関西支部発

労働組合はまだ生きている ~労働争議の現場から~

2022/07/11

 
JAM大阪オルガナイザー育成アドバイザー
狩谷 道生

集団的労使紛争が視界から消えて久しい。厚生労働省の調査では、直近の2020年の半日以上の同盟罷業(ストライキ)件数は、1974年ピーク時(5,197件)の僅か0.7%(35件)にまで激減している。
このような「労働争議の荒野」とでも言うべき状況下で、「ブラック・ファンド」による企業乗っ取り・組合潰しと6年間に亘って闘い抜き、勝利したA労組(組合員数120名)の長期争議を紹介したい。尚、この争議には、筆者も浅からず関わらしていただいた。

事態は2013年、BグループがA社の株式の30%を買い占め、A社の経営権を簒奪したことに端を発する。BグループはM&Aでその規模を急拡大させ、60余社の関連グループ企業、約10,000人の関連社員を擁していた。Bグループが乗っ取った企業では人員削減、労働条件の切り下げが横行し、労働組合は潰されるか、弱体化を強いられた。しかも、企業自体も資産を吸い上げられ、多くは衰退か解体過程をたどった。

繰り返された労働現場での実力闘争

争議は2014年春闘から始まった。A社は、当時希に見る好業績であったにもかかわらず、BグループB会長の指示により、組合員の期待を大きく裏切る低額回答を敢えて行った。A労組は数十年ぶりの組合旗掲揚・鉢巻き就労の闘争態勢に入り、ストライキを決行した。結果、ベアゼロ(定昇分は確保)ながら、一時金の上積みで妥結した。

しかし、その年末、A社は虚偽の「赤字決算見通し」を理由に、協定で確定された冬季一時金の減額をA労組に申し入れ、「減額に応じること」を一時金支払いの前提条件として譲らなかった。従って、事態は必然的にストを含む争議へと発展した。さらに、A労組は一時金(協定により既に債権効果が発生している)不払い事件として労働基準監督署に申し立てた。あまりにも悪質であったため、労働基準監督署は即日A社に 是正勧告を行った。A社は渋々これに従わざるを得なかった。

2015年春闘は100日争議となった。B会長の意を受け、A社が大幅な査定制度の導入を一時金回答の前提条件としてきたためである。しかも、Bグループから派遣された取締役が経営側の決定事項をひたすら繰り返すだけの不誠実団交を展開し続けた。このため、A労組の争議態様は残業・出張・受架電拒否、ストライキの反復へとエスカレートしていった。そして、JAMの支援動員を得た株主総会での抗議行動を通告するに及んで、ようやくA社は歩み寄り始めた。最終的には査定幅を大幅に縮小すること、同査定を2015年夏季一時金に限定することを条件に一時金の支給金額・日程を確定し、妥結した。
このような経済闘争での激しい鍔迫り合いが2016、2017、2018年春闘等でも繰り返された。しかし、Bグループ・A社は経済闘争を通じてA労組を弱体化させることはできなかった。

闘争は労働委員会・裁判闘争へ拡大

Bグループは、2015年8月、A社の株式を所有する純粋持株会社Aホールディング社を立ち上げた。そして、新規採用者をAホールディング社で雇用し、A社に出向させるという手の込んだ手口で、彼らをユニオン・ショップ協定の範囲外に置き、組合員の減少と労組の消滅を謀った。

さらに、A社は2015年12月、従来の対等で安定した労使関係の基礎となっていた労働協約の全面改定をA労組に申し入れた。「ユニオン・ショップ条項の破棄」、「便宜供与の打ち切り」、「事前協議同意条項(労働条件・経営上の重要事項の変更には労組との協議・合意を要するという協定)の削除」、「争議条項の変更による労働組合の無力化」等がその主な内容であった。A労組は当然、一切の変更を拒否した。

しかし、A社は2016年4月に労働協約の解約を一方的に宣言した。このため、ユニオン・ショップ協定をはじめとする労働協約を巡る争議が開始された。権利のための闘争である。

