2024/10/15
(会報221号=24年10月5日号から転載)
日本労働ペンクラブ主催の「労働遺産」パネル討論会が、9月5日、ちよだプラットフォームスクウェアで開催された。4年目を迎えたこれまでの活動を検証し、「労働遺産」の意義と重要性を再認識することとあわせて、「遺産の継承・保全」について、有識者や関係者と議論し、認識を共有することを目的とした。
冒頭の挨拶で植木隆司代表は、同事業の発端が労働団体のプロパーで作るジャンタクラブの取り組みだったことを紹介。それを取り入れる形で検討してきた経緯を説明し、パネル討論を通じて「労働遺産の大切さを訴えていきたい」と述べた。
パネル討論は第1部として西澤昇治郎・同代表代理が「労働遺産事業の起点と現状について」と題して基調報告した。同事業の目的について、会員が「労働にかかわる諸課題の調査・研究を通じて労働遺産を発掘し、その意義と価値を確認、継承、保全することの重要性を広く社会に発信し、働く現場の歴史を後世に伝えること」であると説明。2022年に第1号を認定し、3年間の実績として6件、18点の労働遺産を認定してきたことを紹介した。一方、労働遺産の位置づけについて、定義や解釈がなく、文化財としての対象になっていない現状を指摘。「労働は文明・文化の発展の基礎であるにも関わらず、その源である働く現場の歴史が『労働遺産』として評価されていない証であり、極めて強い問題意識を持つ」と訴えた。さらに、労働遺産の継承・保全には社会や市民の支持・支援が不可欠だとし、労働界や関係諸団体との連携強化に向け、パネル討論をきっかけに、活動の社会的広がりにつながることを期待した。
第2部のパネルディスカッションには、仁田道夫・東京大学社会科学研究所名誉教授、榎一江・法政大学大原社会問題研究所所長、小松亮・クラボウ執行役員総務部長(倉紡記念館長)、奥原仁作・㈱ふるさと奈川社長と西澤代表代理が出席。浅井茂利・幹事をコーディネーターに進行した。
仁田氏は「労働遺産」について、労働運動の重要事件、労働問題・労働政策の重要転機などに関わった当事者と後継者による保存の努力は、「日本社会に生きる人々が共有すべき歴史の記憶につながる」とその意義を評価。その一方、労働史には多彩で豊かな経験があることにも目を向けるべきだとし、ジャーナリスト、役人、政治家、宗教者などの労働に関わった多様な人々に光を当てることも必要だと語った。
第1回の認定を受けた大原社会問題研究所の榎所長は、働く現場の歴史を後世に伝える試みとして、①日本の労働現場を記録する『日本労働年鑑』(1919年)の発行と資料収集、②資料の意義をわかりやすく伝える展示(HOSEIミュージアムテーマ展示で労働遺産第一号の「神戸川崎・三菱大争議」の実写フィルムも上映)を紹介。今後の課題として、書庫スペースの確保とその担い手となる専門職(司書・アーキビスト)の採用や若手研究者の育成、関係機関との協力をあげた。そのうえで、歴史を後世に伝えるためには、「学術研究機関としての研究活動の活性化が不可欠」と述べた。
23年度の労働遺産認定を受けた倉紡記念館は同年4月に同館が立地する「倉敷アイビースクエア」でG7倉敷労働雇用大臣会合が開かれたことを機に、記念館をリニューアル。労働遺産の認定も展示されている。こうした効果もあり、2024年度の来館者が4万1000人に達している。その後、同館ではDNA浸透のための社内研修(内定者、管理職)も実施している。企業の持続可能性にとって人的資本経営の重要性が強調される中、創業時から受け継がれる経営理念や大原孫三郎の労働理想主義について、小松氏は「風化させないように歴史を共有していきたい」と述べた。
近代日本の基礎を築いた製糸工場に働く工女をドキュメンタリー的に描いた小説『あゝ野麦峠』(山本茂実)をきっかけに、その歴史と文化を伝えている奥原氏は、野麦峠の盛衰について報告した。同小説の刊行以来、映画化されたこともあり、峠を訪れる人が増えた。1983年以降は、地元の婦人会が女工に扮し、峠道を歩く野麦峠祭りが開催され、最近では地元の子供も加わり、歴史の学習の場として続いている。しかし、トンネル開通以降、峠を通過する人は激減。「野麦峠の歴史・文化遺産を守り後世に伝えていくためには、地元からの情報発信を永続していく必要がある」と述べ、地道な活動の重要性を訴えた。
フロアーとの討論を受け、パネリストから今後の活動に期待することとして「若者にどうアピールするか」(榎氏)、「形のあるものだけではなく労働の歴史を含めて知らしめることが重要」(奥原氏)などの意見があった。
シンポジウムの最後に、労働遺産認定事業に対する意識を高め、働きかけを一層強化し、連携による社会的拡大などを訴えるアピールを採択した。なお、同シンポには会場43人、ZOOMによるオンラインで8人の計51人が参加した。
パネリストのご発言要旨
東大・仁田名誉教授
