私の主張

休業者597万人の政治経済学

2020年8月31日

 
労ペン会員・グローバル産業雇用総合研究所所長 小林良暢
【NPO現代の理論・社会フーォラム経済分析研究会メールマガジン第219号(20年7月16日号)】

政府の緊急事態宣言のさなか、総務省が4月の休業者数が597万人に急増したと発表した。この統計では過去最多で、自粛による経済活動の抑制が雇用危機を顕在化した証しだと受けとめられている。
ところが、同じ調査の完全失業者数の方は189万人と、前月に比して13万人増、前月より0.1ポイントの上昇に止まった。仕事を失った休業者が急増したのに、失業者が増えないのはどうしたことか。そのカラクリはこうである。

休業者急増のカラクリ

労働力調査は、15歳以上の全労働力人口を対象とする全国サンプリング調査である。このうち少しでも仕事をした者を「就業 者」と呼び(約6600~6700万人)、調査の1週間中に少しも仕事をせず、かつ仕事を探して求職活動しているのを「完全失業者」 と定義している。
しかし「就業者」が仕事を失っても、即「失業者」になるわけではない。「完全失業者」にされるには、次の要件が必要だ。

1、仕事がなくて調査週間中に少しも仕事をしていないこと
2、仕事があればすぐ就くことができる
3、調査週間中に、求職活動をしていた

以上の3つの要件のうち1、2の要件に合ったとしても、調査期間中に求職活動ができなかったり、あるいはしなかった者は?を満たさないとして完全失業者にカウントされない。

したがって、「就業者」が次の仕事に就くまでの間には、以下の二つに分類される。

1、調査期間中に収入を伴う仕事を「1時間以上」した者=「従業者」
2、調査週間中に少しも仕事をしなかった者=「休業者」この4月の1か月に、1の「従業者」が前年同月に比べて500万人減り、「休業者」が同じく420万人増えたということは、597万人が仕事を失いながら、求職活動せずにいたために「完全失業者」にカウントされずに「休業者」のまま止まるという、特異な現象が起きたのである。なぜか? 

4月の休業者420万人増の内訳をみると、自営業主70万人、正規の職員・従業員193万人、非正規の職員・従業員300万人、その他34万人と、非正規労働者がもっとも多く休業していることが分かる。その他34万人にはフリーランスとかクラウドワーカーが含まれているのか、自営業者の中でどの程度カバーされているかはつまびらかではない。非正規と並んでフリーランスが、休業者急増のカラクリを解く第一のポイントである。

コロナショックは雇用危機

いまひとつ重要にポイントは、4月16日に政府の緊急事態宣言が発令され、それに前後して安倍内閣が矢継ぎ早に緊急雇用対策を 打ったことである。コロナ雇用危機に対する安倍内閣の政策の水際立った特徴は、雇用保険の被保険者ばかりでなく、幅広い労働者の休業にも助成金を給付したことである。

リーマン・ショックの時には、「雇い止め」や「派遣切り」にあった非正規労働者の雇用保険未加入者が、その保障からこぼれ落ちた。当時、筆者は一人100~200万円を緊急特別給金と再就職支援をせよと論陣を張った。この考え方は、その後、1ヶ月以上の雇用見込みの者は雇用保険の対象とする旨改善された。ところが、その後に派遣現場に行って聞いて回ると、短期労働者(6ヶ月契 約)だから社会保険に未加入にしており、6ヶ月に一日短い契約だから合法だと言う。こうした契約を繰り返して2年、3年と働いている人が多い。

それから10年、コロナショックに追い込まれた自動車業界は、期間工といわれる派遣社員が全国で約35万~40万人いる。だが、今度のコロナショックで、例えばトヨタ自動車では、休業中の派遣社員に対しても6割以上の休業手当を派遣会社経由で支払ってい る。また直系協力会社や大手ベンダー(派遣会社)も同様の休業手当を活用している。リーマン・ショック時とは隔世の感であるが、これは政府の緊急雇用対策の効果といえる。だから、無理して働かなくても、手当をもらって休業者になる。

ポスト安倍は「雇用」を良くする政治家を

だがコロナ雇用危機は、非正規雇用危機である。とりわけフリーランスやクラウドワーカーは、緊急雇用対策の恩恵にあずかれ ないままである。これに自民党の岸田政調会長は「雇用調整助成金1万4、5千円に」と声を発し、梶山経産大臣も「フリーランスの人達に最大100万円を受け取れるようにする」と続いた。雇用対策は、経済政策の範疇を超える政治の問題だ。政府も「みなし失業」制度の適用を進めた。まさに政治経済学である。
ケインズ以降の現代経済学の要諦は「雇用」にある。コロナ後のボスト安倍を誰かと問われれば、「雇用」を良くする政治家が良い政治家だと言いたい。

