2026/06/08
―明治から昭和初期までの日本に外貨をもたらした製糸業の『女工哀歌』を見て知る
日本労働ペンクラブは、26年度の1泊見学会として、長野・岐阜の県境に位置する野麦峠で、5月24日に開催された第44回『野麦峠まつり』に参加しました。このまつりは、作家・山本茂美さんのノンフィクション『あゝ、野麦峠』をきっかけに、野麦峠山麓の長野県松本市の奈川地区と岐阜県飛騨市の高根地区の方々が、1983年から始めた催しで、25年の労働遺産認定では、初の『無形労働遺産』として認定され、1月の総会で関係者の皆さんに認定証をお渡ししました。そのさい、双方の関係者から「ぜひ、参加を!」との要請があり、労働遺産事務局と見学会担当が協力して、実現させたものです。
見学会は前日の5月23日から24日の1泊2日。参加者はJAMの若手職員2人の飛び入り参加を含め計22人。関西支部からも、森田定和支部代表ら3人が合流しました。また、22人のうちの5人は女性で、労ペンの企画としては最近では最多の女性数。女性参加者からは「女工哀史を私たち女性が知らないわけにはいかない」という声も聞かれました。
野麦峠まつり見学会の日程
初日・5月23日(土)
JR松本駅改札集合⇒⇒⇒松本市歴史の里」(山本茂実展示コーナー、宝来屋等見学⇒⇒⇒ 宿舎着 旅館・御食事処「仙洛」《オプション》23日午前、岡谷蚕糸博物館見学
2日目・5月24日(日)
①山行班...ワサビ沢で出発式、野麦峠へ歩いて登る ②バス班...野麦峠まつり会場(お助け小屋前広場)へバスで直行⇒⇒⇒石碑・石像見学 ⇒⇒⇒お助け小屋前広場でまつりイベント参加⇒⇒⇒JR松本駅着・解散
初日は、5月23日(土)午前のオプション企画、岡谷蚕糸資料館の見学からスタート(写真1=岡谷蚕糸資料館前で、写真2=糸引き作業を見る)、午後には、「松本市歴史の里」を訪問。移設された工女たちの宿泊施設の『宝来屋』(写真3=移設後の宝来屋前で)、旧昭和興業製糸場(写真4=平成まで稼働していた製糸工場の様子を聞く)のほか、旧松本区裁判所庁舎などについて、地元のボランティアガイドの熱心な説明に耳を傾けました。
岡谷蚕糸博物館での参加者一行
糸引き作業を見る
歴史の里・宝来屋の前で
最後の製糸会社の糸引き作業場2日目の本番、『野麦峠まつり』は、奈川側からの登り坂1300メートル(写真5=出発点のわさび沢で説明板を読む)の野麦街道を登るグループと、バスで直行するグループに分かれました。登山グループは1時間超をかけて急坂を登り、バスグループは急な登り坂、急カーブする道をガードレールを越えないよう祈りながら、頂上を目指しました。ひと足先に到着したバスグループは、まつり開始時間の正午まで、政井兄妹像、乙女地蔵はじめ、峠の碑や石像、石仏などを見て歩き、大雪の峠を越えた工女たちに思いを馳せました。
まつりは、「お助け小屋前広場」で行われ、最前列には、女工に扮装した地元小中学校の子供たちが陣取りました(写真6=工女に扮した子供たち)。田中明・飛騨市長、大島良司・松本市アルプスリゾート本部長の挨拶で始まり、今年は、特別に、労働遺産を認定し、認定証を交付した労ペンにも挨拶のお呼びがかかり、植木隆司代表が労ペンのPRをしたあと、「これからも忘れさられようとしている、また、忘れ去られた労働遺産を発掘し、認定していきたい」と労働遺産認定活動についての決意を述べました(写真7=挨拶する植木代表)。
糸引き工女の唄(写真8)、イササ踊り(写真9)などが演じられ、午後1時すぎには終わりました。最大勾配25度を自力で登った参加者にも事故なく、また、心配された熊の出没(写真10=熊注意の立て看板)もなく、見学会は無事に終了しました。
編集部注・野麦峠まつりに参加した会員らの感想を書いた詳報は、6月22日にアップいたしますので、どうぞご期待ください。
野麦峠出発点、ワサビ沢で
女工に扮した子供たち
会場で労ペンをPRする植木代表
糸引き工女の唄をアレンジして歌う
ササラ踊りの輪
峠の頂には熊注意看板も
