特集

戦争の本質に迫り平和を築く 危惧される「新しい戦争」

2024/02/05

 
元代表・稲葉 康生

今、私たちはウクライナとガザ地区による地上戦での未曾有の大量殺戮と空からのミサイル爆撃による住民の命や生活基盤を根こそぎ破壊し尽くす現実を目の当たりにしている。第二次世界大戦後、国際社会が長い時をかけて築き上げてきルールが根底から揺らいでいる。戦争のない世界をどう築くのか。人類の長い歴史からヒントを得ながら考えてみたい。

戦うのは人の闘争本能ではない

動物の中で同族同士殺し合うのはヒトだけの習性といわれる。数年前、社会人大学で考古学を学んでいたとき、考古学者、松木武彦さんが書いた「人はなぜ戦うのか」(2001年)に出会った。冒頭、アインシュタイン(物理学)とフロイト(精神分析学)という、知の巨人による往復書簡が紹介されていた。

国際連盟が1932年にアインシュタインに「今の文明で最も大事だと思う事柄について、一番意見交換したい相手と書簡を交換してほしい」と依頼して実現した。アインシュタインは戦争を取り上げ「人間の心底にある破壊の衝動を別の方に導き、国家間の戦争を避けることはできるか」と問い、フロイトは「人間から攻撃的な性質を取り除くなど、できそうにない」と書き送った。

これに対し松木さんは「戦争は人間の闘争本能によるもの」とする暗い宿命論は第二次大戦後に解明作業が進み、否定されるようになったという。松木さんは①動物学の研究者からは本能的な攻撃衝動が動物にあるという説を疑問視する声がある②心理学では本能的な攻撃本能や破壊の衝動は、その存在が未だに実証されていない③戦争は人間の闘争本能から起きるのではなく、社会の思想や価値観の差異、個人差などによって左右されると――と述べ、「新しい視点から戦争の根源を解き明かさなければ、人類の未来は明るくない」と書いている。

縄文、江戸時代に戦争はなかった

一万数千年続いた日本の縄文時代には戦争がなかったとされる。同じ時期、大陸では戦争があり、影響を受けたはずだが、縄文人は少人数で移動する狩猟生活を送ってきた。縄文時代には大陸で稲作が始まっていたようだが、縄文人は稲作技術を受け入れなかった。富の偏在が周辺集落との対立を引き起こすリスクがあることを敏感に感じ取っていたという説もある。発掘された人骨に殺傷の傷はなく、武器も作らなかった縄文人の知恵から学ぶべきことは多い。

次に、二六五年続いた江戸時代も全国規模な戦争は起きなかった。徳川政権は参勤交代などを各大名に課し、平和維持のための統治システムを構築して反乱を押さえ込んできた。戦争がなかった江戸時代に人口が増えたが、食料生産の技術革新を進め、社会の混乱を招く戦争をしないノウハウを蓄積してきた。

松木さんは「人はなぜ戦うのか」の最後に、「戦争は意識と思想の産物」と書いている。この考えに同感する。戦争が起きるのは人間の闘争本能からではなく、社会や思想の差異から起きると考えれば、私たちは戦争が起きる本質について、深く考え直す必要がある。

戦争をしないための思想を縄文や江戸時代からも学ぶことも必要だ。資源の獲得競争、環境破壊、生産物の取引をめぐる紛争、領土問題、宗教対立など、戦争の原因となる課題を「人間の意識と思想」によって防ぎ、同時に反戦教育や国際組織による国家間の利権や領土紛争の調整などを行えば、戦争のない世界がみえてくる。

AIと核の結合による「新しい戦争」

最後に、今、一番恐れていることを書いておきたい。生成AIと核戦略の結合による「新しい戦争」への危惧だ。AIが核戦略を支配する新しい戦争では、いつどこで起きるかもしれず、AI任せにより核兵器の無差別の殺戮が起きる。今、起きている二つの戦争が新しい戦争の始まりになる可能性もある。戦争はいつパラダイムシフトしてもおかしくない。それを食い止めるには、人間の知性と思想、国々の団結が欠かせない。唯一の原爆被爆国である日本の役割も大きい。

過去記事一覧

PAGE
TOP