  

コロナ禍で変容する中央銀行

2020年8月03日

 
経済ジャーナリスト 蜂谷 隆
NPO現代の理論・社会フーォラム経済分析研究会メルマガ第218号(2020年7月1日付から)

コロナショックで経済は激しい落ち込みとなり、事業と生活を最低限補償する観点から

補正予算が二度組まれ、90.2兆円すべて新規国債発行でまかなうことになったが、あれほ ど強調されてきた「財政危機論」は、あまり聞こえてこない。「ここで踏ん張らないと経済の土台から崩れる」という認識が広まったこともあるが、それだけではない。増える国債は事実上日銀が買い取るうえ、超低金利は維持されているので、政府の財政負担はさほど増えないと見られるからだ。

新型コロナウイルス感染拡大は、第二波、第三波もありうるので、コロナ大不況はまだ深まる可能性がある。景気回復に弾みを付けるため三次補正を組む必要があるだろう。さらに2020年度の税収不足の補填も問題になる。景気の落ち込みで税収は当初見込みより10兆円以上減ると見られている。そして来年度予算である。あっという間に新規国債発行は19年度比で100兆円増となってしまう。

財務省の当初予算段階の見通しによると、国および地方の長期債務残高は2021年3月末で1117兆円(GDP比率2.0倍)。これに100兆円を加えると1217兆円でGDP比率は2.23倍まで膨れあがる。

これまで国債を増額させてきたのに財政危機にならなかったのはなぜなのか。最大の要因は金利の低下であろう。添付した図は財務省のホームページに掲載されているものである。公債残高(図では国債のみの金額となっている)は増加の一途なのに利払い費(国債発行に伴う毎年の利息)は10兆円を超えていた90年代から2000年以降は逆に減少して7-8兆円で推移している。理由は金利(国債の利回り)が低下しているからである。令和2年度は8.5兆円と前年度比で0.7兆円増加しているが、これは補正予算によるものをプラスしたためである。

量的緩和で金利を引き下げ

ではなぜ国債の利回りは低下しているのか。1990年代はいうまでもなく日銀による政策金利の引き下げのためである。2000年にゼロ金利になりその後は、非伝統的金融緩和に踏み込んだ。白川総裁まではあまり積極的ではなかったが、基本的には量的緩和を進めてきた。そして黒田総裁による異次元緩和が行われた。

異次元緩和では当初は、インフレターゲッティング政策を採用、量的緩和で金利を下げ、民間企業の資金需要を刺激し物価を上昇させて高い経済成長を達成させるというものだった。ところが初期の目標は達成できず失敗、16年1月にマイナス金利を採用、9月にはイールド・カーブ・コントロールによる長期金利(10年物国債)をゼロ%にする方針を採用した。量的緩和を縮小しながらも基本的には続行し超低金利を維持する政策である。物価は上昇せず低成長にとどまった。

そして今回のコロナショックで再び量的緩和のアクセルを踏んだのである。日銀が大量の国債を買い続けるということは、事実上の「財政ファイナンス」である。

超低金利が維持できれば国債を増発しても利払いがさほど増えないので、何とか持ちこたえられる。その間に景気を回復させようということなのだが、この戦略に穴はないのか。

 よく指摘されるのが日銀は国債以外にもETF(上場投資信託)、J-REIT(不動産投資信託)などを大量に購入しているので、膨れあがった保有資産の価値が下落すると信用不安が生ずる可能性があることだ。また何かのきっかけで金利が上昇するリスクもある。「もし金利が1%上昇したら、政府の負担は何兆円増える」という議論は仮定の話とはいえ恐怖感はある。

しかし、量的緩和による超低金利のリスクは、そうした"恐怖感"にあるのではなく、いつまでも量的緩和を続けなければならないことにあるのではないか。というのは日銀が持つ国債保有残高の伸びをゼロにする(毎年保有残高を同じにする)だけで、市中に流通する国債は増加し、国債価格の下落(金利の上昇)要因となるからだ。

逆に言うとこの要因をうまくコントロールできれば超低金利の維持は可能となるのだが、日銀の場合、異次元緩和であまりに巨額かつ必要以上に国債を買い込んでしまったために、日銀が国債を買い続ける余地を狭めてしまった。ここがFRB(米連邦準備制度理事会)やECB(欧州中央銀行)と決定的に異なる点だと思う。

