私の主張

NPO現代の理論・社会フォーラム経済分析研究会 メールマガジン第244号 (2021年4月15日号)

2021/05/10

 
労ペン会員・柏木 勉( 経済アナリスト)

【WEB】(http://keizaiken.sakura.ne.jp/ )

日銀は債務超過になるのか

コロナ禍で「膨大な」財政支出が予定され、「財政悪化を憂う」声がまたまた大きくなってきた。本年度一般会計予算の歳出総計106.6兆円は過去最大。公債依存度40.9%、国債発行計画は実に借換債と新発債の合計で236兆円。前年度当初比で82.5兆円もの増加だ。均衡財政論者の声は「仕方がない、今はコロナ対策が第一だ」としぼんでいたが、ここへきてまたまた「将来のつけ」「財政規律の重要性」を声高に叫びはじめた。論点は諸々あるが、今回は日銀の債務超過問題をとりあげる。そこで最初に誤解なきよう云っておくが、以下は左派リベラルが政府・与党の政策に対する代替案を打ち出すにあたり、欠かせない認識の一つを述べるものである。

日銀は支払い不能には陥らない

この問題はポストコロナや量的緩和からの転換にあたって日銀が債務超過になることをどう考えるかということだ。日銀は市場からの大量の国債購入で財政支出を支えてきたが、経済が停滞から回復し物価が上昇していくと、異次元緩和から引き締めに転じて行く(出口に入る)。その場合、銀行の日銀当座預金(以下「当預」)に一定の金利をつけて(付利)政策金利をあげていく。するとそれまでは低金利だったので、日銀は保有国債から得る金利よりも、当預に付利して支払う金利のほうが高くなる。逆ザヤだ。だから日銀の財務が悪化して債務超過に陥る。均衡財政論者は、この債務超過を「大変だ、大変だ、危機になる」と大騒ぎしているのである。

また、市場の金利が低下しても上昇しても日銀の国債購入価格は額面より高いので、償還時に日銀は損失を被り財務悪化、債務超過になるので国債購入は出来なくなるとの主張もある。

しかしこれらの騒ぎや主張は全くおかしい。そもそも日銀は無からカネをつくりだせるから、逆ザヤの金利支払いだろうが損失だろうがその他経費だろうが支払い不能に陥ることはないからだ。

ここで元日銀副総裁の岩田規久男の本(「なぜデフレを放置してはいけないか」)から引用して、債務超過を大騒ぎするある均衡財政論者の蒙昧ぶりを紹介したい。岩田が皮肉まじりに語るエピソードが面白い。長い引用だがご容赦を。(とは云っても、私 は黒田バズーカの理論的支柱だったリフレ派岩田を支持するものではない。異次元緩和は当初目標を達成できなかった) 「・・・私が、世間では金融政策の専門家中の専門家と考えられている、あるマクロ経済学者(その方の名誉を傷つけたくないので匿名にします)と話している時に、日銀の経常損益がマイナスになる可能性が話題になったことがあります。その時、そのマクロ経済学者は「そんなことになったら、日銀は人件費を払えなくなる!」と叫びました。・・・働く人がいなくなるから倒産する、といっているのと同じです。私はこの叫びに驚き、「あなたは本当に金融政策専門の経済学者ですか」と訊きたいところでしたが、ぐっと我慢しました。日銀は人件費にせよ、他の経費にせよ、日銀当座預金にその支払い金額を記帳するだけで、取引を完結することができるのです。・・・日銀の経費支払先が、現金(日銀券)が必要になり、預金を引き出す時には、預金を受け入れた銀行は増えた日銀当座預金を日銀券に換えて、この預金引き出しに応じます。・・・ここで重要な点は、日銀以外の人(法人も含みます)は経費を日銀券で支払う時には、働くなり物を売るなりなどして日銀券を獲得しなければなりませんが、日銀は在庫として持っている日銀券を銀行に渡すだけでよい、ということです。・・・」(P178-179)「・・・つまり日銀は普通の人や法人と違って、支払い不能にならないようにできているのです。・・・」(P.180)つまり財務が悪化しても債務超過になっても支払いを続けられるのである。

円が暴落?馬鹿な!

字数の関係でもう一点だけ。日銀の債務超過で円の信認が失われ、円が暴落するとの主張も大昔から声高に唱えられてきた。国債でいえば外国人が日本国債の12%強を保有しているが売却に走ったら大変だというわけだ。しかしこの場合、国債は自国通貨の円建て債務だ。一方、対外債権の多くはドル等の外貨建てだ。それで、円が下落していくとどうなりますか?