A労組は職場における執行委員を中心とした指名スト、全組合員による時限スト、残業・出張拒否等の職場における実力闘争を展開すると同時に、2016年7月7日、大阪府労働委員会に不当労働行為救済申立を行った。
労働委員会における闘争は6回の審問を含め3年に亘った。結果、2019年4月15日、概略以下の内容の命令が公布された。

①労働協約の改定・破棄は労組法第7条3号の支配介入、団交における会社側の対応は同2号の不誠実団交に該当する不当労働行為であり、労働協約を有効なものとして扱わなければならない。

②Aホールディング社で採用した者を、A社に出向させたことは労働組合の組織率を下げ、影響力を削ぐことを企図したものであり労組法第7条3号の支配介入に該当する不当労働行為である。

③謝罪文を手交すること。等々
労働組合側の完全な勝利命令であった。

しかし、A社はこの命令を不服とし、中央労働委員会に再審査を申し立てた。これに対してA労組は、2019年10月18日、Bグループ・A社に対する損害賠償請求(会社の攻撃による組合員の減少という損害に対する賠償請求)を大阪地裁に申し立て、さらに会社を追い込んだ。勿論、職場での闘争は続いていた。

労働組合の全面勝利へ

2020年4月9日、中央労働委員会での和解交渉の途上、A社は突然、中央労働委員会への再審査申立を取り下げた。これにより上記大阪府労働委員会の命令は確定することとなった。以降、労使の和解交渉は急展開し、2020年6月17日、①労働協約は有効であること、②ユニオン・ショップ協定、事前協議同意条項、組合事務所・組合掲示板等の便宜供与を原状に回復すること、③Aホールディング社からの出向社員をユニオン・ショップ協定の適用対象とすること、④会社は労働組合に謝罪し,謝罪文を手交すること等を主内容とする和解が成立した。労働組合側の全面勝利和解である。これにより労使関係は正常化された。しかもその後、BグループはA社 の株式を全て手放し、支配権を放棄した。

A労組は自らの労働組合組織のみならず企業そのものを「ブラック・ファンド」から護ったのである。3分の2まで減少させられた組合員は、ユニオン・ショップ協定の回復により闘争前の1.5倍まで拡大した。

今日の労働組合運動の沈滞状況下で、A労組が6年に亘る長期争議を制することができた第1の勝因は、組合員の3分の1を失うという苦闘の中で、団結を最後まで崩さなかったことである。ストにより経営に致命的な打撃を与えかねない仕事を行っている職場の組合員の躊躇、仲間の退職により疲弊した職場の組合員の動揺等々を一つ一つ丁寧な説得活動により克服していった。このような職場討議・職場闘争を基軸とした徹底した組合民主主義こそがA労組の団結の基礎であった。しかもその団結は地域の拠点組合として歴史的に陶冶されてきた伝統に裏付けられたものであった。

第2の勝因は、産業別労働組合JAMとその傘下の単組が常に闘争を支え続けたことである。JAM大阪のオルグ団がA労組のほとんどの執行委員会、職場討議・集会に参加し、厳しい議論を通じて絶えず変化する情勢に対応した戦略・戦術の立案に参画した。また、地域のJAM大阪傘下の多くの単組が職場集会、抗議行動等の支援に駆けつけ組合員を勇気づけた。

第三の勝因は職場における実力闘争と労働委員会・裁判所での闘争を結びつけて闘ったことである。「労働委員会や裁判は活用しても、寄りかかってはならない」は、労働争議の鉄則である。A労組は労働委員会・裁判闘争の最中でも、ストライキ、サボタージュ等の職場での実力闘争を疎かにはしなかった。このことが労働委員会命令を有効に活用できた要因でもあった。また、4人の強力な弁護団が法的側面からこの闘争を支えてくれた。

「労使協調路線のなかにどっぷりと浸かっていて、緊張感が足りない」(連合評価委員会最終報告)と評される今日の労働組合にあって、労使対等性を確保・維持することの重要性を改めて認識させてくれた争議であった。「協調」があっても「対等」がなければ労働組合の存在価値は無いのである。

関西支部通信第36号(2022年6月発行)から転載

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