「物価安定」から「金利安定」へ

 なぜこんなことを綿々と書いたかというと、コロナ大不況を経て巨額の債務を抱える政府に寄り添わざるを得ない中央銀行は、役割を大きく変えてきていると思えるからだ。BNPパリバ証券チーフエコノミストである河野龍太郎氏は「(今夏のパンデミック危 機で)中央銀行の主たる目的は、物価安定から金利安定にシフトする可能性が高い」(「週刊エコノミスト」2020年5月26日号)と述べている。この指摘はかなり当たっていると思う。

  

新型コロナ感染症拡散下、日本における企業広報の変遷を考える

2020年8月03日

 
労ペン会員・小野豊和元東海大学教授
NPO現代の理論・社会フーォラム経済分析研究会メルマガ第217号 (2020年6月17日)

戦後、日本にパブリック・リレーションズ(PR)の考えを持ち込んだのはGHQ(連合軍総司令部)で、その対象は行政であった。PRの概念は「組織とは社会から認められて初めて存在しうるもので、認められるためには、社会の利益に合った経営が為されていなければならない。そして、そのように経営されていることを社会(パブリック)に知らせることが必要」ということである。

GHQはすべての日本人に民主主義の考え方を浸透させるため、全国の自治体にパブリック・リレーションズ・オフィスを設置し啓蒙活動を行った。1952年4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効、日本は正式に国家としての全権を回復するが、GHQ統治下で民間企業にも次第にPRの考え方が普及していく。1949年に野村証券社長の奥野網雄氏が"企業PRの必要性"を提唱。PRを生産、販売、金融と並んで経営の四本柱と位置づけた。また、1953年には日本経営者団体連盟が"弘報研究会"をつくり、社内弘報を中心にして労使協調路線を打ち出した。

スタートは「いかにマスコミに露出するか」がキーワード

1950年代には、日本航空、東京ガス、松下電器(パナソニック)などが次々と広報部門を設置することで第一次広報部門設置ブームが始まった。その狙いは「マーケティング型広報」で「いかにしてマスコミに露出するか」が重要な鍵だった。1950年代後半から60年代に電通PRセンターなどPR会社が続々誕生した。1960年代の高度成長を経て、1970年代に開かれた大阪万国博覧会の頃になると企業の"イベント広報"が花開く。しかし、こうした繁栄の陰に副産物として生まれたのが"公害"であった。

1970年代に入ると公害問題に加え、二重価格、欠陥商品、不祥事など企業批判が高まり、広報も"マーケティング型"から"企業防衛型"に大きく転換することになり、第二次広報部門新設ブームが起こった。1970年代には白黒テレビの普及率が90%を超えた。また、『週刊新潮』創刊以来、雑誌ジャーナリズムは百花繚乱の時代を迎えた。そんな中、第四次中東戦争(1973年)に端を発したオイル・ショックが日本を襲う。企業を取り巻く環境が厳 しくなる中、1978年に経団連を母体として財団法人経済広報センターが設立され、個々の企業の広報部門を束ねる活動を展開する。

1980年代になると、広報関係者の間ではCI(コーポレート・アイデンティティ)、CC(コーポレート・コミュニケーション)がブームになり、「企業トップの役割、トップ広報」が重視され、一方で不祥事やPL(プロダクト・リライアビリティ:製造物責任) を問われるようになる。

1990年代に入ると、「企業の文化貢献、社会貢献」すなわち「メセナ」「フィランソロピー」活動に注目が集まり、企業と社会との新たな関係が構築されるようになった。国際的にもソ連崩壊で東西冷戦体制が崩れ、市場のグローバル化が一挙に進んだ。マルチメディアの発達や世界経済のボーダーレス化の進展などで企業の経営環境は大きく変化すると広報の役割も変化し、対象がマスメディアだけでなく、株主・投資家・従業員・地域住民・オピニオンリーダーなどあらゆるステークホルダーへと広がっていった。広報活動の成否はマスコミとの人脈づくりにウエイトが置かれ、新聞各紙の経済部長、経済誌編集長懇談会の推進によるファンづくりに力を入れる戦略広報へと転換していく。