外貨建ての対外債権は円換算で膨らむ。他方、対外債務の国債は円建てだから、そのまま不変だが売却で減っていく。すると対外純債務は縮小し対外純資産が拡大する。となれば膨れた対外資産からの配当や利子、技術料等も拡大し、所得収支の黒字が増加する。結局、円安→対外純資産の改善→対外収支の改善という円高に向けた安定化作用が働くのである。

同時に円安になるから貿易収支も改善し、両者合計の経常黒字は拡大する。従って安定化作用が更に働く。なにしろ日本は世界一の対外純債権国ですよ!

では外国人の国債売りによる価格低下・金利上昇はどうなる?

これは以上の問題の一環だが、国債は満期まで保有すれば必ず額面が償還される。従って国債価格が下落するとその時点で購入すれば、下がった購入価格と額面額の差額が利益になる。だからある時点で買いがはいり価格下落は止まる。暴落することなどありえない。だから金利の上昇も止まる。心配なら日銀が国債を買えばいいだけ。
とどのつまりカネ・財源は問題にならない。制約はカネではなく、実物のモノ、サービスの供給能力である。同時に賢い支出が不可欠だ。

 

  

「コロナ禍」が人類につきつけた「問い」
人びとが共生できる、また「自然」と共生しうる文明への転換

2021/03/08

 
会員・井上定彦(島根県立大名誉教授)

2021年に入って懸念されていたコロナ禍の第三波が日本と世界を襲っている。昨春の第一波を大きく上回る大波のようである。1月7日と13日にまたがって、11都道府県に再び緊急事態宣言が発令された。いったん昨年夏から秋に多少は鎮静化したようにみえ、また予防ワクチンの開発のメドがたちつつあるということで、愁眉を開きかかったすぐ後のことである。
日本と欧米を含む世界のなかで、例外的に鎮静化に成功したかにみえた中国でも、北京から遠くない石家庄市( 河北省)で、再発が確認され(これまでのCovid-19とは違う変異種のビールスだとの報道も) 、この地区はふたたび「戦時モード」に入ったとも伝えられる。2021年中の世界経済の回復も可能との楽観的見方があったが、早くも冷水をあびせられた恰好である。

以下下記PDFにて

「コロナ禍」が人類につきつけた「問い」【PDF版】

  

「元徴用工問題の解決」再考

2021/02/01

 
会員・横舘 久宣(フリ-ランス・ライター)

筆者の個人的な原体験がある。終戦直後、東北地方の小都市で小学生だった。仲良しの級友に在日朝鮮人のK君がいた。大阪から引っ越してきたという。絵が好きで上手だったが、彼の画材は他の級友のそれと比べて明らかに家の貧しさをうかがわせた。苦学の末、中学校の教師になり、その後、画家としてパリや東京、母国のソウルなどで個展を開くまでになった。都内でクラス会をしたときのこと。近況報告のなかで彼は急に「みんなは俺に優しかった。だから...」と言って絶句、うつむいてにじませた泪に、差別に悩まされた70年に近い彼の人生の苦難を思った。

こうした原体験も相まって、当時、朝鮮半島出身者の日本における境遇は厳しいものではなかったかと想像してしまう。徴用工の多くが強制動員や強制労働の不運に遭遇し、かなりの不利益を被ったのではないか。その様子は、日本での裁判記録でもうかがわれる。判決では、国や被告企業による不法行為や安全配慮義務違反について、原告側の主張を認める判断が多い。例えば「過酷で危険極まりない作業になかば自由を奪われた状態で相当期間にわたって従事させられ、賃金の支払いはなされていないことが認められる」、「欺罔や脅迫による強制連行、強制労働と認められ、当時の法令と公序のもとにおいても許されない違法な行為だった」といった内容だ。中国人原告提訴では「被害の実態や苦難の様相はあまりに痛ましく、慄然たる思いを禁じ得ない。法的責任は消滅しても道義的責任が消滅する理由はない」とする「付言」が示された判決もある。さる12月、朝日新聞夕刊が連載したルポ「現場へ! 強制労働の足跡をたどる」でも、当時の中国人や朝鮮人の生々しい苦役の様子が語られている。いずれの訴訟においても「日韓請求権協定により請求権は消滅した」との判断や、除斥期間や消滅時効を理由に棄却された。