労働遺産認定事業については、ぜひとも応援したいと思っている。認定遺産一覧を見ると、労働運動や労働政策の重要な事件、経営者の先駆的な取り組みに着目してきたことがわかる。労ペンが労働問題や労使関係に関心を持つコミュニティを代表して感謝の意を表す、社会的に認知していることを示すということはとても重要で、ひいては日本社会に生きる人々が共有すべき歴史の記憶につながっていく。認定証を受け取らない大阪府のようなことが起きること自体、共有すべき歴史の記憶が共有されていないことを示すものだ。
大原孫三郎Who?というのが一般的だが、非常にまずい。日本国民が誇りに思うようになってほしい。お札になるよう、経団連にも頑張ってほしい。大河ドラマでは描かれなかったが、渋沢栄一も労働運動の最も大事な応援団だ。何かを労働遺産認定できるとよい。
1919年の川崎造船所の争議は8時間労働制につながった非常に重要な事跡だが、専門家の間でも認識が十分でない。この時期、川崎・三菱の大争議をはじめ阪神地域の主要工場、八幡製鉄所と争議が起きているが、労働運動の盛り上がりはILO創設のインパクトが大きいことはもっと知られるべきだ。
大事件でなくとも、芝浦製作所では女子労働者を採用した際、男子対象だった青年学校で女子にも教育を行っていた。制服も都会の女子労働者という新しいタイプの登場を示す材料と言える。労働遺産認定できるものがあるとよい。
社会問題に人々の関心を引き寄せたジャーナリスト、政治家、役人、宗教者などにも光をあてたい。松竹をはじめ労働争議の面倒を見た高野山も対象になる。
大原社会問題研究所・榎所長
大原社会問題研究所がいちばん力を入れているのが『日本労働年鑑』を刊行し、現在の労働現場を記録することである。1920年刊行の第1号が、まさに労働遺産に認定されている。年鑑発行のため、基礎となる資料をきちんと収集していくのがわれわれの使命だ。池袋西武のストのパネルやのぼりも寄贈を受けている。歴史資料というより使ったばかりだが、それを引き受けて学術研究や教育に使えるよう保存するのがわれわれの役割である。
資料の展示も必要で、創設以来、公開に努めてきた。100年前の実写フィルム上映や西洋の貴重書の展示、関東大震災の写真のデジタル展示などということもやってきた。
今後の課題として、書庫の確保がある。資料を収集・蓄積し続けているので、満杯になっている。大原社研のある多摩キャンパスは再構築が検討されており、スペースの確保に努めていきたい。
研究所の担い手についても、司書やアーキビストなどの専門家は、いまは臨時雇用だが、これをなんとかしたい。労働・社会問題に関心を持つ若手研究者を育成する必要がある。世界・国内の研究機関とも連携も図っている。働く現場の歴史を後世に伝えていくためには、労働・社会問題を発信する研究機関の活性化が不可欠だ。
倉紡記念館・小松館長
2023年4月、G7労働雇用大臣会合が倉敷アイビースクエアで開催された。メインテーマは「人への投資」で、テーマにぴったりあてはまるということで誘致した。大臣やILO事務局長などに倉紡記念館を見学していただいたが、これに合わせ大原孫三郎の功績に関する部分を中心にリニューアルした。労働遺産認定証を展示し、認定された機器にはマークを表示している。G7終了後、特別無料開放を行い、1か月で1万4000人にご覧いただいた。今年度も4万1000人のご来場を想定している。
倉紡記念館は、地元高校生の体験学習の場として活用していただいているし、社内では、DNAを現在・未来の従業員に浸透・共有させていくため、新卒採用の内定者研修や管理職研修を倉敷で行っている。グループ会社も記念館を見学し、歴史の勉強をしている。
今年4月、クラボウ136年の『教育史』を発行した。昨今、サステナビリティー経営、人的資本経営が言われているが、初代社長大原孝四郎の残した社是・社訓、孫三郎の実践した「従業員の幸福なくして事業の繁栄なし」という労働理想主義を風化させることなく、現在・未来の従業員がしっかり共有できるようにしていきたい。
ふるさと奈川・奥原社長
山本茂実先生の大ベストセラー『あゝ野麦峠』は、野麦峠を越えて製糸業の聖地・諏訪湖周辺に通う奥飛騨の女性たちの物語だ。
雪解けの時期、列をなして奥飛騨から諏訪湖畔に向かい、12月暮、最後にとれた繭の糸引きを終え、1年間働いたお金を持って親元へ帰っていく、その一番の難所が信飛国境の険峻な野麦峠である。
山本先生が膨大な聞き取りを行い、それをまとめて小説に組み上げ、隈笹に覆われた野麦峠を世に出した。「あゝ野麦峠」碑が建立されて以降、多くの読者が工女たちに思いを馳せ、私財で記念碑、観音様、お地蔵様を建てている。
毎年5月、地元の小中学生が工女に扮し、峠を歩いて歴史を学んでいるのが野麦峠祭りだ。昭和58年から続いているが、子どもたちがどんどん少なくなっている。
道の管理者の松本市は危険個所や路面を修理し、私共は自発的に率先して笹刈りをするということで、道を後世に伝えていく取り組みをしている。地元だけでは力が足りないので、笹刈りに参加していただく仕組みづくりや、祭りを伝えていく努力をしていく。
私たちの今の生活の原点を作ってくれた、そういう人たちが野麦峠を通ったということを伝えていきたいと思う。