ネット普及で媒体に変化

日本の社会全体としては80年代以降、失われた10年、20年と言われつつミレニアムを迎えた。広報ツールにも変化が起こる。パソコン、インターネットの普及により紙媒体のプレスリリース・写真の郵送が不要となるが、マスコミ・企業双方でface to faceの関係が薄れていくことで誤った情報が掲載されることも起こる。経団連記者クラブの解体により発表案件の48時間ルール(発表テーマの予告と記事掲載拘束)が無くなると、広報活動は媒体個別に行う必要が生じた。2000年代になると、ニュースレターは企業のホームページから入手可能となり、マスコミもweb版で予定原稿を書き、駅販売・配達の紙媒体に掲載するシステムができる。一方、新聞は一部の地方紙を除いて全国紙読者の大幅減によりweb化が進む。しかしweb化は読者獲得とはならず、国民のニュースに対する関心が薄れていく。バナー広告で世界を席巻したGAFAの登場により企業のPR活動は従来型のマスメディアと付き合いつつSNSを重要視し、facebookなどを重要な広報媒体の対象としていく。

さてコロナ時代のマスコミ報道は昭和天皇の健康状態報道と似ている。日々の感染状況がテレビ媒体を通じて報道され、全国の首長が行動指針等を発表。民間企業は世界的な行動自粛によって事業活動が困難な状況に追い込まれるが、世の中の関心対象ではなくなり、医療従事者が表に登場してきた。企業の広報担当者もメディアの記者もテレワークを余儀なくされるが、取材の現場は変わらない。非対面、非接触、リモートが"新しい普通"のビジネススタイルとなる中で、価値ある情報を社会(パブリック)に知らせる手法の模索は続く。

  

「コロナ禍のもとで気づいたこと」

2020年5月07日

 
柏木 勉・会員(経済アナリスト)(経済分析研究会のメルマガから)

緊急事態宣言が発出された。「発出」?この役所用語は2年前ぐらいから政治家も普通に使うようになった。だが、一国民としてはきわめて違和感がある。役所内部では事務処理を厳密に行う必要があるから、役所用語として使い分けるのだろう。しかし政治家は役人ではない。現下の状況で政治家たるもの、もっと国民の感覚にフィットした言葉を使ったらどうなのか。

愚民化戦術「GDPの2割」宣伝

宣言と一緒に緊急経済対策が発表された。いわく、「108兆円の過去最大の事業規模、対GDPの2割」というふれこみである。国民へ最大限のアピールをねらったのだろう。思惑どおり、マスコミも安倍と財務省の発表通りに大々的に報道した。馬鹿じゃないのか。マスコミの経済部は何をしているのか?「2割」? 事業規模とGDPはそのまま比較できるものじゃない。政権のいいぐさを国民へそのまま繰り返して恥ずかしくないのか?

GDPは付加価値だ。事業規模には財政投融資やら税金や社会保険料の支払い猶予やらが、それこそ大規模にふくまされている。それらはカネを右から左に回すだけとか1年間だけ支払いを延ばしてやるとかというものだ。簡単にいえば金融だ。金融は付加価値として(GDPとして)カウントされない。GDPとしてカウントされるのは、いわゆる「真水」だ。真水が最終需要としてGDPとなる。この点は、対策発表後すでに1週間たったから、多くの指摘がある。108兆円のなかの真水はたった16.8兆円で、対GDPでは3%でしかない。

コロナ禍によって本年のGDPは大幅なマイナス成長が予測されている。前提条件・比較の仕方は様々だが、例えば早期収束で22兆円(4%)減、1年続けば40 兆円(8%弱)減。緊急経済対策を織り込んだ予測でも本年はマイナス6%となっている。ちなみにリーマン・ショック時の2009 年の実質GDP は5.4%の減少だった。16.8兆円のはした金では話にならない。さらに追加の経済対策なしには日本経済は大打撃を被ることになろう。

効果を見て休業要請?

緊急事態宣言をめぐっては、東京都と政府が休業要請に関して3日間の「調整」を繰り広げた。政府は、宣言による対象都道府県の特定と2週間程度の外出自粛要請の効果をみてから休業要請をおこなうつもりだった。しかし都は感染者急増と医療体制の逼迫から、宣言直後ただちに休業要請を行うつもりだった。そのギャップから3日間の「調整」がはじまった。

しかし国民からすれば、こんな調整のドタバタは全く馬鹿馬鹿しいものだった。一刻も早く感染の急増を防ぐため、一刻も早くオーバーシュートを防ぐため、それこそ「緊急事態」の宣言を出したのではなかったのか?「効果を見ている」ひまなどない事態だから宣言を出したのではなかったのか?カリフォルニアに外出禁止が3日遅れただけで、ニューヨークの死者は爆発的に急増し、カリフォルニアの10数倍に達した。一体何のために緊急事態宣言を出したのか ?政府の対応は全く馬鹿げていた。それに公表の感染者、死者数などあてにできないのだ。

