総会

活発な提言で「列島沈没」回避へ

2019/07/08

 
第2代代表 小井土有治

2003年の労働ペンクラブ第24回総会を、会報106号は「期を画する総会」と報じた。その理由は「クラブ創設以来22年間代表を務めた矢加部勝美氏が退任、クラブの活性化と活動領域拡大のための規約改正」である。規約改正は、任期規定がなかった全役員の任期を1期2年、2期としたことである。総会は矢加部氏を名誉代表に推挙することを決し、多くの新役員を選出した。代表の重責を担うことになった小生は、労働運動、労働環境が重大な転換点にあるとの認識から、会員に自発的、積極的な提言と企画への参加を要請した。

海外活動では2004年に北京や大連、旅順を訪問し、「中国のITの目覚ましい進展」などを視察した。2006年には広州、昆明などを訪れた。何度も訪中したが、特に強い印象は通常は入れない北京の中南海という要人の居住域で会見行事が実現したこと。労ペンが14年ぶりに韓国に視察団を派遣し、韓国労働ペンクラブと意見を交わしたのも印象に残っている。日韓関係が最悪の状況になるとは想定できなかった。

日本は昭和の敗戦から目ざましい発展を成しとげ、1億総中流とか世界第2の経済大国と声高にいわれたことがあった。しかし、今や、中国が米国と経済大国の地位を争う状況に"激変"している。日本は人口減少、少子高齢化が顕著で、先行きが全く不透明である。女性の登用も急務である。会報には、小生が2004年度総会で「景気の回復、雇用の回復、気分の回復の3Kを訴えた」と出ていたが、日本の閉塞感を払拭する必要性は大である。現執行部が活発な提言活動などを行い「列島沈没」はぜひ回避していただきたいと強く願っている。

【会報ばんざい】若い(?)会員の奮起に期待!

櫻井(藤井)龍子

はじめに労働ペンクラブに入会させてもらったのは、労働省を退官(平成13年)してしばらく経ってからのことだったと思う。  
昭和55年から3年ほど、私は労働省労政局労働組合課という今はなきユニークな組織で課長補佐をしていたので、労使関係をはじめ労働問題が社会変化との相関においてどうなっていくのか強い関心があった。労働戦線統一により連合ができ、政権交代も経験し、世の中に一種の緊張感が漂っていた時代であったから、労ペンの主催する講演会、視察、海外調査などにも積極的に参加し、大いに刺激を受けた。

特に、平成16年の労ペンの韓国調査に参加した際には、韓国の非正規労働者問題と非正規労働者保護法成立の動きを知り、将来の日本の姿につながるのではという問題意識を持った。その後独自の調査研究を深め、その成果をNHKの「視点論点」で解説したり、日経新聞やエコノミストに記事を書かせてもらったりした。手前みそだが、先見の明があったと思っている。

また当時は、かつて春闘華やかなりし頃に、筆や弁の立った、それこそ労働省記者クラブのヌシだったような記者さんがゾロゾロおられたので、彼らの話を聞くだけでも、ドラマを見るようで面白かったことも懐かしい思い出である。

その後、図らずも最高裁判所の判事になったため、すっかり労働問題から遠ざかっていたが、一昨年の1月に定年退官したので、労ペンに再加入させてもらった。  
しかしながら、歳のせいか、懐かしい猛者連中のお顔が見られなくなったせいか、はたまた世の中の変化のせいか、どうも各種行事への出席率が低くなってしまい申し訳なく思っている。  
労働問題がいよいよメインロードに押し出され、複雑化の様相を呈している昨今、ここはぜひ若い(?)方々の奮起を期待したい。

「あの日あの時」①対外的に猛烈アピール

会報創刊号が発刊されたのは、81年1月12日の労ペン発足を受けて、2か月ほど遅れた同年3月20日号。B5版8頁建て。紙は白色紙で、字の大きさは8ポほど。「ジャーナリストも研究家も初めて一堂に 盛んなクラブ結成」―。一面トップ。サブ見出しで「会員すでに五十人に達す」とうたった。掲載された写真は1枚だけ。会員50人なのに、500部も印刷しているのはなぜか。

その後、82年には、350部印刷し、200部を会員(85人)らの配布用。大河内一男、平田富太郎、高橋正雄の碩学三氏に顧問を委嘱するなど、発足当時は、対外的にアピールする意識が濃厚だったようだ。ちなみに、現在の印刷部数は250部。外部への送付は20部弱だ。

  
 

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