私の主張

「コロナ禍」が人類につきつけた「問い」
人びとが共生できる、また「自然」と共生しうる文明への転換

2021年3月08日

 
会員・井上定彦(島根県立大名誉教授)

2021年に入って懸念されていたコロナ禍の第三波が日本と世界を襲っている。昨春の第一波を大きく上回る大波のようである。1月7日と13日にまたがって、11都道府県に再び緊急事態宣言が発令された。いったん昨年夏から秋に多少は鎮静化したようにみえ、また予防ワクチンの開発のメドがたちつつあるということで、愁眉を開きかかったすぐ後のことである。
日本と欧米を含む世界のなかで、例外的に鎮静化に成功したかにみえた中国でも、北京から遠くない石家庄市( 河北省)で、再発が確認され(これまでのCovid-19とは違う変異種のビールスだとの報道も) 、この地区はふたたび「戦時モード」に入ったとも伝えられる。2021年中の世界経済の回復も可能との楽観的見方があったが、早くも冷水をあびせられた恰好である。

以下下記PDFにて

「コロナ禍」が人類につきつけた「問い」【PDF版】

  

「元徴用工問題の解決」再考

2021年2月01日

 
会員・横舘 久宣(フリ-ランス・ライター)

筆者の個人的な原体験がある。終戦直後、東北地方の小都市で小学生だった。仲良しの級友に在日朝鮮人のK君がいた。大阪から引っ越してきたという。絵が好きで上手だったが、彼の画材は他の級友のそれと比べて明らかに家の貧しさをうかがわせた。苦学の末、中学校の教師になり、その後、画家としてパリや東京、母国のソウルなどで個展を開くまでになった。都内でクラス会をしたときのこと。近況報告のなかで彼は急に「みんなは俺に優しかった。だから...」と言って絶句、うつむいてにじませた泪に、差別に悩まされた70年に近い彼の人生の苦難を思った。

こうした原体験も相まって、当時、朝鮮半島出身者の日本における境遇は厳しいものではなかったかと想像してしまう。徴用工の多くが強制動員や強制労働の不運に遭遇し、かなりの不利益を被ったのではないか。その様子は、日本での裁判記録でもうかがわれる。判決では、国や被告企業による不法行為や安全配慮義務違反について、原告側の主張を認める判断が多い。例えば「過酷で危険極まりない作業になかば自由を奪われた状態で相当期間にわたって従事させられ、賃金の支払いはなされていないことが認められる」、「欺罔や脅迫による強制連行、強制労働と認められ、当時の法令と公序のもとにおいても許されない違法な行為だった」といった内容だ。中国人原告提訴では「被害の実態や苦難の様相はあまりに痛ましく、慄然たる思いを禁じ得ない。法的責任は消滅しても道義的責任が消滅する理由はない」とする「付言」が示された判決もある。さる12月、朝日新聞夕刊が連載したルポ「現場へ! 強制労働の足跡をたどる」でも、当時の中国人や朝鮮人の生々しい苦役の様子が語られている。いずれの訴訟においても「日韓請求権協定により請求権は消滅した」との判断や、除斥期間や消滅時効を理由に棄却された。

いまなお気持ちの晴れない被害者をおもんばかり、両国政府間の対話の再開を期待したい。報道によれば先日、韓国の文大統領が慰安婦訴訟に関し、変化の兆しともとれる新たな姿勢を表明した。2015年の日韓慰安婦合意を「政府間の公式合意」であると認めた。元徴用工の問題では、日本企業の資産の売却による現金化は「韓日関係に望ましくない」と語ったという。

日韓請求権協定には、両国間になんらかの齟齬が生じた場合、解消するための手続きが示されている。一昨年、日本政府の協議開催の呼びかけに韓国は応じず、そのあと協定に基づく仲裁委員会の開催提案にも応えなかった。こちらの方が国際法違反という日本の学者もいる。韓国政府の再考を期待したい。関係者による補償のための基金の創設など諸々の試案が水面下で取りざたされているようだ。いずれも両国がテーブルにつかないことには始まらない。これまでの数少ない企業との和解のケースも参考にして被害者の救済につなげたい。

  

「企業業績と賃金決定 ―賞与・一時金の変遷を中心に」( 日本労働研究2020年10月号から)

