付き電動工具を使用することを義務付ける規定を、罰則をもって定めるべきであったとした原審(2018年8月31日大阪高裁・京都一陣訴訟)について、最高裁は判断をしませんでした。これについて厚生労働省では、JISもないことから実態調査、調査研究を行うこととし、具体的な措置は行わないこととしています。

7.「建設アスベスト訴訟に関する最高裁判決等を踏まえた対応について」(令和3年12月13日労働基準局安全衛生部)では、「物の危険性」及び「場所の危険性」に関する規定で、安衛法第22条及び第57条以外の規定のあり方に関して、第20条(危険防止)、第21条(掘削等の作業方法による危険防止)、第23条(通路等の保全、換気等の措置義務)、第25条(退避措置義務)に関しても検討することとし ており、安衛則等の安全関係条文についても、今後改正が行われる可能性があります。

第2弾の特化則、有機則、鉛則、粉じん則、四アルキル鉛則の廃止等について

1.「職場における化学物質等の管理のあり方に関する検討会報告書」では、
①リスクアセスメントに基づいた暴露防止措置を自ら選択実行する「自主的な管理」への移行による特化則、有機則、鉛則、粉じん則、四アルキル鉛則の廃止
②そのための実施体制として化学物質管理者の選任(新設)及び保護具着用管理責任者(新設)の選任の義務化
③化学物質取り扱い者全員への雇入れ時・作業内容変更時の安全衛生教育の義務化
④安衛法第57条(名称等の表示)、第57条の2(SDSの交付)の対象物質の拡大と記載方法の変更
⑤事業場内での移し替え時におけるラベル表示の義務化
⑥安衛法第31条の2(化学設備等の改造等の発注者の文書交付)の対象物質の拡大
⑦作業環境測定結果の評価が3年以上第1管理区分であるなど一定の条件を満たす事業場について、都道府県労働局長の認定により特化則等の適用を除外する制度の創設
⑧一定の条件クリヤした場合、事業者の判断で6か月に1回の特殊健康診断を1年に1回とすることができる制度の創設
⑨作業環境測定結果の評価が第三管理区分である場合、第一又は第二管理区分にするため作業環境管理専門家(新設)による意見聴取の義務化(ちなみに、第三管理区分の事業場は、鉛業務3.2%、粉じん業務6.6%、有期溶剤業務3.5%、特化業務3.9%(令和元年「労働安全衛生調査(労働環境調査)」))
を提言しています。

2.厚生労働省では、この報告を受けて安衛法施行令の改正を行い、④に関して安衛法第57条、第57条の2、第57条の3(化学物質のリスクアセスメント)の対象物質に234物質を追加(合計904)、⑥に関して安衛法第31条の2の対象物質にSDSの交付対象物質日本労を追加しました。(2023年4月1日施行)
特に⑥の改正は④の改正により対象物質が拡大されていくことから、製造業等では改造、修理等の情報を企業内で十分共有しておくことが重要です。製造設備の撤去作業において、メチルエチルケトンを用いていた処理槽の解体工事(爆発で1人死亡)を発注した旭化成㈱が安衛法第31条の2違反容疑で2021年3月29日送検されています。(滋賀労働局発表)
なお、④の対象物質は、今後毎年50~100物質を追加指定する予定です。
②、③、⑤、⑦~⑨については、安衛則、有機則、特化則、粉じん則等の改正を2022年度中に行い、2023年4月1日以降順次の施行を予定しています。

3.①の特化則、有機則、鉛則、粉じん則、四アルキル鉛則の廃止は、化学物質の管理について労働基準監督署による監督を事実上外すという大きなパラダイムの転換です。
これらの対象事業場数及び労働者数は、特殊健康診断結果報告によれば、有機溶剤39,542(689,209人)、鉛3,404(53,077人)、粉じん(じん肺健診)48,199(581,712人)、四アルキル鉛2(11人)です。特化則は67,522(887,116人)となっていますが、物質ごとの報告であるため実数は不明です。(令和2年労働基準監督官年報)
一つの事業場で複数の対象物質を使用している事業場が多いと思われますが、少なくとも数万事業場、100万人以上の労働者が、事実上労働安全衛生法の厳格な規制から外れることになります。それで労働者の保護が図れるのでしょうか。正直言って、中小企業が化学物質のリスクアセスメントを適切に実施し、その結果に基づき「自主的な管理」を行うことによって、化学物質による健康障害を防止できるとは思いません。一度タガが緩んだものを元に戻すのはたやすいものではありません。
むしろ、一度読んでも理解できない特化則と有機則、四アルキル鉛則を「(仮称)化学物質障害予防規則」として一本化し、鉛則を粉じん則に一本化するなどして、分かり易く、単純化し、遵守しやすい規則にするべきであると思います。

関西支部通信第36号(2022年6月発行)から転載

過去記事一覧

PAGE
TOP