いまなお気持ちの晴れない被害者をおもんばかり、両国政府間の対話の再開を期待したい。報道によれば先日、韓国の文大統領が慰安婦訴訟に関し、変化の兆しともとれる新たな姿勢を表明した。2015年の日韓慰安婦合意を「政府間の公式合意」であると認めた。元徴用工の問題では、日本企業の資産の売却による現金化は「韓日関係に望ましくない」と語ったという。

日韓請求権協定には、両国間になんらかの齟齬が生じた場合、解消するための手続きが示されている。一昨年、日本政府の協議開催の呼びかけに韓国は応じず、そのあと協定に基づく仲裁委員会の開催提案にも応えなかった。こちらの方が国際法違反という日本の学者もいる。韓国政府の再考を期待したい。関係者による補償のための基金の創設など諸々の試案が水面下で取りざたされているようだ。いずれも両国がテーブルにつかないことには始まらない。これまでの数少ない企業との和解のケースも参考にして被害者の救済につなげたい。

  

「企業業績と賃金決定 ―賞与・一時金の変遷を中心に」( 日本労働研究2020年10月号から)

2021/01/12

 
会員・荻野登(幹事、労働政策研究・研修機構リサーチフェロー)

企業業績が賞与・一時金に影響するのは当然であるが,その影響度合いは時代とともに変 化する。本稿では賞与・一時金の変遷をたどりつつ,企業業績がどのように反映されてきたのかを概観する。賞与・一時金は制度として,明治から大正期に定着していくが,この頃は主従関係における恩恵的な施し,また現在以上に利益還元としての意味合いが強かった。その後,戦時下で制度化された賞与は生活給的な性格を強め,戦後,労働組合の増加とともに,賞与・一時金が交渉事項となると,物価高騰への対応として生活給としての性格をさらに強める。戦後復興期から高度経済成長期に,賞与・一時金の支給月数は伸び続ける。こうした動向を安定させるために年間臨給方式が導入される。石油危機後の安定成長期に入ると,企業業績によらない産業内の平準化,企業内の個人査定においても均等化が進む。その後,バブル経済の崩壊を経て,鉄鋼・電機などの輸出産業は円高の影響もあり,産別闘争として取り組まれた一時金の統一要求・統一回答の維持が難しくなり業績連動型 の決定方式に移行する。同方式は多くの企業で採り入れられるまでになったが,マクロ・ミクロともに岐路に立たされている。第一は新型コロナ感染拡大によってリーマンショックを超えるといわれる景気後退の中,支給水準の大幅な低下が予想されることである。第二に企業内では正規・非正規労働者間の賞与・一時金における処遇差に対して同一労働・ 同一賃金原則を踏まえた公正な待遇の確保が求められているからである。

【論文】企業業績と賃金決定──賞与・一時金の変遷を中心に|日本労働研究雑誌 2020年10月号(No.723)(PDF版)

  

日教組の「虚像」と実像を明らかにする ―『歴史としての日教組』という実証研究

2021/01/12

 
会員 井上定彦(島根県立大学名誉教授)

少しまえ、第二次安倍政権が登場した前後から、あらためて日教組(日本教職員組合)が話題になったことがあった。また、自分の経験としても近年になってなじみになった知人がいて、安倍氏を応援する集団(日本会議もそのひとつ)の方もよく知っている方なのだが、隣席になったとき、日教組とは何でしたっけねという質問を受けたことがあった。むろん、あれは普通の教員の労働組合で、連合に加盟しているよというと、「そうなのか」とはじめて聞いたというような顔をされたので、むしろこちらが驚いた。つまり、いわゆる「保守系」のなかには、いまだ日教組は巨大で強力、どこかのイデオロギー集団が牛耳っており非常に政治的な集団だ、とばかり思いこんでいる人がいまだ結構いるらしいのだ。
さすがに、私たちの労働ペングラブの会員諸氏にはそんな方はおられないだろうが、ある時代にはたしかにかなりの存在感があったが、平成になって以降の日教組にはあまり接する機会がなかった、というのが普通だろう。

そういわれてみれば、かつては、たくさんの教員組合擁護・支援の本や文書がでる一方で、他方では、それを上回って、日本の「教育をねじまげている」元凶、強力なイデオロギー団体だ、思い込んでいる、いわゆる「右」筋からの批判・攻撃がある。日教組大会開催を攻撃することがその「右」翼たることの身の「証し」となるとみられて、黒塗りの大型宣伝カーが長い列をつくり大音量で妨害をするという時期もあったのも、たしかにそれほど以前のことではないのだ。