2021年1月12日

 
会員・荻野登(幹事、労働政策研究・研修機構リサーチフェロー)

企業業績が賞与・一時金に影響するのは当然であるが,その影響度合いは時代とともに変 化する。本稿では賞与・一時金の変遷をたどりつつ,企業業績がどのように反映されてきたのかを概観する。賞与・一時金は制度として,明治から大正期に定着していくが,この頃は主従関係における恩恵的な施し,また現在以上に利益還元としての意味合いが強かった。その後,戦時下で制度化された賞与は生活給的な性格を強め,戦後,労働組合の増加とともに,賞与・一時金が交渉事項となると,物価高騰への対応として生活給としての性格をさらに強める。戦後復興期から高度経済成長期に,賞与・一時金の支給月数は伸び続ける。こうした動向を安定させるために年間臨給方式が導入される。石油危機後の安定成長期に入ると,企業業績によらない産業内の平準化,企業内の個人査定においても均等化が進む。その後,バブル経済の崩壊を経て,鉄鋼・電機などの輸出産業は円高の影響もあり,産別闘争として取り組まれた一時金の統一要求・統一回答の維持が難しくなり業績連動型 の決定方式に移行する。同方式は多くの企業で採り入れられるまでになったが,マクロ・ミクロともに岐路に立たされている。第一は新型コロナ感染拡大によってリーマンショックを超えるといわれる景気後退の中,支給水準の大幅な低下が予想されることである。第二に企業内では正規・非正規労働者間の賞与・一時金における処遇差に対して同一労働・ 同一賃金原則を踏まえた公正な待遇の確保が求められているからである。

【論文】企業業績と賃金決定──賞与・一時金の変遷を中心に|日本労働研究雑誌 2020年10月号(No.723)(PDF版)

  

日教組の「虚像」と実像を明らかにする ―『歴史としての日教組』という実証研究

2021年1月12日

 
会員 井上定彦(島根県立大学名誉教授)

少しまえ、第二次安倍政権が登場した前後から、あらためて日教組(日本教職員組合)が話題になったことがあった。また、自分の経験としても近年になってなじみになった知人がいて、安倍氏を応援する集団(日本会議もそのひとつ)の方もよく知っている方なのだが、隣席になったとき、日教組とは何でしたっけねという質問を受けたことがあった。むろん、あれは普通の教員の労働組合で、連合に加盟しているよというと、「そうなのか」とはじめて聞いたというような顔をされたので、むしろこちらが驚いた。つまり、いわゆる「保守系」のなかには、いまだ日教組は巨大で強力、どこかのイデオロギー集団が牛耳っており非常に政治的な集団だ、とばかり思いこんでいる人がいまだ結構いるらしいのだ。
さすがに、私たちの労働ペングラブの会員諸氏にはそんな方はおられないだろうが、ある時代にはたしかにかなりの存在感があったが、平成になって以降の日教組にはあまり接する機会がなかった、というのが普通だろう。

そういわれてみれば、かつては、たくさんの教員組合擁護・支援の本や文書がでる一方で、他方では、それを上回って、日本の「教育をねじまげている」元凶、強力なイデオロギー団体だ、思い込んでいる、いわゆる「右」筋からの批判・攻撃がある。日教組大会開催を攻撃することがその「右」翼たることの身の「証し」となるとみられて、黒塗りの大型宣伝カーが長い列をつくり大音量で妨害をするという時期もあったのも、たしかにそれほど以前のことではないのだ。

日教組の「実像」VS「虚像」

日教組(現在は組合員23万人程度) は、中央単一組織とは言いにくく、都道府県ごとに組織された公立学校、その普通教員を中心にしたいわば職能団体としての全国の連絡協議体(とはいってもその範囲での組織率も32%程度しかない)なのである。単一組織である多くの企業別組合がもっているような集中的な指令権限を機構的にはもっているとはいえない。つまり、運動や交渉の指示・指揮・財政のいずれをとっても、中央執行部もゆるやかな合意、あるいは大会での激しい議論と採決をへてはじめて行動をよびかけることができる、というようにゆるやかなものである。この実体は、戦後七十年余にわたり殆ど変わってはいない。そして、憲法の常識でもある労働者の権利(憲法28条)としてみれば、わずかに団結権があるのみで、団体交渉権・争議権はいまだにないという不遇な状況におかれている。国際基準(ILO)からみれば労使関係の「前近代性」が残ったままなので、民間の労働組合からみれば、ずいぶん大きなハンディキャップを負わされたままであるということになる。ちなみにいえば日教組はアメリカをはじめとする世界の教員組合(教育インターナショナル、3000万人) の標準的な一組織でもある。