休業補償?日銀がカネを刷るだけだ

もう一つ、政府は都府県が求める休業補償をしたくない。そのために「8割の接触減」を必死に呼びかけ始めた。無論それ自体はやるべきことだ。だが、接触減が進むほど休業補償を求める声は大きくなる。一方、東京都とその他府県で溝ができはじめた。その他府県にいわせると「東京都はカネがあるから休業協力金(50万円、100万円=これは事実上の休業補償だ。はした金だが)を出せる。だが、我らはカネがない」とのことだ。休業補償ができないなら外出自粛の効果は薄れる。政府はその声に押され、緊急経済対策の内の「新型コロナウイルス感染症対応地方創生臨時交付金」なるものを、使途の名目をごまかして事実上の休業補償として使うことを認めた。総額1兆円だ。

これも馬鹿げた話だ。この「臨時交付金」なるものは、コロナ禍が収束後、経済回復の第2ステージに入ってから地方の回復支援に用意したもの(「『新型コロナウイルス感染症緊急経済対策』について」)。その中身は、「お魚券」、「和牛商品券」など特定業界の族議員が必死になって入れ込んだもの。もっともらしい事業名称をつけて並んでいる。この臨時交付金の趣旨は緊急の休業補償とは相いれないものなのだ。だが、政府は苦し紛れに事実上の休業補償 に充てることを認めざるをえなかった。

しかし、こんなドタバタ劇は最初から馬鹿げている。地方が求める休業補償など日銀がカネを刷って渡せばいいだけだ。現にアメリカはFRBを通じてそうしている。FRBはコロナ禍に対して2兆ドルの緊急措置を発動した。そのうち5000億ドル(約53兆円)は州発行の債券購入だ。この購入代金は州に渡る。日銀も同様にして、購入した府県債をそのまま保有し続ければよい(借換え)。要はインフレにならなければいいのだ。それがMMT(現代貨幣理論)だ。

「臨時交付金」も16.8兆円に含まれており、それは国債発行で賄われる。その多くは市中を通じて日銀が買うだろう。だから日銀がカネを刷って渡すわけだ。

それにしても、いつまで人類は、新たな感染症が出るたびに「接触せず、離れる」という原始的手段を続けるのか?いつまでもそうするしかないのか?17世紀・欧州の「ペスト医者」の恰好も、現在の医療従事者のゴーグル・マスク・防護服を彷彿させる。殆んど違いがないように見えるのだが――。

  

「賃金事情2020年3月20日号から」 書評欄(book review)第1回「労使を読む」「ハラスメント ー職場を破壊するもの」(君嶋護男著、労働法令)

2020年4月27日

 
加藤 裕治 会員(ラヴィエ法律事務所・弁護士、元自動車総連会長)

今号から、本欄を担当することになった。長年の労組役員の経験、そして弁護士という立場 から、労使の課題や関心事を中心に、法律家の目からも役立ちそうな本を、選べればと考え ている。

第1回は君嶋氏の「ハラスメント」を選ばせてもらった。実は、日本労働ペンクラブにおい て、拙著『トヨタの話し合い』が、「企業内労使関係の指南書」として2019年度労働ペ ンクラブ賞特別賞を受賞した。その折、その本賞というべき労働ペンクラブ賞に輝いたのが この書であった。

ハラスメントについては、2000年代初頭にアメリカから「セクシャルハラスメント」概 念が入って以降、マタハラ、パワハラと拡大し、社内での言動の規制が増え、戸惑っている 中高年も多い。労働相談も訴訟も増えており、意識改革は急務といえる。「働き方改革」は 本来労働者の人間らしい生き方を取り戻す改革であるべきであり、「人権意識」の薄いわが 国で、「人権」を「守るべきもの」の中心に据えていくためにも、ハラスメントは重要な切 り口である。

パワハラについては、昨年、労働施策推進法が参議院を通過し、防止義務が法制化された。 厚労省からはセクハラ、パワハラ等のガイドラインが出されたものの、抽象的であり、具体 的に何がいけないのかわかりにくい。

この本は主に平成年代の裁判事例を丹念に取り上げ、解説している。読んでもらえば、わか るが、裁判は事実に基づいて審理されるので、判決文は、素人が思う以上にリアルである。 本ではハラスメント別に100を超す判例の事実認定部分が引かれており、合法、違法の境 界線が一読で読み取れる。ハラスメント対策を考える企業労使、あるいは、弁護士などにも 大いに参考になる好著である。

  
   
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