日教組の「実像」VS「虚像」

日教組(現在は組合員23万人程度) は、中央単一組織とは言いにくく、都道府県ごとに組織された公立学校、その普通教員を中心にしたいわば職能団体としての全国の連絡協議体(とはいってもその範囲での組織率も32%程度しかない)なのである。単一組織である多くの企業別組合がもっているような集中的な指令権限を機構的にはもっているとはいえない。つまり、運動や交渉の指示・指揮・財政のいずれをとっても、中央執行部もゆるやかな合意、あるいは大会での激しい議論と採決をへてはじめて行動をよびかけることができる、というようにゆるやかなものである。この実体は、戦後七十年余にわたり殆ど変わってはいない。そして、憲法の常識でもある労働者の権利(憲法28条)としてみれば、わずかに団結権があるのみで、団体交渉権・争議権はいまだにないという不遇な状況におかれている。国際基準(ILO)からみれば労使関係の「前近代性」が残ったままなので、民間の労働組合からみれば、ずいぶん大きなハンディキャップを負わされたままであるということになる。ちなみにいえば日教組はアメリカをはじめとする世界の教員組合(教育インターナショナル、3000万人) の標準的な一組織でもある。

いまや、教員の職場の労働条件、殊に日常的な長時間残業( 過重労働) のモデルともいえるようなひどい状態におかれている。少し前、週当たりの労働時間調査が公表され、40時間どころか48時間でもなく、週60時間をこえるものの割合が小学校教員で72.9% 、中学校教員ではなんと87.9% もいることが分かり( 連合総研調査) 、さすがに社会的反響を呼んだ。今世紀になってから目立って悪化を続けた、ということだ。長時間労働の是正については政府が「働き方改革」を進める動機のひとつとされはしたものの、その後具体的に条件が改善されつつあるとの話しは聞かない。交渉権がないことがやはり問題なのだと思う。 他方、戦前回帰すらめざしているかにみえる勢力は、相変わらず日教組批判を「みずからのアイデンティティー」あるいは存在価値としているようにもみえる。ここには自民党の2011年の憲法改正草案を推進しようとする勢力の一部として、有力な一角を占めていることは知られている。

日教組の「実像」を実証的・歴史的に検証する

日教組の「実像」と「虚像」の大きな乖離は、こんなところにも背景があるのかもしれない。たしかに、日教組は戦後民主主義の擁護者として世間の目に映じてきたことは事実だろう。つまり、「主権在民、基本的人権、平和主義」の戦後日本憲法は、当然のことながら文科省や地方の教育委員会を含むすべての行政機関の前提となっている。学校教師が児童・生徒に向き合うときには、これにそって授業をすすめることになる。そして、1950~60年代に確立した日教組運動は、戦時中の教師の悲痛な体験・反省から自然に生まれた考え方、「教え子を戦場に送るな」を、素直に表現したことで、その力の源泉ともなった。いまなお、原爆投下や空襲にかかわり, 平和祈念の「折り鶴」運動は、学校現場に根づいており、全国のかなり多くの自治体でも取り組まれているところだ。
そもそも、日教組とはいかなる過程を経て成立し、全国運動の支柱となってきたのか。その運営や機構はどうなっているのか、あるいはまた1990年代以降はあまり聞かなくなった「文部省VS日教組」という対立関係がそれほど目立たなくなったのはどうしてなのか。これらは、戦後史を考える際にはたしかに欠かせない部分ではある。その実像について、さまざまの見方をふまえつつ、社会・人文科学の対象としてとりあげ、客観的に検証したものはそれほど多くはないのではないか。

このたび、すでに教育学者として名声が確立している広田照幸さんをチーフとする20人あまりの若手教育学者、社会学者、政治学者、歴史学者が参加して、2012年から8 年がかりの膨大な作業が、ようやくほぼ完結した。『歴史としての日教組( 上・下2 巻) 』( 名古屋大学出版会、2020年刊行) である。大会記録、運営記録、そしてそのときまで健在だったかつてのリーダーたちからのヒヤリングなどを含め、地味で丹念な作業をつみあげたことが、この分析の説得力・論証力をもたらしている。この研究については、日本学術振興会科学研究費などの研究助成によってすすめられ、日教組からの資金支援をうけているわけではない。
日教組をめぐる功罪を議論する前に、その「実像」を知りたいと思う諸氏、戦後の教育問題を考えるときの基本文献として公立図書館での常備も望まれるところだ。

  
   
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