いまや、教員の職場の労働条件、殊に日常的な長時間残業( 過重労働) のモデルともいえるようなひどい状態におかれている。少し前、週当たりの労働時間調査が公表され、40時間どころか48時間でもなく、週60時間をこえるものの割合が小学校教員で72.9% 、中学校教員ではなんと87.9% もいることが分かり( 連合総研調査) 、さすがに社会的反響を呼んだ。今世紀になってから目立って悪化を続けた、ということだ。長時間労働の是正については政府が「働き方改革」を進める動機のひとつとされはしたものの、その後具体的に条件が改善されつつあるとの話しは聞かない。交渉権がないことがやはり問題なのだと思う。 他方、戦前回帰すらめざしているかにみえる勢力は、相変わらず日教組批判を「みずからのアイデンティティー」あるいは存在価値としているようにもみえる。ここには自民党の2011年の憲法改正草案を推進しようとする勢力の一部として、有力な一角を占めていることは知られている。

日教組の「実像」を実証的・歴史的に検証する

日教組の「実像」と「虚像」の大きな乖離は、こんなところにも背景があるのかもしれない。たしかに、日教組は戦後民主主義の擁護者として世間の目に映じてきたことは事実だろう。つまり、「主権在民、基本的人権、平和主義」の戦後日本憲法は、当然のことながら文科省や地方の教育委員会を含むすべての行政機関の前提となっている。学校教師が児童・生徒に向き合うときには、これにそって授業をすすめることになる。そして、1950~60年代に確立した日教組運動は、戦時中の教師の悲痛な体験・反省から自然に生まれた考え方、「教え子を戦場に送るな」を、素直に表現したことで、その力の源泉ともなった。いまなお、原爆投下や空襲にかかわり, 平和祈念の「折り鶴」運動は、学校現場に根づいており、全国のかなり多くの自治体でも取り組まれているところだ。
そもそも、日教組とはいかなる過程を経て成立し、全国運動の支柱となってきたのか。その運営や機構はどうなっているのか、あるいはまた1990年代以降はあまり聞かなくなった「文部省VS日教組」という対立関係がそれほど目立たなくなったのはどうしてなのか。これらは、戦後史を考える際にはたしかに欠かせない部分ではある。その実像について、さまざまの見方をふまえつつ、社会・人文科学の対象としてとりあげ、客観的に検証したものはそれほど多くはないのではないか。

このたび、すでに教育学者として名声が確立している広田照幸さんをチーフとする20人あまりの若手教育学者、社会学者、政治学者、歴史学者が参加して、2012年から8 年がかりの膨大な作業が、ようやくほぼ完結した。『歴史としての日教組( 上・下2 巻) 』( 名古屋大学出版会、2020年刊行) である。大会記録、運営記録、そしてそのときまで健在だったかつてのリーダーたちからのヒヤリングなどを含め、地味で丹念な作業をつみあげたことが、この分析の説得力・論証力をもたらしている。この研究については、日本学術振興会科学研究費などの研究助成によってすすめられ、日教組からの資金支援をうけているわけではない。
日教組をめぐる功罪を議論する前に、その「実像」を知りたいと思う諸氏、戦後の教育問題を考えるときの基本文献として公立図書館での常備も望まれるところだ。

  

「『日韓問題の打開』元徴用工問題の解決」を読んで

2021年1月12日

 
会員・得丸洋(オフィス一夢代表)

去る十二月七日付けの労ペンHPの「私の主張」欄に表題の論文(横舘久宣氏)が出ていたので、浅学の身でそれに対する意見を書こうとしていたところ、十二月二八日付けの当該欄にも「労働遺産と産業遺産を考える」(鳥居徹夫氏)が掲載された。共に朝鮮半島出身者に対する徴用労働問題を扱っているが、対象になる労働実態が(当時の日本人と比べて)過酷であったかという点で、対極的な見方になっており、興味深い。

筆者にはこの問題を論ずる知識も確信もないが、この種の議論には、往々にして徴用労働は強制労働であるから過酷である筈だという思い込みがあるように思う。私見では事実は中間ではなかろうかと想像する。実際には労働者の逃亡や労災死もあったではあろうが、それは日本人にも発生したレベルと比べて論じられなければならないだろう。

この点で興味深いのは、ここ数年、日韓両国で注目されている書籍「反日種族主義」(元ソウル大教授・李栄薫氏)の内容である。李氏は、かなり突っ込んだデータで徴用問題だけでなく、慰安婦問題や当時の日本の経済政策の実態について解析し、背景となる事実について、かなりの部分が韓国側の主義に沿う事実の選択的抽出あるいは捏造であると主張している。
ここではこれ以上述べないが、いずれにせよ、議論の前提には希少なエピソードの積み重ねでなく、データによるエビデンスとしての解析が重要だと思う。(余談だが、今のコロナ問題も、マスメディアの報道は、主張したい一部の事実のみを強調しすぎ、この冷静なエビデンスベースのFACTFULNESSが全く欠如していると感じる。)

本題に戻る。表記の徴用工問題の論文は、これまでのこの問題の経緯と日本政府・企業がなしうることの提案が述べられている。  経緯については、上述のようにアプリオリに対象になる労働が過酷だったとしているように見えること以外はその通りであろう。(もっとも、本来、請求権の有無は、未払いの賃金の請求が主であれば、労働の過酷さとは関係が薄いと思うが。)
 一方、政府、企業の対応については余り賛成できない。結論的には、政府は今の姿勢を続け韓国側の変化を待たざるを得ないし、日本企業もやれることは殆どないと言わざるを得ないと思われる。その主要ポイントは以下である。

  • 企業への請求権は、法理的に言えば有るのが当然と思うが、それと関連する困難な諸問題を一括で解決すべく政府間で合意したのが戦後二十年目の一九六五年の日韓請求権協定であり、本来、その時点で韓国政府が国内問題として処理すべきものに変わっている。それを後から定義の不整備を突く形で蒸し返す、言わば法的な一事不再理原則に反するやり方で持ち出すのはおかしいのではないか。過去の自国政府の決定を覆すのは、韓国では頻繁だが。
  • そのことが認められないのは、韓国の常套手段であるからだけでなく、この問題が日韓の問題に留まらず、企業への請求権は、北朝鮮、中国、台湾にも飛び火するからである。飛び火したら飛び火したで、対処すべきだという議論も成り立つが、日韓請求権協定締結から更に55年、終戦から計75年以上が経過している。事実の認定は不可能だし、企業側も提携・合併を繰り返し、有力であった石炭産業の三井鉱山は既に無くなって久しい。
  • そうした中で論文で述べられているように関係企業は未払い賃金を供託していたというのであれば、企業としてすべきことは、考え方としてはないということになり、有るのはボランタリーな協力作業だけになってしまう。だからこそ政府間の協定で進めるべき問題ではないだろうか。
  • 請求権があるというなら、時効はあるのか?これは例外なのか?遺族の請求権はどこまであるのか?他の国への影響も含め、その種のややこしい問題も含め、結局、解決には政府間の協定で解決せざるを得ない筈である。
  • 当面の日韓関係の改善だけを目的にすれば、妥協することもやむを得ないかもしれないが、現在の文政権は相当な親北朝鮮政権である。韓国にする妥協は、将来起こる北朝鮮(あるいは朝鮮半島南北統合国家)への影響多大なものがある。これへの対応を誤ると、朝鮮半島全体の反日の動きに火に油を注ぎかねない。今後の米中拮抗する世界構造の中で、東アジア地区の将来を踏まえた対応が必要だと思う。

以上が筆者の意見であるが、もとより日韓問題の専門家でも無く、「街場の韓国論」に過ぎない。事実認識に誤りがあればお許し頂き、ご教示頂けると幸いである。

  
   
1  2  3  4  5  6  7

過去記事一覧

PAGE
TOP